その日、人形使いが、主が帰ってきたばかりの一室を訪ねたとき、部屋の主は、自慢のシガリロをくゆらせながら、朝刊に目を通していた。
主は、許可もなしに部屋へ入ってきた侵入者に、さしたる気も配らなかった。気づいていながら、彼のことをまったく無視しているのである。まるで、彼と話をするよりもよっぽど面白い話が、朝刊に書いてあるかのように。
しかし、そんな主の態度などどこ吹く風で、人形使いは主のもとへ歩み寄った。
―そういう態度に出るのは、決まって彼が、相手をからかうネタを持ち合わせている時だった。
「やあ、グーテンモルゲン、イザーク。バルセロナからはいつ帰ってきたんだい?随分と早かったじゃないか。」
待ちわびた旧友と再会したときのような口調で、再会の喜びを述べると、ディートリッヒは、相手に天使のような微笑を与えた。
だがしかし。むろん、相手の反応は何もない。
まあいい、それは彼も予定済みだった。むしろ、ここまでの流れ相手がすんなりと顔を上げ、来訪者に少しでも言葉を返していたなら、さも驚いた表情を作ったに違いない。
そこで彼は、「予定通り」、次の言葉を紡いだ。
「君の現地での活躍は聞いているよ。何でも、教皇庁の職員にいじめられて家を飛び出したシスターを、助けてあげたそうじゃないか。君にしては、また随分と紳士的なことをするんだね。」
からかうような若者の口調に、部屋の主―魔術師はようやっと新聞から顔を上げた。声のする方に振り返る。彼の腰掛けるソファーの背もたれに両腕を乗せた状態の、若き人形使いが視界に入る。
「女性には礼節を持って接するものだよ、人形使い。」
さしたる感情もこもらぬ声でそういうと、彼は少し呆れ顔で侵入者を見た。
「君は、そんなつまらない話をするために、私のところへ来たのかな。」
「冗談!今のはほんの挨拶さ。でも、君の気を引くには十分だったようだね。」
ディートリッヒは、いたずらの成功した子どものように、愉快に笑った。
「・・・・私に何の用だね、人形使い?」
「大した用じゃないさ。君にとってはね、イザーク。僕はただ、そういう他愛もない噂が、君を苦しめる武器になることもあるって、忠告しに来ただけさ。」
「噂?」
隙あらば朝刊に目を落とそうとする魔術師に、しかし決してその隙を与えず、人形使いは話し続ける。
「君がバルセロナで偶然出会ってちょっと親切にしてあげた女性、誰だか知ってる?」
「ああ。運命とは時に数奇なものだ。彼女は、あのシスター・ベアトゥリスだった。」
「そう、君がバレー教授の依頼でハメてやった修道院長。子どもを奪われた張本人とも知らないで、呑気に礼なんて言っちゃって、そいつもつくづく不幸だよねえ。しかも、本人は全く気づいていないっていうし。」
「彼女が気づかないのも、無理のないことだよ、ディートリッヒ。何しろ、私が彼女と実際に会うのは、これが初めてなのだから。」
「とか言って、本当はわざとなんだろう?自分がハメてやった人間の顔を拝んでみたいだなんて、随分と君らしいじゃないか、イザーク?」
暗に彼の性格的欠点を指摘されたことが、お気に召さなかったようだ。魔術師は、まだ吸いかけのシガリロを灰皿に押し付けると、少し口調を強めた。
「どんな誤解をしているのかは知らないが、私と彼女が会ったのはあくまで偶然だよ。何も私が仕組んだことではない。」
「まあ、君がどう弁解しようと勝手だけどね。ただ、いくら君がそう言おうとも、全く耳を貸さないやつもいるっていうのは、覚えておいた方がいいね。そのシスターが、教皇庁にどんな貢献をしたかを、君はまだ知らないようだし。」
人形使いは、自分の主導のもと会話が進んでいることにこの上ない喜びを感じながら、じらすようにして話を続けた。
「君が彼女と「偶然」にも出会ったとき、彼女はちょうど教皇庁からの客人を迎えていたところだった。しかも、彼は国務聖省長官直々の来訪者。内容は・・・・もう分かるだろう?」
「彼らがバレー教授を血眼になって探し始めて、もうじき2ヶ月になる。そろそろ、何らかの成果を挙げていてしかるべき頃だろう。」
「本来であればね。しかし、残念ながら、大した成果は上がっていない。そこでだ、ちょっとでも教授のことを知っている人間を、彼らは当たり始めた。その一人が彼女だったわけさ。」
「それで、彼女がどんな重要な秘密を知っていたとでも?」
その魔術師の問いに、ディートリッヒは軽い嘲笑をもって答えた。
「もっているじゃないか。彼女は他ならぬ、教皇庁にとってのA級テロリストとの接触を図っているんだから。」
「彼らにとってはそうであっても、彼女にとっては、あくまで地方の劇団の大道具係だ。そんなところからでは、足がつくことなどあるまい。」
「まあ、そうなんだけどさ。」
あくまで頑なに自らの非を拒否する魔術師に、ディートリッヒは極めつけの言葉を放った。
「でも、君はもう一人見落としているよ。彼女は、教皇庁にとって今最も重要な人物と繰り返し接触を図っているんだ。」
「・・・・彼女が、バレー教授の裏家業について話したことを言っているのかね、君は?」
「なんだ、知ってたのか。つまらないな。」
人形使いは、既成事実だったことに肩透かしを食らったらしく、顔をしかめた。その間にも、魔術師は折りたたんだ新聞に再度目を落とし始めている。
「いずれはわかることだと思っていたよ。むしろ、あちらにしては手間がかかりすぎていたくらいだ。それで?教皇庁は、バレー教授のダミー会社を見つけたのかい?」
「ああ、早速、部下をスパイとして送り込んでいたよ。」
「バレー教授も、もう終わりだな。」
かつて手を組んでいた相手に対し、魔術師の感想はそっけなかった。むしろ、今日の朝刊の方が、彼の執着心をひきつけているようにすら映る。
そんな彼を、人形使いはどこか楽しそうに見つめて言った。
「そんな呑気なことを言っていていいのかい?」
問い詰める彼の目はどこか生き生きとしていて、微笑みすらうかがえる。まるで、目の前の獲物をいたぶることを楽しむ獣のようだ。
「今回のバレー教授の失墜は君のせいだ、って言ってる奴もいるよ。そのうち、会議で議題にされちゃうかもね。」
「彼の失墜を私のせいにされても困るのだがね。これはあくまで彼個人の問題だ。私の関与によるところではないよ。」
「君にとっては、ね。でも、どうやら彼女(・・)にとってはそうじゃないらしい。」
含みのあるその言葉に、魔術師は些かうんざりした様子で腰を上げた。彼らしくもなく、会話の途中で逃げ出すのかと思いきや、再び深く腰を下ろす。彼にとって、彼女―騎士団幹部ヘルガ・フォン・フォーゲルワイデは、厄介な存在らしい。
「彼女は、何かといつも私のせいにしたがる。いちいち反応していたのでは際限がないよ、人形使い。君も少しは学んだ方がいい。」
「そうかい。君こそ、そういう、無関心な態度が、彼女を余計に怒らせていると僕は思うけどね。きみもさ、一応組織の人間なら、もう少し協調性ってものがみせられないのかい?」
「組織など、あのお方の前では意味を持たない。そんなものに必要以上にこだわって、何の意味があると言うのかね。
それに、彼とのビジネスから手を切ったのには理由がある。」
「ふうん?」
ディートリッヒは、どこか胡散臭げに魔術師の方を見た。その目は、この姑息な詐欺師の口から、今度は一体どんなペテンが飛び出すのかと疑わんばかりだ。
「彼は、我々の理想とは少々違う方向に向かおうとしている。これは、重大な契約違反だよ。我々は、彼の気高い革命意識のために、その投資を行ってきたのだから。」
「君の口から、そんな崇高な言葉が出るなんて思わなかったな。」
人形使いは、素直な感想を述べると、ふと窓の外を仰ぎ見た。
「ほら、見てみなよイザーク。君のせいで、今日は大雨でも降りそうだよ。」
「君まで私のせいか。伯爵夫人も君も、責任転嫁もいいところだよ。」
あきれて魔術師は、珍しく溜息をつく。この困った若者の存在は、例の幹部同様、彼なりに負担でもあるらしい。
「まあ、教授を放置することが我々にとって害になる、ともし彼女が言うのであれば、彼をこの手で始末しても構わないのだがね。」
「そうだよ。君はいつもちゃんと後片付けをしないからね。たまには尻拭いさせられる人間の身にもなってみたらどうだい?」
「君に言われる筋合いはないがね。散らかし癖がわるいのは、君もおなじだろう、人形使い?」
「まさか!一緒にされちゃ困るね。僕は、君とは違う。最初から、片付けることなんて考えちゃいないよ。そう、すべて壊してしまえば、修復の必要もないからね・・・」
人形使いの言葉に、魔術師は賞賛とも非難ともつかぬ表情を向けた。こういうとき、この男は何を考えているのか分からなくなる。そう、誰にとってもーたとえ、この人形使いであっても。
しかし、人形使いは、そんなことを気にしたことは一度もなかった。彼にとって、この騎士団最高幹部の同意を得るなど、些細で無意味なことだ。
そして、魔術師もそのことを十分に承知しているらしかった。
「まあ、彼女がそういうのなら、この手で後始末をつけるとしよう。・・・そうだな。それも悪くあるまい。」
「なに?何かいいことが浮かんだのかい?」
むろん、魔術師の言う「よいこと」とは、悪いことに決まっていたが、人形使いは気にしなかった。
彼は、興味津々で、天真爛漫な子どものように目を輝かせる。
「そうだ、言い忘れていたが、バレー教授の件には、もうじきに決着がつく。あのシスターのおかげで、いいシナリオが書けそうだよ。」
「一度ならずも二度までも助けられるなんてね。君もつくづく運がいいね。でも、そんな彼女を、今度の件で君はあっさりと見殺しにするんだろう?」
人形使いは、何が気に入ったのか、どこか嬉しそうに問う。
「見殺しとは人聞きが悪いな。これは彼女の運命だよ。その日、その場所にいた全ての人間と同様の、ね。」
冷たく笑う魔術師の口元には、ひとかけらの哀れみもない。むしろ、盤上で駒を動かすチェスの名手が、勝負の全てを手中に納めたときのような・・・・
人形使いには、あの悲劇的なシスターの、絶望的な最期が目に映った。

そして数ヵ月後―
バルセロナは、突如として崩壊する。そして、その混乱に乗じて西の大国ヒスパニアが攻め込み、カタロニア王国は滅びの道を辿ることになった―
ところで、そのバルセロナを一種にして崩壊させたのは、一体、何であったのか?
詳しくは分かっていないが、どうやら、わずか一度の攻撃であったらしい。
そう、まるで、大きな大砲が撃たれたような。
その一撃で、出来の悪い映画のワンシーンでも見ているかのように、全てが一瞬に崩れ去ったのだという・・・・








〜おわりましたぁっ!あとがき★〜

注釈書、ってものがあるらしいですよ、アポカリプス(ヨハネの黙示録)には。
そして、その作者は、リエバナ出身の神父、ベアトゥスというらしい。
実は、これが今回の話の根底であったりします。

っというわけで、みなさまお疲れ様でした〜
無事、連載終了することが出来ました!!
ぶっちゃけ、どれくらいの方がついてきてくださったんでしょうね(え。
前回のようなギャグものじゃないと、どうもそういうことを気にしてしまいます。
しかも、最後なんかモロ趣味はいりまくりで。
こういう二人好きです。イイ感じの会話じゃないですか★もっと嫌味の押収してほしい〜(え。
あと、最後には、魔術師の永遠のライバル(?)氷の魔女こと、フォーゲルワイデ伯爵夫人も話に出ましたが。
この二人の対決も好きなんですよね〜水面下の嫌味合戦(笑)
二人の対決も一度書いてみたいです。そして、一度くらい伯爵夫人を勝たせてあげたい(え、無理???

魔術師って、どうも好き嫌いがかなりあるらしいですが。
私なんかは、たまらなく好きです。何しでかすか分からなくて、話しを面白くしてくれそうでvv
皆様、拒否反応が出る方もいらっしゃるかもしれませんが、
魔術師がいなければ、ROM6巻の混乱はないですよ!
彼は、12時間と言う時間が必要な、それだけのために、一国を滅ぼそうとしたんですよ!
そんな面白いことを、彼じゃなくて誰がしてくれますか?

・・・まあ、もちろん、実際にそんな人がいたらイヤですけどね。そりゃモチロン。。。

と、いうわけで、賛同してくださる心優しいいい〜方は、ゼヒご一報ください。掲示板じゃなくても大丈夫ですので、多分。(え。

っというわけで、皆様、本当にここまでありがとうございました。良ければ、また次作もお付き合いください(ペコリッ
では☆

慧仲茜♪