「すみません、お待たせしました。―あら?もしかして、取り込み中でしたか?」
あらぬ方を向いていた神父を見て、シスターベアトゥリスは、少し気まずげに声を上げた。
「すっすみません。私ったら、タイミング悪いんだから・・・・上司の方と、お話中だったんですか?」
申し訳なさそうな目が、トレスに向けられた。
「いや。話は済んだところだ。卿の気にする必要はない、シスターベアトゥリス。」
「そ、そうですか。よかったです・・・・」
ぎこちなく頷くと、彼女は、神父を見た。
未だ神父の表情は、全くといっていいほど変わっていない。相変わらず、作り物めいて無表情なままだ。
そんな彼の姿に少し滅入りそうになりながら、彼女は気を奮い立たせていった。
「あ、あの。今、いいですか。話の、続きなんですけど・・・・」
「俺は構わないが、卿は何か思い出すことがあったのか?」
「い、いえ・・・・そうではないんですけど・・・・。」
神父の顔をまともに見ていたら、何も言えなくなりそうだ。彼女は、わざと少しうつむいた。
「先ほどの、謝罪をしようかと思いまして・・・・。その、すみませんでした!私、大人気(おとなげ)なくも、急に怒ったりなんかしてしまって。神父様は、わざわざ教皇庁からお越しいただいたというのに、あんなにも、ヒステリックに怒鳴ってしまって・・・・。お恥ずかしいことです。」
この場にシスターケイトがいたら、「そんなことありませんわ!どうか、気にしないでください。」と言ったことだろう。しかし、そそくさと姿を消してしまった彼女の代わりに、この場に残っていたのは、無情な機械人形だった。そして、彼ならば、シスターベアトゥリスの謝罪に対し、さしたる気遣いの言葉もないだろう、
―と思われた。
いや(ネガティヴ)。卿の反応はいたって通常的なものだ。それに、それによって俺が被った被害はゼロだ・・・・卿の謝罪することではない。」
「えっ?」
あまりにも意外な言葉に、彼女は驚いて顔を上げた。
相変わらず、神父の表情に変化はない。いや、彼女と目が合った瞬間、一瞬だけ、彼の表情に戸惑いの色が走ったように感じたのは、彼女だけだろうか。
しかし、彼女の驚きは、それだけではすまなかった。
「俺の方こそ、すまなかった。謝罪する、シスターベアトゥリス。」
何の前触れもなくそう言うと、神父は彼女に頭を下げた。
戸惑ったのは、彼女の方だ。
「そっそんなっ!神父様がお謝りになることなんて何もないのですっ!ですからっ、どうか、顔をお上げになってください!」
彼女は混乱しきった様子で、かろうじてそう告げた。彼女の声に反応して、神父はようやっと頭を上げた。―その瞬間、彼女と目が合う。彼女は、なぜかドキリとした。
「ほ、本当に、お気になさらないでください。今日のことは、全て私が悪いのです。神父様は、本当にどこもお悪くなんてありません。ですから、どうか。」
懇願する彼女に対し、この無表情な神父は珍しく戸惑っているように見えた。
いや、あるいは実際に彼は戸惑っていたのかも知れない。なにしろ、彼自身が言うように、彼の中には、このような突発的状況に対処するだけのマニュアルなど入っていなかったのだから。
「・・・・俺も少し話しすぎた。今日のことは、どうか忘れてほしい。」
もし彼が本当の人間であったなら、この言葉はより聞き取りにくい、ボソリとした口調になっていたことだろう。しかし実際、機械人形としての彼の思考は、そこまでのコントロールをする余裕をもっていなかった。
「ええ、もちろんです。教皇庁の調査事項ですもの。まちがったって、誰かに告げたりすることはいたしません。それより・・・・
その、真実を教えてくださって、ありがとうございました。」
彼女は、言葉を告げるや否や、この神父に向かって頭を下げた。
さすがにこれには、機械人形も戸惑った。何しろ、このような事態など、彼のプログラム化された思考の中では、予期されていなかったのだから。
「卿にとっては、知らない方が幸せなことではなかったのか?」
「確かに、このまま知らずに一生を過ごしたなら、こんなに悲しむこともなかったでしょうけど・・・・でも、これがあの子たちの行く末だったのでしょう?ならば、それをきちんと見届けるのも、あの子たちの育ての親であった私の務めですから。むしろ、教えてくださったことに、感謝していますよ。」
そう言って彼女は笑った。もっとも、その笑顔に力はなかったが。
「でも・・・すみません。今日は、バレー教授のことを聞きに来られたんですよね?でも、私、あの方とはそんなにお会いしたことがなくて、先ほどお話した以上のことは、もう―。」
申し訳なさそうに、彼女はうつむいた。
「・・・そうか。」
何を言われるんだろうか。彼女はびくびくしながら、相手の返答を待った。もしかしなくても、わざわざここまで来て収穫ゼロという事態に、彼は内心がっかりしていることだろうに。
「ならば、仕方がない。協力に感謝する、シスターベアトゥリス。」
「い、いえ?」
意外にあっさりとした反応に、彼女は拍子抜けした。
無表情な神父の顔は、先ほどまでと少しも変化していない。そう、たずねてきたときからずっと!
(この方って・・・・本当に大物なのかも・・・・。このポーカーフェイスぶり・・・・まるで機械みたいだわ。)
そういえば、返答もどこか機械じみているしね、そう思って彼女は心の中で少し笑った。
そんな、機械だなんて。この神父様に失礼じゃない。
「そういえば・・・・情報は何も差し上げられませんけど・・・・よかったらこれ、持って帰ってくださいませんか?」
彼女はそういって、どこからか詰め合わせのボトルを持ってきた。
「それは何だ?推測するに消毒液の類か―」
「そうです。消毒液です。バレー教授がくださったんですよ。でも、孤児院が子どもたちでいっぱいだった頃には、重宝していましたけれど、今はもう、私一人では使いきれませんし・・・・それに、もしかしたら、何かの手がかりになるかも・・・・って、そんなわけないですか。」
コツン、と握った手で軽く頭をたたいて、ボケツッコミを披露する。
「どこでも売っているような商品じゃ、意味がないですよね。これは、ドメネック製薬ですか?そう、あの方が持ってきてくださるのは、いつもここのものでした。きっとあの方って、この会社の社長さんと知り合いか何かでいらっしゃるのね。本当に、使い切れないほどに持ってきてくださって・・・。」
「それはいつのことだ、シスターベアトゥリス!」
「え、ええ?っと・・・・。」
急に神父が声を荒げたので、彼女はびくりとした。
「えっと、確か・・・・そう、本当に最後にお会いした数回くらいですよ。たくさんいただいてしまったから、おすそ分けです、とおっしゃっていました。」
「協力に感謝する、シスター。」
彼の目が、心なしか鋭くなった気がした。
そのまま彼はしばし沈黙した。何を考えているのだろう?
ただ、こちらから話しかけるのも無粋な気がして、沈黙を守っていると―
「ところで、卿の行為からは、出かける前と比べて随分心境の変化がうかがえるが、シスターベアトゥリス。」
「はっはい?」
何かまだ、聞き忘れたことでもあるのだろうか?
すっかり話を終わらせたつもりでいた彼女は、不意打ちを食らって心臓が飛び跳ねそうな思いを感じた。
「何か、心境を変化させる要因でもあったのか?もし何かあれば、回答の入力を。」
「え、ええ。まあ、あったといえば、あったのですけれど・・・・」
偶然出会った男のことを、この神父にどう話そうか。すぐに話をまとめることが出来ず、彼女は少し迷った末にたどたどしく話し始めた。
「じっ実は、途中で親切な方と出会いまして。その方の行為を見て、なんだか自分がやっていることが恥ずかしくなってきてしまって・・・・。」
「親切な人物?差し支えなければ、詳細の入力を。」 どうやら、この人間的感情の変化に、この機械人形はバックアップすべき価値を生み出したらしい。
しかし、なぜ彼はこんなにも彼女の私事のこだわるのだろうか。首をひねりながらも、差し支えのない範囲で彼女は語りだす。
「ええと・・・・その、転びそうになったところを、助けていただいたんです。その上、私を気遣って軽食にまで誘っていただいて・・・・本当に紳士的な方でした。何でも、地方の劇団員の方だそうですよ。今度このバルセロナで公演されるとか。名前は確か、イザ・・・。」
彼女がそう言いかけたときだった。
<神父トレス。早急にミラノ公からの帰還命令です。新たな指令が入りました。そちらの任務は後任に任せて、すぐにローマへ帰還せよとのことです。>
否定(ネガティヴ)任務(ミッション)は既に終了している。後任を要請するつもりはない。これより、直ちに帰還する。」
<えっ、ええ?本当に終了されたんですの?>
「問題ない。これよりバルセロナを出立する。」
「もう・・・・帰られるんですか?」
トレスがほとんど強引にケイトとの通信を打ち切ったときには、ベアトゥリスがどこか不安げな表情で彼を見つめていた。
「ああ。帰還命令が入った。卿とはこれで別れだ、シスター・ベアトゥリス。」
「そう、ですか・・・。」
心なしか、残念な思いが、このシスターの頭を駆け巡った。
出会った頃には、思いもしなかった感情だ。まさか、自分がこの無慈悲な神父に、一塁もの寂しさを覚えることになるなど!
しかし、だからといって彼を引き止める理由など、彼女にありはしなかった。
たとえ、普通の客を迎えたときのように、「もう少しゆっくりしていけばいいのに」と言ってお茶を差し出そうとしても、彼はきっと、片手でそれを断るだろう。
「それでは、今日は、はるばる遠方までご苦労様でした。」
そういって彼女は、神父に頭を下げた。誠心誠意をこめて。今度こそ、本心からの礼であったと、彼女は後に思い返すことになるだろう。
「卿も、協力に感謝する。」
神父は、軽いねぎらいの言葉ともに、彼女の前から姿を消した。
しかし、彼の姿が見えなくなってから、彼女ははっとした。
「そういえば、さっきの質問、答えがまだ途中で―。」
あわてて神父を追いかけようとするも、すぐに彼女は足を止めた。そんなものは、神父と別れたくないと思う自分の勝手な感情に過ぎない。彼だってきっと、話の続きを告げにやってきた自分を、困った目で見つめることだろう。
彼女は、神父が帰っていった道に背を向けて、家の中に入った。

その名を告げることが、彼らにとってどんなに重要な意味を持っていたかなど、生涯、彼女には知る由もなかった―。








〜あとがき〜

・・・といったところで。
まあ、最後は少しとってつけたような展開になってしまいましたが。
ようやっと一日の出来事が終わりましたね;ふう、長かったあ(←数回しか連載してないくせに何を言うか。
でも、ジャンプとかを、こまめに雑誌連載で読んでたりすると、こういうことってよくありません?
物語上ではほんの数時間前のことなのに、私的にはもう半年も前のことに感じてしまう・・・それもそのはず、だって、その数時間前の話が雑誌に掲載されたのは、実際に半年前のことなのだから!みたいな(苦笑
テニプリとか、ワンピなんて、特にそうじゃないですか。
シングルス3から始まって、最後のシングルス1に来た時には、もう桃ちゃん試合したのどんだけ前だよ、そういえば、ゴールデンペアって勝ったんだっけ?とか(←すでに、試合結果すらうろ覚え
ワンピなんて、一日たった時にはかなり状況変わってたりするんで、(敵陣に乗り込んでいった日とかは特に;
もうすでに、数時間前に何があったか忘れてます。
物語の中では、ほんの少し前に登場したキャラクターなのに、
なんだよこいつ、ようやっと再登場かあ、とか(笑)

ま、それはともかく;

このお話。
これで終わってしまえば、めでたしめでたしなんですけど。
実は、これでは終わらせません。
まだ続きがあります。
この話のちょっとした種明かしのようなものです。
(と、言っても、サイレントノイズをお読みの方には、もうお分かりかと思いますが・・・)

魔術師に、夢を持ってくださっている方なんかは、もしかすると逆に読まないほうがいいかもしれません。
彼が紳士的に振舞うのには、実は何かしらウラがある、という話です、多分・・・

と、言うわけで。
次回、本当のラストは、特にRAMでは定番だった、魔術師と人形使いの会話で、しめたいと思います。
よければもう少しお付き合いください
                                             慧仲茜♪