ミスティとテイトは、あの夜以来毎晩遅くに会っていた。
テイトが捻り出した時間を使って調べたその日の成果を報告し、ミスティは諦め気味の笑顔でそれを聞く。
しかしテイトが悲しそうにするので、後は旅の話をしてくれたり、歌と舞を見せてくれたりした。
そうやって、2人が出会ってから5日の時が過ぎた。
そして、テイトが倒れる前の晩。
限界が近付いているのか、テイトがうとうと眠りかけていた時、《それ》は唐突に現れた。
「テイトくんっ。だいじょ……」
『お前が、我が主の眠りを妨げる者か』
伸ばしたその手を鷲掴みにし、《テイト》はミスティを見上げた。
その瞳は鮮やかな赤。右手の甲には、光り輝く真紅の石。
「……っあなた、さまは!」
『我を知っているのか。…ふむ、見覚えのある顔だ。が、あの死神共の知り合いというわけではなさそうだ』
不敵に笑う少年は、ふと目を眇めて、驚き震える彼女を観察した。
『……ほぅ…お前、人ではないな。だが、……』
「わかっておりますっ。どうか、その先は言わないでくださいませ。ミカエルさま!」
彼女の懇願に、テイトの姿をしたモノ――《ミカエル》は、ふっと薄く笑った。
『まぁいい。しかし、その体でよくいられるものだ。そのような例は、見たことがない』
「…私も、驚いています。まさか今になって、この体でここにいられるとは思いませんでした」
『これも、運命の悪戯か…はたまた、天上の采配か。皮肉なものだな』
果たしていつまでそうしていられるか、と《ミカエル》は静かに零した。
ミスティは、何かを堪えている苦しげな顔で、《ミカエル》を仰いだ。
「お願いですっ。この子があなた様の主だと知らず利用していることは、お詫び申し上げます!だから、今はどうか見逃していただけませんか?もう少しだけ、時間をください!あの方の下さったものを、取り戻したいのです!」
祈るように手を組み、ミスティは神へと願う。その必死な様子に、《ミカエル》はようやく彼女のことを思い出した。
『……あぁ、思い出した。「あの時」の娘か』
「……っ覚えて?!」
『覚えている。…いいだろう。願いを聞いてやる。主もそれをお望みだからな。それに、別にお前を滅そうと思って出たわけではない。主が気付かぬとはいえ、「この状態」であることを何とかしたかっただけだ』
それもどうにもならないが、と憮然と言うミカエルは、表情を改めると、畏まるミスティに冷たく告げた。
『だが、言っておく。主に決して、お前の意思で、危害を加えるな。そうしたときは最期だと思え』
「…お言葉、胸に留めておきます。ありがとう、ございます」
頭を垂れる。頭を上げたとき、《ミカエル》はふわりと笑顔を浮かべた。
『それと…思いがけぬ場所で、懐かしい顔を見れたこと。嬉しく思うぞ』
言い終えると同時に、すぅっと意識が引け、後には眠るテイトが残された。
「ごめんなさい。テイトくん」
口をついて出たのは、謝罪の言葉。嬉しさと悲しみが混じった、複雑な表情。
ミスティは抱えた頭の黒髪を優しく撫で、今はただテイトが眠りから覚めるのを待った。
†
フラウは誰もいない回廊を早足で歩いて、少し前にようやく知った受験生部屋へと辿りついた。
ところが、扉をノックしたのに、いくら待っても何も聞こえない。
それでも再度ノックをし、意を決してフラウは扉を開いた。音も立てず体をそっと中へと滑り込ませる。
ベッドの側に行くと、テイトはそこで静かに眠っていた。
幼くあどけない寝顔。華奢な体に、普段よりも透き通ったきめ細かい白い肌。なまじ整っている容姿は、精巧な人形か本物の少女と見間違ってしまいそうだ。
そんな彼を、日差しが暖かく包み込んでいる。まるで、お伽噺の眠り姫のようだと思った。
自然とテイトの隣に腰掛ける。フラウの体重を受けて、ベッドが軋んだ。それでもテイトは起きる気配を見せない。
(顔色悪ぃ……無茶したんだな。こうやって寝てると、可愛いのに…。しっかし睫毛長いな。本当に女みてぇ)
くせのない艶やかな黒髪に、そっと手を入れた。極上の絹糸のようで、さらりと指の間から零れ落ちる。
「……てぃ…さ……」
赤く色付く唇から、言葉にならぬ小さな声が漏れた。
寝言とはわかっているものの、フラウはそれが自分の名前でないことに不快感を覚え、次いでテイトの顔の両脇に手をつくと、そっと口付けを落とした。
(……って、俺は一体何やってんだか…)
寝込みを襲ってしまったことに、少しばかり罪悪感が芽生え、フラウは舌打ちをした。
何故そうしたのか、自分の気持ちはわかっている。自覚も…ある。
テイトが好きなのだ。保護者とかそういう立場でなく、恋愛で。
だが、死神である自分が、この失くし過ぎた天使の少年に、それを告げていいものか―――迷いは、未だ胸の内だ。
「……あ、れ?ふら…う…?」
その時、寝ぼけ眼をこすってテイトがようやく起きてきた。
「悪い。起こしちまったか?」
「んーん。だいじょーぶ」
優しく撫でてやると、まだ寝惚けているのか、自分から擦り寄ってくる。
あまりの可愛さに抱きしめたくなる衝動を抑えながら、フラウはここへ来た目的を果たそうとした。
「ぶっ倒れたんだってな。ハクレンがまた寝てないって言ってたぞ」
「うっ……」
「前に言わなかったか?眠れない時は、俺ンとこに来いって言っただろうが」
不機嫌も露に言うと、テイトは気まずい顔をした。
彼の言う通り、今までにあったことが原因で、テイトは眠れないことが何度かあった。
そういう時必ずといっていいほど、テイトはフラウの元へ身を寄せていた。もっとも大抵の場合、使い魔退治で帰ってきたフラウが、眠れずぼーっと廊下を彷徨っているテイトを見つけ、有無を言わさず部屋に引っ張りこんで共に寝るのだが。
「……別に、寝れなかったわけじゃないし」
「は?じゃあ何か?連続徹夜するような暴挙を、自分からやったってわけか?馬鹿だろ」
「馬鹿ってなんだよ?!」
「馬鹿は馬鹿だろ。それとも、阿呆と言ってやろうか」
「だって………っ?!」
起き上がった瞬間、くらりと目眩がして、テイトは体のバランスを崩し、フラウに抱き留められた。
「ほれ、みろ。無茶するからだ」
「……うぅ…っ」
くすっと笑いながら言ってやると、抱え込んだテイトは唸り声をあげた。黒髪から覗く耳は赤い。
(いつもこれだけ素直だと、もっと可愛いんだがなぁ)
思いがけず、抱きしめる腕に力が入る。ずっとこうやっていたい、と思った。
テイトはというと、それが意外にも暖かくて、ぎゅっと目の前の白い法衣を握り締めた。
しばらく2人の間に、沈黙が流れる。どこか穏やかで、甘やかな雰囲気だ。
(…ってか、オレ何やってんだ?!)
急に気恥ずかしくなって、腕を突っ張ってフラウの体から離れた。フラウもそれに逆らわず、テイトを解放してやる。
「ハクレンが心配してたぞ。カストルもラブも」
「……フラウ、は?」
「あ?」
「…いや。なんでもない」
覗き込んだ顔は、淋しそうで。フラウは、嬉しさに緩みそうになる己を抑えて答えた。
「心配しなきゃ、ここに来てねーよ」
ばっと顔をあげたテイトに、笑いかける。すると、テイトも微笑み返した。
「で、何で寝てねぇんだ?」
「…………」
「じゃあ言い方を変えるが、夜寝れないなら、寝れるまで昼寝しろ。お前は、受験生だろうが。時間ないからってただでさえ無理してるのに、少しでも寝ないと背も伸びねぇしまた倒れるぞ」
「わかってるっ。っていうか、さりげに小っさいっていうな!心配してくれるのも、嬉しい。だけど、今は…できないんだ」
真剣な翡翠の瞳と、蒼紫の瞳が、交差する。
「探し物が、あるんだ」
何かは聞かないで欲しい、とテイトは言う。フラウは少々苛立ちを含ませ聞き返した。
「それは、お前が体を壊してまでやることか?」
「わからない。けど、何かがオレに訴えてるんだ」
テイトの脳裏に浮かぶのは、先程も見た夢の残滓。
豪華な衣装を纏った、寂しげな青年と……彼が唯一心を寄せ、優しく微笑む女性。
2人の思いは強く、それはきっと『 』と呼べるもので……だけど、叶わぬ夢の果て。
最後に映るのは――いつだって、暗い場所で光る、彼女の涙の欠片。
「もう少し、今しかないんだって感じるんだ。あの人のために……っ?!」
突然、両手を拘束され、後ろの壁に押し付けられて、テイトは言葉を詰まらせた。打ち付けた背中が、少し痛む。
顔をあげれば、驚くほど近い距離にフラウの真剣な顔があった。思わず頬を赤らめてしまい、見られまいと俯く。
離れて欲しい、と頼むため慌てて彼の名を口にしようとしたが、それよりも早くフラウが口を開いた。
「あの人、だと?自分のためじゃないのか?」
冷ややかな口調。驚いて顔をあげたテイトの前には、見たことの無い、冷たいフラウの顔。
「そう、だけど……」
「わざわざ、自分じゃない、赤の他人のために、お前はそんな状態になってまで、探し物をしてやるのか?」
「そ、そうだよっ。だって、放っておけなかったんだ。それが、何か悪いことなのか?!」
「…誰だ、そいつは?」
「聞いてどうするんだ?」
「いいから、答えろ。誰だ?」
「……別に、いいだろ!フラウには、関係、ないっ」
戸惑いながらもそっけなく答えたその瞬間……テイトはフラウを初めて『怖い』と思った。
瞳に、一切感情が見えない。まるで、知らない人がそこにいるような、錯覚まで覚えた。
そのフラウは、目の前が暗くなったような気がした。激情が、高まりすぎた。
彼が自分自身を無視してまで、何かをしてやりたいと思うほど、大切な存在
それだけで…それが自分でないというだけで、そうなるには十分だった。
「あぁ、そうかよ!だったら、勝手にしやがれっ!!」
怒声が部屋に木霊する。そして、バタンっ、と大きな音がして、扉は閉められた。
「…くそっ。俺は一体何やってんだっ」
苦虫を噛み潰した顔で、フラウはそう毒づくと、荒く足音を立てて元来た方へと歩き出した。
一方、部屋に残されたテイトは、ややあって呆然と呟いた。
「なんで……わけ、わかんねぇ」
込み上げてくるものがあって、テイトは無意識の内に胸元を握り締めた。心臓が、いたい。
ぽたり、と落ちた水滴は、シーツに吸い込まれて影を作った。
〜あとがき〜
微・フラテイ…不良消化な気がして仕方ないです(泣)あと、2,3回で終わると思います。
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