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次の日から、レオンはその奇妙な老人の下に通いつめた。
ただ単に、檻の中でじっとしているのが耐えられなかったというのもある。もともと彼は軍人で、荒れ野の戦場をかけまわっている姿がお似合いだったから、その方がよっぽど彼らしかったのだろう。
しかし、毎日同じところに行っては、一人の老人の戯れに付き合う。
その殊勝な心がけには、我ながらレオン自身、「本当に自分は終わりなのかもしれない」と思ってしまうほどだった。
この所業を檻の外にいる知り合いが見たら、何というだろう。
とりわけ、彼の小さな娘には、笑われるに違いない。
「ぱぱ、にあわなーい」と・・・・
「ところで兄上」
「―何だ。カテリーナ」
廊下ですれ違ったところを、急に異母妹に声をかけられ、教理聖省長官フランチェスコ・ディ・メディチは、いかつめらしい顔を作った。
妹から話しかけられることなど、そうめったにないことだ。形式上は妹といっても、二人の関係はほとんど冷えきっている。なにしろ、彼女は国務聖省長官。教理聖省長官たる彼とは、ほとんど政敵の関係にあるのだから。
義兄の快いとは到底言えぬ表情を目の当たりにして、カテリーナは、彼から少しばかり目を逸らさずにはいられなかった。
「いえ、そう大した用ではありません。お引止めしてご迷惑をおかけしたのであれば、お詫び申し上げますが?」
「・・・む?」
いつもより幾分丁重な妹の発言に、フランチェスコはさらに顔をしかめた。
もっとも、侘びを口にしても、このまま立ち去らせてくれる気はないようである。フランチェスコが足を止めた隙を見逃さず、彼女は用意していた言葉をすらすらと読み始める。
「実は、兄上に少し確認しておきたいことがありまして。・・・・例の、ヒスパニア軍から送られて来たという罪人のことです」
「レオンコートのことか」
今更、彼―レオン・ガルシアについて、何を聞くことがあると言うのだ。フランチェスコはうんざりとした声を上げた。
「ええ。その者の処分について、今少し確認しておきたいことがございまして」
「あの者なら、今更確認せずとも最初から死刑と決まっている。ただ。少し処理に手間取ったゆえ、ここまで生かすことになっただけだ。今となってはもう、すべてが覆せん。たとえお前でもだ、カテリーナ」
妹が何を企んでいるのかは知らないが、釘を刺しておくに越したことはない。フランチェスコは、口調を強めた。
すると―
「では、彼の娘の処理のことも、お決めになったのですね?」
「娘?」
彼は、不覚にも思わず聞き返してしまっていた。
「・・・・ああ、あのキメラの小娘のことか」
「ええ。確か、まだ罰せられることなく、異端審問局に保護されていると伺ったのですが」
異端審問局―義兄が司る神の審判者たちの名を上げ、カテリーナは軽く小首を傾げた。穏やかな表情の中には、僅かなあどけなさですら窺える。
「あの小娘を裁くのは、レオンコートのあとだ。決議でそう決まっている。」
「では、まだ処罰されていないのですね?」
どこの決議でそう決まったのだ、という問いを飲み込んで、カテリーナは義兄に問い正した。
「・・・・ああ、そうだ。娘は現在、我が異端審問局の管理下にある。しかし、処分は決まったも同然だろう」
死刑、ではなく、処分。
その微妙な物言いを、カテリーナは心にしかと刻みこむ。
「分かりました。ありがとうございます、兄上。娘の処分が決まっているとあらば、私も心配することはありません。これで、5日後に安心して判決が出せます。お引止めして、申し訳ありませんでしたね。」
彼女は、義兄に一礼すると、僅かに彼女の身丈には余る赤い法衣の裾を引きずりながら、よそよそしい足取りで彼の横を通り過ぎた。
しかし―
「ああ、そうだ、カテリーナ。少しお前の意見を確認しておく」
「私の意見を、ですか?」
思いがけぬ兄の声に、カテリーナは驚いた声を上げずにすむのに苦労した。
兄が自分に意見を求めるなど、そうないことだ。普段から、彼女の出してきた意見にはことごとく反論し、潰そうとしてきたのだから。
「私に、何か?」
「いや、お前のことではないだ。ただ、聖天使城にここ最近のさばっている罪人がいると聞いてな。その者の処分についてなのだが」
意外すぎる。カテリーナは、意見を求める兄の顔をじっと見つめた。
その手の犯罪者の処理は兄の分野だ。まして、聖天使城の罪人となれば、おそらくは宗教犯。まず間違いなく、外交をつかさどる彼女の範囲ではない。
「そういったことでしたら、私などに聞かずとも、兄上が自分でお決めになればよろしいのではないですか?」
「いや、事は慎重を帰す。それにこういうことは、教皇庁内でも意見を統一させておいた方がいいと思ってな」
「はあ。でしたら、お聞きしますが」
どういう気まぐれだろうか。カテリーナは、眉を顰めずに入られない。
「その処理、とはまさか、かの者を死刑に処すかどうか、ということですか?」
「そうだ。奴らめ、無駄に食費だけかさむ収容者がいるので、死刑にしろと言ってきた。しかし、異端審問ではっきりとした判決の出てきていない者を死刑に処すのは、我が道義に反するのだ」
確かに、兄は冷徹な男だが、主に対する信仰心だけは、人一倍厚かった。そう、おそらくカテリーナ以上に。
そう考えれば、兄の奇怪な行動にも納得がいくだろうか。いや―
「申し訳ありませんが兄上、そちらは私には一切関係のないことです。異端審問局内で処理されるのがよろしいかと」
再び軽く義兄に一礼すると、カテリーナはその場からそそくさと立ち去った。
おそらく、意見を出してきた「奴」は異端審問局員なのだろう。まったく、彼らの抜け目のなさには、正直、気がめいる。
しかし、そんなことは今の自分には関係しない。
彼女にとっては、彼らがどんなに卑劣な手を取ろうとも、それが聖職者としての彼女に何の害も及ぼさなければ、それでよかった。
彼女にとって今、重要なことは、手持ちの札を増やすことにあった・・・・。
一方、カテリーナが立ち去った後のフランチェスコのもとには、一人の女性が駆け寄っていた。
「猊下、先ほどの件ですが」
それは、異端審問局副局長、シスターパウラの姿であった。
黒いストライプのスーツを着込んだ彼女は、一見、フランチェスコの秘書のように見えた。
しかし実際、彼女は、実戦でしかその才能を発揮できない局長に代わって、異端審問局を取り仕切る実質上の局長的存在であった。
「どうかしたか、パウラ」
「お困りとあらば、私にひとつ、名案があるのですが」
「何だ?申してみよ」
「これはあくまで私案としてお聞きいただきたいのですが、その者には、自殺していただくのが最適かと」
「・・・・どうやってさせるというのだ、パウラ。それとも自殺を装う気か?」
「いいえ。自殺はあの者たちに残された唯一の自由ですから。私たちにできるのは、その手助けをするだけのことです」
「では、お前にはうまくやれる手があるというのだな?」
「簡単なことです。ちょっとした特別処置ですよ。今日からのその異端者には、食事で固めのパンと、厚切りの肉を出すことにしましょう」
パウラの意図が分からず、フランチェスコは眉根を寄せた。
「どういうことだ?死ぬ前に慰みでもかける気か?」
「それもありますが、目的はそちらではありません。ただ、厚切りの肉を食べるには、どうしてもナイフが必要になりますね?」
「そうだが・・・・」
「そして、彼は高齢です。消化の悪いものは、体が自然と受け付けない」
「・・・・」
「彼が食事を残すようになれば、もう少し切れ味のいいナイフを支給しましょう。これは、彼への特別処置です。なぜなら、他のであれば、そのような助けがなくとも、死ぬことができるからです」
パウラは、先程のカテリーナのように、表情一つ変えずに、淡々と意見を結んだ。
「彼がどうするかは、彼の勝手です。私の認知するところではありません。ましてや、教理聖省長官たるフランチェスコゲイ猊下にも。ただ、異端審問局として、彼に最低限、生死の自由は与えるべきだと、私は考えているだけのことですので。」
〜あとがき〜
「フランチェスコさん、ありあえな〜い」
と、半ば思いながら書いた第2話です。
この後の展開のために、カテリーナさんをちょっと冷ために書いてみようと思い・・・・その結果、このようなことに(ナニ。
いや、でも彼は悪役であって悪役でないような人なので。きっと今の日本で首相になられたら、数々の急進的な改革を断行してくださることでしょう。多分・・・・。
その評価は、後々には本当に分かれる感じだけど、結局のところ、時にはこういう人も必要なんだな、と思われるような人なんですよ、きっと彼は。
・・・・と、おじさまをこよなく愛す私は思うわけですが。
政治的にいうと、カテリーナさんはどうしても「保守」というか、よく言っても「穏健」に分類されてしまうのではないかと思いますしね;
そして、目的のために、政治すら手段と使う非情さ。
しかし、そこまでしてやりたいことを持っている彼女は、ある意味幸せなのかもしれません。
と。いつになく真面目な話ばかりしてしまいましたが、今後二人の政治抗争を本格的におカタく描く・・・・なんてことはしませんので(っというか、私の力量ではとてもなので;)ご安心を(?)
ではでは;よろしければまた次の連載で〜
慧仲茜♪
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