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いつの間にやら机の準備されていた液晶画面のスイッチを、教授はポチッと押した。どこか間抜けな作動音とともに、その画面に見慣れた執務室の風景が浮かび上がってくる。
『―・・・ったく、教授にも困ったものですわね。あたくし、あの二人に同情いたしますわ。』
最初に聞こえて来たのは、いつもはおっとりとしたシスターの、珍しく不満げな声だった。
どうやら、執務室には今、ケイトが来ているらしい。あきれた顔で腕組みをしている彼女の後姿が見える。
『否定。ナイトロード神父ならびにヴァトー神父は、ミラノ公の危惧するとおり空室を狙って執務室に侵入し、国務聖省の重要な書類を盗もうとした犯罪者だ。そこになんら同情の入り込む余地はない。』
一方、彼女の発言をそっけなく切って返したのは、同僚の機械人形だった。
教授は、執務室の状況を知るために、これまたどこからか取り出したリモコンを使って、遠隔操作で盗撮機を操作した。画面が回転して、ケイトから傍らのトレスへとゆっくり映像を移す。
『まあ!それではトレス神父は、あの二人を犯罪者呼ばわりなさいますの!?なんて非道な方でしょう!どうせあの二人のことです。教授の口車にまんまと乗せられたの決まっています。まったく、いつまでたっても大人げない人なんですから。お二人のためにも、今度私の方から、教授に一言ご忠告を―。』
『まあまあ、二人とも。書類が無事だったのだから、その件については今はいいわ。』
言い合いをしていた二人の間に割って入ったのは、穏やかな上司の声だった。
ちょうどよく入って来た映像が、カテリーナの穏やかな表情を映し出す。意外にも、彼女は、怒っていないようだ。
『教授の自己中心ぶりは、今に始まったことではありません。まんまとのせられた二人の処分についてはおいおい検討することにして、まずはこの書類について何とかする方が先です。』
「ほう。」
言葉とともに彼女が手元から取り出した資料が映し出されるのを見て、教授がにんまりと笑った。目をきらきらと輝かせながら、リモコンで資料が鮮明に映し出されるまでの距離に盗撮機を移動させる。
『その書類、よっぽど重要な研究か何かでも載っているんですの?あのワーズワース博士がそこまで熱心になるだなんて。』
『さあ、どうなのでしょうね。私はこういった特異な書のことについてはあまり詳しくないので、何とも言えませんが・・ただ、この書類が出版されれば、話題になることは間違いないでしょうね。』
『そんな卓越した内容ですの?』
『卓越したというよりかは、奇抜と言うべきかしら。とにかく、あまりに斬新な内容だわ。わざわざ博士自ら出版にあたっての審査を要請してこられるだけのことはあるわね。』
『では、承諾なられるおつもりなのですね。』
『そうね。確かに、少々引っかかる内容がないこともないけれど、出版を中止させるほどでもないでしょう。そこを直してもらえば、出版については制限を加えないつもりです。ただ・・・』
順調に会話を進めていたカテリーナが、ふと言葉を濁した。どこか言いよどんだ様子の彼女に教授はますます興味を惹かれたらしく、液晶画面に備え付けられた小さなスピーカーに耳を寄せる。
尋常ならざる教授の興味の持ち様に、アベルが迷惑げに眉を顰めた。
『何か?』
『おそらくいないとは思うけれど、この内容をまともに取る者があれば、少々厄介なことになるかもしれないわね。ただでさえ、著者はあの高名なフィボナッチ博士ですから。』
「ん?」
しかし、アベル同様、教授も曇った表情をして眉根を寄せた。そんな師匠の表情を見て、ユーグが心配げに教授を見つめた。少し離れた壁にもたれかかって、静かに事の成り行きを見ていた彼は、盗撮機が送って来た画像も音声も全く分からなかったが、その場の不穏な雰囲気は感じ取ったらしい。
『でも、まあ、そんな者もいないでしょう。とにかく、早急に審査報告書を完成させて博士に報告せねばなりませんね。草稿のコピーに関しても、返還を強く求められていますし』
『随分と慎重ですのね。』
『それだけ、この本の内容については内密にしておきたいということなのでしょう。』
しかし、教授の頭をよぎった一抹の不安は消し去られることなく、執務室での会話はここで唐突に終了した。話を纏め上げようとカテリーナは、手にしていた書類の束を机の上で軽く音を立てて揃えると、執務室に集まってきていた二人に向かって言った。
『それじゃあ、私はこれから審査報告書のまとめに入ります。悪いけれど、二人とも席を外してくれないかしら。今日中には、なんとか完成させて博士に返事をしておきたいですし。』
『肯定。』
『ええ、では、失礼いたしますわね。』
忽ちにシスターの虚像が、風にかき消されたかのようにして消えた。
そして、時を同じくしてもう一人の神父も無表情に部屋のドアノブに手をかけようとしていたが―
『ああ、ちょっと待ってちょうだい、神父トレス。』
機械人形は、主の自分を呼び止める声にすばやく反応して、立ち止まった。
彼が機械人形でなければ、おそらく何か重要な任務でも申し付けられる事を予想したかのように、彼の目に鋭い光が映ったことだろう。
しかし、彼の予測に反して、カテリーナが申し付けたのはいたって単純な任務だった。
『さっきから私の周りでハエが煩いの。なかなかしぶといみたいだから、退治して行ってくれないかしら。』
『了解した。』
ぶおんっ
その瞬間、低い破裂音が教授の耳を劈いた。そして、それとともに
ザー
先刻まで鮮明な映像を映し出していた液晶画面が、電波嵐のように灰色く着色された。
どうやら、生真面目な機械人形は、命令が発せられた瞬間すぐに拳銃を引き抜き、その場から数10ミリ相当のハエをすぐさま打ち抜いたらしい。まさに神業である。
そして、その神業ゆえに、教授の新発明は逃げる隙など微塵も与えられず、あえなく散ったのであった。
「ええーっと、教授・・・これは一体どういうことなんですかね?」
アベルが、引きつった笑顔を浮かべながら教授に問うた。すると、教授も同じくこれまた引きつった笑顔で返した。
「どうやら、まだ改良の必要性があったようだねぇ・・・ははは・・・。」
冷や汗を顔じゅうに浮かべながら、教授はどこかぎこちない声で笑った。あきれ果てたアベルは、傍らのユーグに視線を移した。先ほどからずっと沈黙を続けている弟子は、心なしか翡翠色の瞳に困惑した色を浮かべているように見えた。
しかし、教授の切り替えは素早かった。二人がそうこうしている間にも、いつの間にやら、からっとした笑顔を取り戻してしまっていた。
「よし、それで、次なる手なのだがね―。」
彼はまた朗々と語り出した。その姿は、むしろやけ気味になっているように見える。
アベルは、そんな彼のことをすっかり無視して、ユーグに問い掛けた。
「ねえ、ユーグさん?私たち、いつまで教授の泥棒ごっこに付き合わされるんでしょう?」
「・・・俺に聞かないでくれ。」
さすがに、わずかに困った表情でユーグは答えた。
「だって、ユーグさん、教授の数少ない賛同者なんでしょう?だったら、教授から何か聞かされてたりとか、してるんじゃないですか?」
「いや、その点については君と同じだ、アベル君。俺も今日の昼間にいきなり師匠に呼び出されてこうなったに過ぎない。」
「ええっ、じゃあ、なんでユーグさんは何もないのに教授に付き合ってるんですか?」
「日頃のツケだ。」
そっけなく回答した弟子の声は、心なしかくぐもって響いていた。
「師匠には、日頃大変お世話になっている。特に、一年半ほど前の四伯爵の件では、特に。だから、そのツケで俺は、今もこうして教授に尽くしている。」
「ってえ、あの時のツケに関しては確か、年末のラボの掃除で解消されたんじゃ・・・?」
「どうやら、それで全部ではなかったらしい。」
即答してみせた弟子を唖然としてアベルは見つめた。
そんな過去のツケをいまだに弟子に払わせつづけているだなんて、どうしようもない人だ・・・
彼は一体、どれだけ弟子をこき使ったらすむのだろうか?
「あの、ですね、ユーグさん・・・。」
アベルは慎重に言葉を選びながら、ユーグの肩をぽんと叩いた。突然のことに、ユーグが少し訝しげな顔をしたが、アベルはかまわず続けた。
「この際はっきり言いますけど、何も教授にお世話になっているのはユーグさんだけじゃないですから。」
「?」
「教授の天才的な頭脳には、カテリーナさんやトレス君やケイトさんや私だって、じゅーぶん恩恵にあずかってるんです。」
まあ、半分以上は迷惑の方が勝っているんですけど、とアベルは口の中で呟いて補足する。
「ですから、何もユーグさんだけが負い目を感じることはないんです。そりゃあユーグさんは、義手のメンテナンスとかあって、教授にはお世話になっているかもしれませんけど、それならしょっちゅう壊してはメンテナンスをしてもらってるトレスくんだって一緒なんですから。だからここは・・・。」
「つまり、君は今ここでこれ以上師匠に付き合うな、とそう言いたいわけか?アベル君?」
「そっ、そーですよ、そのとーりです!なあんだぁ、ユーグさん、分かっていらっしゃるなら・・・。」
「確かに、その点については俺も同感だ。ここでこれ以上つきあっても、なんら有益なことはない。」
「そーですよ。っていうか、最初から私たちに有益なことなんて何ひとっつもなかったんですから。いやぁ、分かってもらえてうれしいなぁ・・・」
「確かに、これ以上作戦を続けても、教授に不利益が重なるだけだ。」
「はい?」
なんだか論点がずれてはいないだろうか?アベルは慌ててユーグの真顔を見た。
「書類盗難容疑に、発明品の損傷。これだけでももう師匠は随分と被害を被った。これ以上続けても、これらが改善されることはないだろう。ここはひくべきだ。」
「はあ、なんだかよく分かりませんが。とりあいず納得していただけたなら、それで・・・。」
「では、この隙に逃げるとしようか、アベル君。」
「そうですね。」
二人は足音を立てないよう苦心しながら、そっと出口に向かって歩き出した。
しかし、そんな二人に全く気がつくことなく、教授は一人講義を続けていた。
「おおっそうだ、これはいい!そうは思わんかね、二人とも。いや、思うだろう、絶対に!それで、このプランについてなのだが・・・」
一向に話の止むことない教授を放って、二人は静かに部屋のドアを閉めたのだった。
to be continued…
〜あとがき〜
また少しご無沙汰を始めてしまいました。
連載中はなるべくそうならないようにと気をつけたつもりだったんですが…あうっ
もし、待っていてくださった方がいらしたなら、本当にごめんなさい。
というわけで、ようやっと奪取作戦の続きをアップです。
原作のAM5あたりをご存じない方には、最後のほうの会話ははてなマークだったかもしれませんね。内輪っぽいネタでごめんなさい。
ユーグって、実は過去にはすごく教授に恩を受けているんですよ。
こんなお茶目な教授も、やるときはやる方なので(笑)
それはそうと…
本当に今更になりますが、つい先日、トリブラのドラマCDをゲットいたしまして。
ついに聴いてしまいました、オーヴァーカウント!
あ、補足しておきますと、手に入れたのはアニメ以前に出たラジオドラマ版のドラマCDです。
アニメ放送期に出たアニメ版のキャストの方ではございませんので、そこはどうかご注意を。
ちなみに、内容はAM2のサイレントノイズとオーヴァーカウントでした。
まあ、目的はっていうと、前々からうわさに聞いていた、オーヴァーカウントにあるオリジナルストーリーが聴きたかったからなんですけどね。
何でも、ブラザーマタイ氏とブラザーアンデレくんが出たらしいじゃないですか!
しかも、アンデレくんは、腹黒上司…もとい、作戦実行中の上司、マタイ氏にあわや殺され(?)かけたところをトレスくんに助けてもらったとか。
ええ、確かにありましたね、そんなストーリーが!
ちょうど、原作のストーリーの間を挟む形で、彼らの死闘が繰り広げられていました。
しかも、アンデレくんを演じていらっしゃるのが、今をときめく(?)・・・ある種の世界でのミスター主人公(笑)、福山潤さんというじゃありませんか!
福山さんの演じるアンデレくんは、なかなかかわいかったですね。
敵(?)なのに、ついほほえましい目で見つめてしまいます。
まあ、しかし、このドラマCDの見所はもっとほかにもあったんですけれどね。
魔術師とか、魔術師とか、魔術師とか…(苦笑)
…と、話していくときりがないので、とりあいず、今はここでとめておきますね。
続きはまた、次回…?
それでは、この連載話のほうも、もうそろそろ終わりが見えてきたころかな…?といったところで。
また次回も、お目にかかることができれば光栄です。
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