それは、遠き昔の、あるべき国の物語。


愛し合う、2人の男女がいた。
片方は諸国を旅する一座の、過去を知らない、華麗な舞姫。
もう片方は、その国の高貴な立場につく、孤独な青年。
宮殿で催された己の誕生会で、しかも余興にと舞を見せられただけなのに…たった一度だけ視線が交わった青年と女は、運命に溺れるように恋に落ちていた。
いつも会うのは、決まって夜遅く。人知れず抜け出し、何度も逢瀬を交わし、いつしか2人は互いになくてはならない存在となっていた。

そうして、女が青年から大事なものを貰ったのは、熱く抱き合い夜を過ごした、何度目かの夜明け。
「気に入ってくれた?」
「えぇ…えぇ!すごくっ。どんな宝石よりも、どれほど高価な衣装よりも、嬉しいわっ」
「よかった。ねぇ。いつか、君を迎えに行くよ。これはその証。再び出会ったその時は、結婚、してくれるかい?」
「…はいっ。それまで私は、変わらず貴方を思い続けます」
「約束だよ。私の『    』」

だけど、それは彼と彼女が共に過ごした、最後の夜でもあった。

覚えているのは、悠久の星がきらめく、夜明けの近い紺色の空。
そして、優しい貴方との、たった一つの約束………。


「…愛しています……『    』」

偶然にも同時に発せられた呟きは、決して声になることなく、夜の闇に飲まれ、跡形も無く消えていった。






 バルスブルグ教会、深夜。
誰もが深い眠りにつき、一人もいないはずの図書室に、3人の影があった。
「くわぁっ…ねみー」
「静かにしてください。幽霊が逃げるかもしれないでしょう」
「幽霊って逃げるのかなぁ」
「知らねー。それより、俺はもう寝たい」
昼の白い法衣ではなく、黒の衣装を纏ったカストル&ラブラドール両司教は、文句を言うフラウを引き摺り、例の幽霊が出るというあたりへと向かって行った。


―――発端は、昼間。
テイトの部屋から帰ってくるなり、フラウはカストルから強烈な蹴りを貰うハメになった。
「バカですか、あなたはっ!」
「ぐはぁっっ」
床に倒れたフラウは、近くにいた2人にすがるような視線を向けた……が。
「申し訳ありませんが、フラウ司教。俺は貴方の弁護に回れません」
「ごめんね、フラウ。僕も同じ気持ちなんだ」
全然申し訳ないと思えない、クール顔と笑顔で拒否され、フラウはがっくりと項垂れた。
仕方なくカストルに説明を求めると、ため息混じりに彼は教えてくれた。
「何をしたかは知りませんが、顔に書いてますよ。『ひどいことした(かも)』って」
「っ?!」
「大当たりですね。カストル司教」
「まったく。何のために行ったのか、わかりませんね」
「テイト君のことだと、フラウは本当に顔に出やすいねぇ」
ラブラドールは慌てるフラウを見て、くすくすと笑った。そんな彼らの後ろに、何やら黒いものが見えるのは……気のせい、だと思いたい;
「それで?テイト君から探し物のために夜更かししている、っていうのは聞けたんですか?」
「な、なんでお前がそれを知ってるんだ?!」
「ラブラドールから事情を聞きました」
「は?ラブが何だって?」
「気付かなかったんですか……まぁ、いいです。ラブラドールは何日か前、テイト君からある人の失くしたものを探す手伝いをしてあげたい、と相談を受けたそうですよ」
カストルの言葉に、言わなかったのは彼から口止めされていたから、とラブラドールは申し訳なさそうに付け加えた。
驚いたフラウは、その探し物とは何か、と尋ねた。
「詳しくは知らない。だけど…『目に見えないもの』だって」
そして、それはおそらくその人にとって大事な相手との思い出のようなものなのだ、と推測されるとラブラドールは言った。
「……それって、誰だ?」
「僕らの知らない人だよ。旅の途中の踊り子さんだって。偶然知り合ったみたい」
「………女、か…」
「落ち込んでいる場合ですか」
カストルが思わず突っ込んでしまうほどわかりやすく落ち込んでいると、黙っていたハクレンが、躊躇いがちにフラウに話しかけた。
「あの、フラウ司教」
「あ?」
「これは想像でしかないんですが。テイトとその女性には、おそらく恋愛感情はないと思います」
断言したハクレンに、フラウは冷たいものの、訝しげな目を向けた。
「何故、そう思う?」
「それは…テイトは多分、愛や恋といった感情は知りません。だけど、本人は気付いていないものの、おそらくは……」
「はい。そこまでだよ。ハクレン君」
にこりと笑うラブラドールがハクレンの言葉を遮った。突然のことに驚きはしたものの、ハクレンもそうですね、とそれ以上は言わなかった。
「とにかく。テイト君のことはハクレン君に任せて、気にかける程度に様子を見ましょう。今は、先にやらなければいけないことができてしまったようですので」
言うと同時に、カストルは一枚の紙を取り出した。フラウが行っている間に使いが来て、上層部が彼ら3人に『用事』を言い付けたらしい。
「先程話していた、幽霊の噂。覚えていますね」
「当たり前だろ。まさか、そいつを退治しろ、ってか?」
「ご名答です。しかも、早めに、とのお達しですよ」
また増えた仕事に、フラウは頭の痛くなる思いだった。
そんなフラウを横目に、カストルは、今日の夜はお休みにします、とテイトへの伝言を頼んでハクレンを部屋へ返し、この場はお開きとなった。
そういうわけで、今に至る。


「…けどよ。幽霊なんて、本当に出るのか?」
「知りませんよ。ジオ様は噂を何とかしろ、とおっしゃっていたそうですから」
「いるかどうか、まずは確認ってことか」
「受験生が大勢来ていますからね。何か支障があると困るでしょう」
「ただでさえ、最近使い魔(コール)の動きが活発になってきてるしね。不安なんだよ」
もっともな言葉だ。ここ一月、教会内で見かける使い魔の数も増えたし、フラウの夜の仕事も少しだが増えている。各地区から預かっている司教候補生たちに何かあっては大変、という教会の意向は当然というものだろう。
過労で倒れたらバケてやるっ、とボヤくフラウを強引に引き摺って。3人は目撃情報があった場所へと辿り着いた。
シン、とした空気の中に佇むのは、彼らの何倍も背丈のある左右に展開した本棚たちだけ。他には特に何も見当たらない。
「…いない、ね」
「だな。やっぱガセか」
「……どうも、そうではないようですよ」
カストルの言葉に緊張の色が帯びる。彼の視線を辿ると、今まで何もなかった空間に、白い影が浮かびあがっていた。
「あれが、幽霊ってわけか」
「けどあの気配…」
「どうやら、使い魔、のようですね」
身構える3人の前で、幽霊は少しずつ形を成していく。
輪郭はぼやけているものの、それは小柄で長い髪の、多分『女』であった。
「へぇ、美人じゃねーの」
「バカな事言ってると、テイト君に嫌われますよ」
「もう嫌われたんじゃないの?」
「……ラブ。さり気にお前ひどいよな;」
「そこがラブラドールの良い所です」
軽口を叩いているものの、警戒は解かずしかと幽霊を見据える。輪郭が曖昧なそれは、しかし気配こそ使い魔の感がするものの、彼らの知る形とは違っていた。
「…おい。あいつ、向こうが透けてねぇか?」
「確かに。使い魔より、幽霊が正しい表現ですねぇ」
「だけど…気配は使い魔だね。どういうこと?またミカゲ君の時のような?」
「ですが、ここにはテイト君はいませんし…何だか大人しい方みたいですね」
ただ静かに立ってこちらを見ている幽霊に、そんな評価が下された。

だが……それは、次の瞬間唐突に覆された。

どこからかガタっと音がいくつも聞こえたかと思うと、本棚に並ぶ大量の本が勝手に引き出され、空中に浮いた。
同時に、風もないのにふわりと幽霊の髪がなびく。手と思わしきパーツが3人に向け持ち上げられる。
そして――何冊もの本が一斉に彼ら目掛けて飛んできた。
「うわっ!どこが大人しいんだっ、カストル?!」
「おや。私は『みたい』と言ったんですよ。断定した覚えはありません!」
「あぁっ、昔っからお前ってそーゆーやつだよな!!」
怒鳴りながら、フラウとカストルは猛スピードで飛来してくるそれらを避ける。
図書室の本は、はっきり言ってかなり分厚い。しかも、角が金属で補強されているのが多い。
フラウは急に背筋が冷え、顔を青くした。
(当たったら、確実に、死ぬっ!!)
先程から既に数箇所、黒い裾布がざっくりと切れている。これが自分に当たったら、と考えると、冗談ではない。
しかし、襲撃が止む気配はなかった。
いっそのこと、右手に熱をもって疼く鎌で切り裂いてやろうかと思った。
そのとき……ピタリと攻撃がやんだ。
現況を窺えば、幽霊は動きを止め、じっとしている。
驚いたフラウたちの耳に、綺麗な音の流れが聞こえた。
「………歌?」
聞こえてくる微かな旋律は、低くなく高くなく、柔らい暖かさと深い淋しさを秘めている。
「大丈夫?フラウ、カストル」
「えぇ。ラブラドールも怪我はないようですね」
「…おまっ、ズリぃぞ。一人隠れて」
避けるのに疲れたフラウが近くの棚影からひょこりと出て来たラブラドールに悪態をつく。彼の方はフラウに微かに笑いかけ、それから幽霊の方を指した。
視線を向けると、彼女は頭を抱え、苦しいのか低く唸り声をあげていた。
どんどん透明度が増し、影が薄くなっていく。

「……―――っ……『    』……」

何か声にならぬ言葉が口から紡がれる。そして幽霊は、そのまま溶けるように消えた。
あの歌も、もう聞こえない。
ラブラドールは、読み取った唇の動きから、幽霊の言葉を声に出す。
「”会いたい”…だって」
「誰に、だ?」
「わからない。名前の部分はかすかにしか動かなかったから」
首を振るラブラドールに、フラウは気にすんな、と声をかけた。
「そういえば、フラウが聞いた歌というのは、先程のあれですか?」
「あぁ。確かにあんな曲だったが…なんか違ったな」
「違うの?」
「お〜…曲調っていうの?どうも違うんだよな。声の高さも、いつもはもっと高くてキーンとした感じだし」
考え込むフラウに、側にあった床に落ちた本を拾い上げ、カストルが話しかける。
「しかし、会いたい、ですか。あの人は誰かを探しているんでしょうね」
「女の人だし…恋人とか?」
「もしくは、子供か友人、母親…」
「だ〜ぁっ!教会内だけで何人いると思ってるんだよ?!」
がなりたてるフラウに、カストルもラブラドールも同じ思いなのか、今だけは否定しなかった。
そうして多少冷静さを取り戻したフラウは、この状況に思わず舌打ちをした。
「ちっ。本当に出るなんて、厄介なことになっただぜ」
「しかも、手掛かりは『なし』に近いですしね」
「わかってるのって、彼女が出始めた時期と場所、くらいだよね」
あとは、どうやら『女』であるらしい、ということ。
…とは言うものの、やるしかないということにかわりはなく。
次から次へと起こる厄介事に、気を抜けば際限なくため息が出そうで。3人はそれぞれ頭を痛めた。



「ところで……この散らかした跡を片付けるの、誰だと思ってやがるんだあの幽霊は?!」
「口を動かす暇があるなら、手を動かしなさいね」
「早くしないと、寝る時間なくなるよ」
「……〜〜〜っ、クソ!次会ったら、覚えてやがれ!!」






〜あとがき〜
あ〜…まだ続くのね、とこっそり自分で泣きそうになりました(ォィ
今度はテイト君が出てこないです。えぇまったく。それでもフラテイと言い切りますっ。
さてお次はテイト君です。あと2回って言ったんですが……4回くらい続くかもしれない(泣)