「ところでよ、爺さん」
レオンは、組みなおした足を逞しい腕で抱きながら、世間話でもするような口調で問いだした。
もう、同じ所に通いつめて何日もたつ。そろそろ、カレンダーでもなければ、訪問回数を数えづらくなってきたころだ。もっとも、そんな高級なものはこの牢獄にはなかったが。
「おめえ、なんでまだ生きてんだ?自分でも不思議に思わねえのか?」
突然の問いに、フランクルは、お茶を飲んでいたら確実に噴き出しそうな顔をしてレオンを見た。
「なにを今更言い出すんじゃ、お前さんは?」
「だってよ、今日もここの来る途中で、自殺しようってやつを見てきたところなんだぜ。ところが、そいつより死にそうな顔した爺さんが、目の前でピンピンしてやがる。不思議にも思うさ。かく言う俺だって、もう何日もつか」
宗教裁判にかけられた彼の判決は、あと2日後に迫っていた。有罪であった場合は、その場で刑が執行される。公衆の面前で、罪人は火あぶりにされるわけだ。
彼は、自分が火あぶりになるであろうことを、十分に悟っていた。裁判などは、残された人間が言い訳を得るための儀式に過ぎない。裁判にかけられた時点で、彼の死刑は決まったようなものなのだ。
だから、彼はあと2日の余生を存分に楽しもうと決めていた。人間、あと数日で死んでしまうと分かれば、何だってできるものだ。たとえ、部屋を抜け出していることがバレて、その場で蜂の巣になったとしても、彼にとっては、死刑が少し早まっただけのことだ。
「だからよ、爺さんもあんま無茶すんなよ。人間生きてりゃイイことあるなんて言うけどよ、そんなモンは、神さんの恩恵に与れたやつが言うことなんだぜ。間違いなく、俺もあんたも、そのおこぼれにすら預かれてねえよ。」
彼には珍しく、語る声は深く沈んでいた。その声を聞いた労番が、自殺の前触れを予想してもおかしくはないかもしれない。
「お前さんは確か――」
不意に、フランクルが潰れかけたような形の眼を見開いた。
「ん?」
「レオン・ガルシア・デ・アストゥリアスと言ったかな。」
「な――ッ!」
自分の本名を言い当てられ、レオンは反射的に声を上げた。
「何で爺さん、俺の名前を知ってやがるんだッ!え゛?」
彼の反応はすばやかった。瞬時に立ち上がると、獲物をその目に捕らえたライオンのように、フランクルの胸倉に掴み掛る。そうして、自分の顔の位置まで、彼の顔を引き合わせると、怒りに任せた表情で彼を睨みつけた。
その行動は、かつての彼の姿をひしひしと思い起こさせた。
そう、砂臭い戦場で、捕らえた兵士を問い詰めながら、脅しをかける。慣れた軍人のしぐさだ。
しかし、拷問されたに等しいその行為に、フランクルはびくりともしなかった。それどころか、レオンの怒りに拍車をかけるような言葉を放つ。
「他にも知っておるよ。お前さんはモロッコ領ヒスパニア出身の生粋の軍人。当時の通称は、レオンコート」
自信げに言い切る彼の表情には、笑みすら浮かんでいるように感じられた。そして、そのことがレオンを、さらなる怒りへと駆り立てる。
まるで、騙されていたかのような気分だった。彼は、はじめから何もかも知っていた。知っていて、物見遊山のような気持ちで、毎日レオンを自室に呼びつけていたというのだ。
いや、あるいは――
「もしかして、爺さん。教皇庁(ヴァチカン)の息がかかってンのか?俺を見張るために、こんなことをしたのか!?」
「まあまあ。そう怒らずに。老人の話は最後まで聞くもんじゃよ。」
「はっきりしねぇかッ、この老いぼれ爺がァッ!」
レオンは力任せにフランクルを投げ飛ばした。まるで髪が曲がるよう、壁に叩きつけられた老人の体は、いとも簡単にくにゃりと曲がった。
「うっ・・・」
「――ッ!?・・・す、すまねえ・・・・」
フランクルの呻きに、ようやっとレオンは、我を取り戻してフランクルのもとへ駆け寄った。
どすん、という音もなく、紙のように床に崩れ落ちた彼は、床の埃を払いながら、「えらい目にあった」としきりに呟いている。
「ったく、血の気が多いのは相変わらずじゃな。これで2度目じゃ」
「すっすまねえ、つい・・・・。」
ついフランクルに乗せられたレオンは、罪悪感にまみれた表情で頭を掻く。
「お前さんは知らんだろうが、犯罪人レオンコートの名は、この聖天使城の中ではちょっとした有名人だったんじゃ。何しろ元軍人で、おまけに勲章ものじゃろう。そんなやつが入ってきたら、どうなるか。誰もが簡単に予想できることじゃ。逆らうものは容赦なく暴力を振るわれ、仲間からもシカトされる。この狭い世界では、強いものが全てじゃからな。
しかし、わしはそうは思わなかった。やつはただの軍人ではない。裁判にかけられることになったのも、何か理由があるに違いない、そう思ったんじゃ。」
「だから、たまたまこの部屋にきた俺を、逃がさなかった、というわけか。」
「もうそろそろ、ここの暮らしも長くなってきたお前さんなら、分かるじゃろう。ここで生き延びるには、人生は長すぎる。何か、暇つぶしがなくてはいかん。そこに、面白そうなやつが飛び込んできたら、どうするかなんぞ、分かるじゃろう?」
「俺は暇つぶしに使われたってのか?ったく・・・この借りは高くつくぜ。」
「じゃが、しかし――」
「ん?」
ふと、フランクルの声に勢いがなくなった。
「残念なことに、この数日でとうとうお前さんのことも分からずじまいじゃ。なぜ宗教裁判にかけられたのか、その真相もな。」
「爺さん・・・・。」
この老人になら、話してしまおうか――
一瞬、そんな考えが彼の頭をよぎった。
いや、ダメだ。たとえ自分があと数日の命でも、彼には家族が残されている。
どこから情報が漏れるか分からない今、自分の秘密を話して、彼女に何らかの害があっても、彼には彼女を――娘を、守りきることはできないのだ。
「悪いが、爺さん。これだけはどうしても駄目なんだ。俺にとってこれは、一人の問題じゃない。大切な、大切なやつのためにも、守らなきゃいけねえ秘密なんだよ。」
「そうか――・・・」
その瞬間、フランクルの表情に絶望がありありと浮かんだ。それは、まるで生きる望みを失った老人のような(、、、)顔だった――いや、まさにその顔だった(、、、、、、、、、)
「そうか、駄目か・・・・。」
もう一度つぶやくと、彼はレオンから視線を避けるようにして俯いた。一人ごちるような声が続く。
「まあ、そういうことなら仕方あるまい。わしも諦めるとしよう。しかし、お前さんにはまだ、守るべきものがあったとはな・・・・。
お前さん、まだ、死んではならんよ。死を選ぶ権利を持つのは、すべてを失ったものだけじゃ。お前さんはまだ、すべてを失ったわけではない。」
「いや、そう言われてもよ、俺はもうすでに死刑が決まったも同然―」
「いいや、お前さんはまだ死ねんよ。お前さんにはまだ、やらねばならんことがある。それをやり遂げるまで、お前さんは現世(ここ)に残るべきじゃ。主は、きっとそうおっしゃる。」
急に自信を持って言い出されたので、レオンは目を丸くした。この耄碌爺は、急に何を根拠もないことを言いだすのか。
「おいおい、爺さん。急に分かったような口利いてどうした?俺はほとんど死刑囚だぞ?」
「神は、すべてを見ておられる。こんな、薄暗い牢の中に閉じ込められた、逝き遅れの老人のこともな。神に過ちなどない。」
その声は声高く、崇高な響きをもってレオンの耳に届いた。
「わしは生涯、主の存在を疑ったことはなかった。今もじゃ。わしは、このような今日境遇を背負うことになったが、主は決してわしを見捨てたりはなさらんかった。
わしは、ついこの間主に、まみえたのじゃ。こんな薄暗い牢の中にも、主はいらした。そして、わしに、快楽を約束していかれた・・・。」
それはまるで、誇り高き修道士のようだった。身は薄汚れた一枚着を羽織っていても、その姿はヘブライ人をエジプトから救い出したモーセのごとく、神々しいオーラを放っているようにレオンの目には映る。
レオンは、とたんに不思議になってきた。そもそも、この老人が神の何に逆らったというのだろうか?
「おい・・・・ところで、爺さんは一体何の罪でここに入れられたんだ?」
すると、フランクルは狐につままれたような顔をして、レオンを見た。まるで、思いもよらなかったことを、問われたような様子だ。
彼は、しばし黙りこんだ。もしかしたら、ここでの生活が長すぎて、もともとの原因すら忘れてしまったのだろうか?その姿は、必死に思い出そうとしているように、レオンには映った。
「・・・・さあな。秘密じゃ。お前さんが教えんというのなら、わしにも守秘の権利があってよかろう。」
しばらくして、フランクルはようやっとそう言った。その顔には、それ以上問うな、と書いてある。
しかし、レオンはそれで納得しなかった。自分以上に重大な秘密を、この老人が秘めているような気がしたのだ。
彼がさらなる問いの言葉を紡ごうとした、その瞬間――
「レオン・ガルシア。いるか!」
はるか遠く、レオンの独房から微かに聞こえてきた声に、レオンはびくりと巨体を震わせた。まずい、検問の時間だ。
「おおっ、お前さん呼ばれておるよ、行かずともよいのかね?」
「うおっ、やべえ!!」
彼は、慌てて立ち上がった。モーションをかけて走り出す。
しかし、立ち去ろうとして彼は、また慌てて振り返った。別れの言葉を口にしていない。そもそも、いろいろなことがあったにもかかわらず、ここで何も言わずに出て行くのは後々よくない。
だが、彼の口から出たのは、用意していたはずの別れの言葉ではなかった。
「・・・・なあ・・・爺さん、最近ちょっと痩せたか?」
レオンは、反射的にそう言っていた。振り返った瞬間、老人の姿が、あまりに小さく見えたのだ。
しかし、彼の言葉にフランクルは、あからさまな憤慨の表情で答えた。
「めったなことを言うもんではないぞ。これ以上、どう瘠せられると言うのじゃ。」
たしなめるような口調で言ったあと、フランクルは愉快に笑った。
しかし、その笑顔が、少し遠く離れたところに立つ彼からは、とても力なく映ったのであった。








〜あとがき〜
・・・えと。
長らく連載がストップしたのには、わけがありまして。
・・・ええ、そうなんです!実は、書き上げたファイルが噴出・・・じゃなくて紛失してしまいましてね。
最近、データを整理していて、ようやく発見した次第なんですよ!

あ、なんか、マタイさんの声が聞こえる気がします?
「ねえ、派遣執行官。下手な芝居は止めて、さっさと撃ち合いを始めましょうよ」ですと?
いやいや!これは決して、芝居などではなくて、本当なんですってば!
あ、ダメです!砲撃をこっちのせいにしたいからって、テベレ川付近の市街地にわざと爆撃するなんて!
え?この辺は、前から人が多すぎると思ってた?
いやいや!それ、異端審問官が言うセリフじゃないでしょ!
マーターイーさぁーん!
(・・・以下、RAM4巻レディ・ギルティをご参照ください・・・(え))

・・・えー、ちょっと遊んじゃいましたが。
とりあえず、ようやく次の話がアップできました。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました!


慧仲茜♪