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バレー教授が彼女の経営する孤児院を訪ねて来たのは、まさに彼女が金銭的な経営難から孤児院の行く末を案じていたそのときだった。
―『失礼ですが、お嬢さん。サン・マルティン・デ・トゥリエノ孤児院というのは、こちらで
よろしいですかな。』
ゆったりとした口調のもと、その好々爺たる笑顔を差し出して来たのは、紛れもないあの有名なバレー教授だった。
ジェームズ・バレー。数多くの企業を束ねる資産家であった彼は、仕事を後任に委ねたあとも、その所業で世間から目を離させはしなかった。
何でも、昔から子ども好きで知られていた彼は、引退後はその資産を惜しげもなく注ぎ、身寄りのない子供たちを引き取っては自らの経営する孤児院で世話を見ているとか。実際に彼が慈善活動を行っている様子を、彼女は幾度となく新聞で目撃してきた。
そして彼女自身、全くの他人ながらもそれなりの尊敬の念を抱いていたものだった。
そんな彼が、まさか目に前に現れる日が来ようとは!
―『えっ、ええ、そうですわ。』
―『すみませんが、院長はどちらにおられますかな?』
―『院長をお探しなら、私ですが・・・?』
―『ああ、これは失礼。ではあなたが院長のシスター・ベアトゥリスでいらっしゃる?
いやはや、予想以上にお若いのでびっくりいたしました。お初にお目にかかります
ね。』
―『はっはい・・・』
あまりの驚きでまともに言葉も返せない自分を恥じながら、彼女はまじまじと老年男の顔を見つめた。それを相変わらずの笑顔で受け返すと、かの有名人はゆっくりと頭を垂れた。
―『我が名はジェームズ・バレー。実は本日は、貴殿の経営する孤児院の子供たちの
ため、支援を申し出るべく伺った次第でして。』
「そのお話というのが、子供たちの後見人となることの申し出だったんです。はじめのうちは、孤児院の支援という風におっしゃっていました。実際に、孤児院は経営の危機だったわけですし、私自身、こんな話、正直、真夏に天から雹が降ってくるくらい突拍子もなくて、ありがたすぎるものでした。」
しかし、実際のところ支援はうまくいかなかった。このところの不況で、カタロニアは突然のインフレ状態。支援金と経済状態がたちまちにいたちごっこをはじめてしまい、彼女はどうにも立ち行かなくなってしまった。
いや、実際のところ、原因はそれだけではなかったようで、彼女が経営難に陥った背後には、当時彼女に何かとちょっかいを出していた時の権力者、トレド大司教エリパンドゥスの差し金があったということを、後に彼女はバレーの口から聞かされた。
とにかく、困った彼女は、決意せざるを得なかった。
こんな不安定な国に子供たちをおいては置けない。いっそバレー教授に引き取ってでももらわねば、自分では子供たちを養っていける余裕などもはやなかったのだ。
―『あっあの、バレーさん、子供たちのことなんですけれど・・・。』
出すぎた申し出であったことを、彼女自身、痛感してはいた。しかし、そうすることが子供たちにとって最善であることを悟ってしまった以上、彼女には言葉を続けるしかなかったのだ。
―『実は、お願いが・・・』
しかし、彼女の申し出は、彼の片手によって意図も簡単に制された。
そして彼は、出会ったときの好々爺たる表情のままで、告げたのだった。
―『そうですな。ここは、子供が住むにはあまりに居心地が悪すぎる。どうせなら、
ほかに行きましょう。そうだ、私が最近新たに買い入れた土地がありましてね。
なに、そこが予想以上によい土地なのですよ。アルビオン本国からは少し離れて
しまいますが、なかなかに穏やかな離れ小島でして。』
「!」
その瞬間、この神父の目に何か鋭い光のようなものが映った気がして、彼女はびくりと体を震わせた。
「な―っ、・・・何か?」
「・・・いや。引き続き回答の入力を。」
「え?・・・はい。」
回答の入力なんて、ずいぶんと変わった言い方をするものだ。普通に「続けて」とでも言えばいいではないか?
「はっ、はい・・・。それで、バレー教授が子供たちの引き取りを申し出てくださったので、私は教授に子供たちをお任せして、リエバナを去ったんです。とはいっても、私も、いつかはまた孤児院を開くことを考えていましたから、リエバナを出たのも、あの土地を売ったのも、その資金のつもりでした。・・・って、こんなことを言っても、信じていただけるかわかりませんが。」
「否定。卿の発言は、いたって的を得たものだ。新たな孤児院経営のために、土地を売り、児童を手放して資金を得る行為には、なんら矛盾は見られない。」
「はあ・・・?」
何だ?さんざん人のことを疑った後は、懐柔する気か?
しかし、男の行動に彼女が面食らっている間にも、男は彼女に尋問することを怠らなかった。
「それでは、児童を引き渡した際のバレー教授の行動について聞きたい。教授は卿に、児童の行き先について何と説明した?」
「え、ええっと・・・確か、アルビオン王国領内にある、離れ小島で、・・・ええと、確か、ネ、ネ・・・なんとかランド島だったかしら?そんな名前だったかと思うんですけれど?」
「・・・了承した。」
その瞬間、目の前の神父の目に、ランプのような赤い光がともったかのように見えた。
・・・いや、まさかそんなわけがない。機械じゃあるまいし。
「何か、その、わかったんですか?」
怪訝そうに彼女が問うと、神父は相変わらず冷淡な態度のまま、そっけなく答えた。
「いや、卿の今の発言によって、事実確認が取れただけのことだ。」
確認が取れた―・・・・十分なことではないか!
彼女は、機械的に発せられた言葉に少し期待を抱きながら、矢継ぎ早に言葉を発した。
「では、私はこれでもうよろしいでしょうか?もうそろそろ買い物にも行かないと・・・。」
「それでは、卿はこのように考えたことはないのか?“バレー教授は、最初から卿の経営する孤児院の児童が目的で卿に近づき、手に入れるために、卿の孤児院を経営難に陥らせた。”」
「な―っ、何を急におっしゃるかと思えば・・・バレー教授に対して、無礼にも程がありますわ!」
せっかく終わりかけていた会話を再開され、彼女は胸を撫で下ろしたのも束の間、再び声を張り上げた。
しかし、男は彼女の反応にさしたる気も止めぬまま、再び念を押した。
「質問名回答がまだだ、シスター・ベアトゥリス。それでは、卿はそのようなことは考えもしなかった・・・そう、とってかまわないな?」
「あっ、当たり前ですわ!どうしてバレー教授ともあろうお人が、そのようなことをしてまでして、私を嵌めなければならないのです?そもそも、子供がほしいのであれば、何もそんな手間取ったことをせずとも、いくらでも手に入るじゃありませんか!?」
言ってしまってから、自分がどんなに非常識で残酷なことを言ってしまったのか、彼女はようやっと気づいた。
どうやら、少し感情的になりすぎてしまったらしい。
しかし、その発言をさも真剣に受けとめたらしい神父は、軽く頷いた後、こう語った。
「確かに、卿の言うことは一理ある。実際に、バレー教授はそういった手段を取って児童を集めたこともあった。」
「そういった手段って―」
「しかし、裏ルートを使って手に入ってくるのは、いずれも裏社会を知った汚れた児童ばかりだ。おそらく、そういったものではない児童を彼は欲したのだろう。」
「それで、慈善かを装って、子供たちを集めていた・・・そうおっしゃりたいわけですのね。」
「そうだ。」
「しかし、それは穏やかな話ではありませんわね。それじゃあまるで、バレー教授が子供たちに何かしたみたい。・・・いえ、実際に何かなさった、と取るべきでしょうか?」
もはや、この神父の言うことなど真剣には受け止めまい―彼女は、皮肉めいた視線を神父に向けた。
しかし、そんな彼女の意図にはまるで気がつかなかったのか―あるいは知って惚けたのか。神父はいともまじめに答えたのだった。
「それは俺の口からは言えない。卿にはその情報にアクセスする権限がないからだ。」
―“権限がないからだ。”
その言葉が、彼女の中で重苦しく何度も響いた。
「権限がない・・・か、さすがは教皇庁。噂以上の機密主義ぶりだわ。でも、正直ひどいわよね、私はこれでも、あの子たちの親代わりだったというのに、あんな酷いことばかり言われた上に、詳しいことは何ひとつ教えてもらえないなんて・・・」
恨みつらみ呟きながら、彼女は、華やいだバルセロナの通りを下っていた。
いつもの見慣れた通り道だ。それなのに今日は、なぜだかとても鬱蒼として見える・・・・そう、まるで嵐の前触れに山の果てが赤く燃えて映るような、そんな・・・
―それで、大概の状況は飲み込めたか?シスター・ベアトゥリス。了解したのであれば、
卿が知っていることを全て話してもらいたい。
不意に神父の声が、彼女の耳を打った。はっとして彼女は振り返る。心臓が一気に跳ね上った。
・・・・もっとも、そこには誰もいなかったが。
「そっそんなわけないじゃない・・・いくらあの神父様といえども、黙って私の後をつけるなんて、そんな酔狂なことするはずが・・・・。」
しかし、彼女はその疑問に真っ向から否定の言葉をかけることができなかった。それくらい、あの神父の圧倒さといったら、もう―
―もう一度だけ言う、シスター・ベアトゥリス。卿が、ジェームズ・バレーについて知って
いることを―
―知っていることを―
「ああんっ、もう、いやだ!」
彼女は、耳鳴りのように響き神父の声を掻き消そうと、靴音も高く、坂を下っていった。
疾走する街の情景が、だんだんと歪んでいくのが分かる。これはもしかして、自分は泣いているのか?
だとしたら、そんな姿を誰かに見られるのは真っ平ごめんだった。特に、あの神父には!
―卿の児童は死んだ。
―殲滅されたんだ。
彼女は、ふと目に飛び込んできた路地裏の抜け道に、その身を滑り込ませた。多分、そこなら誰も人はいまい。涙が収まるまでの避難場所にはうってつけだ。
早馬のように盛大な音を立てて、彼女は闇の中に身を委ねた。
・・・・つもりだった。
「・・・―っ!」
その瞬間、突如として視界に飛び込んでいた黒い障害物に、彼女は勢い余って顔から衝突した。
走ってきた反動もあったのだろう。彼女は、そのまま背中からのけぞった。
否―。
「・・・・て?」
黒い物体から何やら救いの手らしきものが伸びてきて、彼女の体を支えた。
「?」
彼女は、目を丸くして、その黒い障害物を見つめた。
ようやっと暗闇にも慣れてきた目が、その物体の詳細を鮮明に移し始める。
「って、ええ!?」
そう、それは壁でも障害物でもない。れっきとして、一人の人間だった。
そして、その人間が、背中から地面に激突する運命にあった彼女の後方に、腕を回して助け起こしたのだ。
「あっ、ありがとうございます・・・・。」
彼女は、はっと我に帰ると、慇懃に頭を下げた。
まさか、こんな路地裏に人がいるとは思わなかったのだ。その油断が、彼女に周囲を見回す意識を失わせてしまっていた。
「すみません。私ったら、前も見ずに・・・・。」
「いえいえ、こちらこそ。ご通行を妨げることになってしまいましたね。大丈夫ですか。」
柔らかな物腰の言葉とともに相手は、白いハンカチを差し伸べてきた。
白い手袋をした大きめの手が、暗闇の中で仄白い光を放っているかのように映った。
「あ、いえ、そんな・・・・。」
ぶつかってきたのは自分の方なのに・・・・
そんな罪悪感からなのか、いらぬところで、彼女は反射的に後ろに一歩下がった。
男は当惑した表情をした―、かのように感じられた。
もっとも、男の顔が見えていたわけではない。そう感じたのは、二人の間に流れた、しばしの間が、彼女にそう判断をさせたからだ。
しかし、やがて彼は一歩前に歩み出た。再び、二人の距離が以前と同じだけに戻る。
そして、その瞬間、上から差し込むわずかな光が、今まで決して見えることの叶わなかった男の姿を映し出した。
それは、喪服じみたスーツを着こなした、背の高い奇妙な男だった―
〜あとがき〜
こっ、こんにちはです・・・(おずおず)
企画ものをやっていたせいか、まさかこんなにあいてしまうとは思わず(反省;
久々に真面目ものに帰ってきました。お帰りなさい、私。
(なんて、同じことはコバルト系の某作家さんなんかもおっしゃってた気がしますが。)
いよいよ、次回本格登場です。いらっしゃい、魔術師!
自分的には、私の描くどの作品にも、もういっぱい登場してるつもりなんですが、
(むしろ、しすぎ!ぐらいな勢いで;)
実際、発表してる中では、これが始めてみたいです。ふーん、なんか、意外です。(オイ
なので、もしかしたら、今後、出すぎ!なくらいに出ちゃうかもしれません。
そんなくらい、彼は、私が密かに愛情を持っている方です。どうぞよしなに。
しかし、そんな彼と、ドラマCDで彼を演じる速水さんについては、今回はまだ書きません。
重役はトリ近くということで・・・・(笑)
今回は、音楽です。
無難なところからきますね(笑)
音楽に関しては、正直、あまり期待していませんでした。
やはり、ドラマCDということがありますし、(しいては、ラジオドラマということも。)
やはり、どうしてもテレビ放映よりも、こじんまりとしたものなんじゃないかな、なんて、勝手に思い込んでたんです(何を急に専門家みたいに;)
テレビ放映が終わった後にドラマCDになるものにしても、テレビ版とはBGMを変えてたりしますし。
しかし、やっぱり映像がない分、雰囲気って演技以外では音楽が決め手になるわけで;
その意味では、思っていたよりずっとよかったです。
すごく、壮大な感じの音楽で!
特に、オルガンが頻繁に出てくるあたりは、中世ヨーロッパな感じを醸し出しているのではないかと。
アニメのものも、もちろんよかったんですが、こちらもまた一味違う感じです。
ちなみに、サイレントノイズで流れていたオルガン曲は、実際に作中で出てきたバッハの曲なのかどうか、気になりました。
本当だったら、凄いですね。でも、似たような曲調ではある気がします。
あと、音に関して言えば、
トレスくんが、肯定、否定と判断する際に機械音を鳴らしているのは、アニメが先行の私には、何とも新鮮でした。
最後に・・・
某声優さんではありませんが、雰囲気をふいんきだと思っていた人!
実は、私もそうでした。
(いや。分かってるんですけど、さっきもついそう打ってしまいました;)
それでは。よろしければ引き続きお付き合いくださいな。
慧仲茜♪
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