その男は、今は無き血の丘ヴェール・ヘジェンの上から、じっと興廃したイシュトヴァーンの町を見つめていた。
その姿は小柄ながらにもたくましさを宿しており、見るものを圧倒する。刈り上げられた短い黒髪に、やや濃いめの眉に縁どられた緑の眼窩は、狙いを定めた肉食獣のように、鋭い光で街を捉えていた。
しかし、その男の表情には、わずかながら翳りがうつっている。あるいは、それは放心と呼んだ方がよいかも知れぬ。
そして、それゆえにか。彼は、いつの間にやら後ろに立っていたものの存在に気づくことが出来なかった。
「ねえ、君?そんなとこで何してんの?」
突然に声をかけられ、男はゆっくりと顔を上げた。男の焦点の定まらぬ目が発言主を見る。
「やあ、久しぶりだね。」
視線が合うと、いつの間にやら現れた青年は、久々の再会を喜ぶように悪戯っぽく笑った。
確かにそれは、男にとって見覚えのある顔だった。青年は鳶色の瞳をきらきらと輝かせながら、白い麗貌を男に向けている。久しぶりに見た彼は、以前見たときと少しも変わることなく、絵画に描かれる天使のように美しかった。
しかし、そのような条件をもってしても、男は突然旋風のようにして現れた青年に、さして驚きはしなかった。
「お前は・・・。」
「びっくりしただろう?君がいない間に、この町も、君の大切なご友人も、大変なことになってしまったね。」
「ああ、そのようだな・・・。」
気のない口調で男は返した。
確かに、この青年と自分は知り合いで無いわけではない。しかし、それがどの程度のものであったかといえば、本当にごく形式的なものに過ぎなかった。
彼とは、依然一度だけこのイシュトヴァーンの街で会っただけだった。久々に町に帰ってきてみれば、驚くほどに町は変わっていた。そして、同じく変わり果てた彼の友人が、新しく雇い入れた技術者だと言ってこの青年を紹介したのだ。
彼とは、そのとき以来だ。決して親しい仲ではない。ましてや、その友人も亡くなった今になって、再会をこんな大げさに喜び合うほどでもない。
「しかし、そんなことはお前には関係ないだろう。電脳調律師プログラマー、ディートリッヒ・フォン・ローエングリューン。お前こそ、こんなところにいつまでも居座って、一体何のつもりだ?」
男は、先刻町に向けていたのと同じく鋭い目つきで、この雇われの技術者を見た。その反応に、青年は大げさに肩をすくめた。
「いやだなあ、それはお互い様ってもんでしょ?僕だって、お得意様のジュラに死なれちゃったんだ。君同様、途方にくれちゃったってわけだよ。」
「うそをつけ。だいたい、このご時世に貴重な電脳調律師プログラマーに職がないはずがあるまい。お前、今度は一体、何を考えているんだ?」
前にあったときにも、この青年は男の気にくわなかった。どこか自分以外のすべての存在を馬鹿にしているように見えるし、何より、何を考えているのか全く読めない。彼が本当に男の友人−ジュラに忠誠を誓っているのかは、まったく疑わしいものであった。
そんな思いから訝しげな目で男が問うと、青年は美しく口元を綻ばせた。
「手厳しいなぁ、君も。でもまあ、安心してよ。これ以上君たちのいざこざに付き合う気はないからさ。お迎えが来るのに時間がかかってしまってね。それで待っていたら君を見つけたって訳さ。―そう、大切なご友人に死なれて、途方にくれた君の姿をね。」
「―貴様ァ!!」
その瞬間男が向けたのは、人間にしてはあまりに早すぎる一振りだった。一般のものであれば、この行動で彼の正体に気づき、おびえて逃げ出していたに違いない。
しかし、超人的な能力を持つ長生種メトセラの一振りも、若者はそよ風でも吹いたかのような身のこなしで避けた。
「なっ・・・」
男の顔に驚愕の表情が浮かんだ。
馬鹿な!そんなはずはなかった。短生種テランなどとは比べられぬ力を備え持った長生種メトセラに、一介の電脳調律師がかなうはずがない!
だとすれば、自分の俊足的な一撃をいとも簡単にかわして見せたこと男は、一体何者なのかー?
警戒を強めて男が青年を見据えると、青年は相変わらずのすました口調で返してきた。
「ああ、そう怒らなくてもいいんじゃない?だって、君と僕はそもそも味方同士。それに僕だって一応、反乱軍に紛れ込んだふりをして、随分とジュラ様の役に立ってきた訳だし。ずっと彼の元を離れてて、何も出来なかったことを今更悔やみに帰ってきた、どこぞのお馬鹿さんとは違ってね。」
「それ以上言うと許さんぞ、電脳調律師!」
「許さない?それ、誰に向かって言ってるの?」
青年の表情が冷たく男を見下した。それとともに、何の前触れもなく男の動きがぴたりと止まる。まるで、金縛りにあったかのように体が全く言うことをきかない!
「なっ何だ!?」
「ああ、もしかして君には初お披露目だったかな?僕は人形使いマリオネッテンシュピーラー薔薇十字騎士団ローゼンクロイツオルデンの幹部さ。」
「はあ?薔薇十字騎士団?何を言っている?だいたい、たかだか一介の電脳調律師プログラマー風情が、何を気取って―そもそも、これはお前の仕業か?」
「そうだよ。これでも僕はジュラの仕事上のパートナーだったんだ。まあ、あまりそうは思いたくないけどね。とにかく、君なんかにはかなう相手じゃないから、そこはきちんと弁えた方がいいね。」
「何を、偉そうに言って、お前なんざ、一発で肉塊に変えてやるっ・・・からっ・・・」
自分を制する何かから逃れようと、男は必死に体を動かそうとした。しかし、いっかな体は言うことをきかぬ。そう、まるで自分のものではないかのように。
そんな男の抵抗ぶりを冷ややかに見つめて、ディートリッヒは言った。
「無駄だよ。今君の神経はすべて僕が握ってるんだ。君が動かせるのはせいぜい首から上くらいだね。ああ、でも大丈夫。首から上はいじってないから、叫びたければ好きなだけどうぞ。」
「貴様ァァッ!!」
期待通り高らかに咆哮ほうこうした長生種に向かって、ディートリッヒはよく仕上がった人形を見つめる技師のように、なんとも楽しそうな笑みを向けた。この男がすべて自分の想像通りに動いていることに、若き人形使いはすっかり満足したのか、きまぐれに優しげな表情をこしらえる。
「それにしても、本当に何も君は聞かされてなかったんだね。ジュラが僕たちと手を組んでいたことも知らなかったなんて。」
何を思ったのか、相変わらず恐ろしいほどに柔和な表情の中で、彼の口元が冷たく笑った。それとともに、何かに捕らわれていたはずの彼は、反動で倒れこむ。
突然の解放に、男は驚いた目で人形使いを見た。
しかし、穏やかに微笑む彼の思惑など、男は全く気づかなかった。男はただ、自分に悠然とした笑みを向ける若者に対して憤り、その怒りを顕にしただけだった。
「ッ!じゃあ、お前は、ジュラを支援するとか言っておいて、あいつが殺されるのをむざむざ見逃したというのか?」
責任追及をする刑事のような顔で迫ってくると、さすがのディートリッヒも呆れ顔で男を見つめた。
「勘違いしないでほしいね。僕らが頼まれたのは、あくまで彼が復旧を望んでいた“星”の技術援助に過ぎない。それ以上は、営業外だよ。」
そうしてさも心外だと言わんばかりの顔で、彼は大袈裟に肩をすくめた。
しかし、それでは男は全く納得などしなかったらしい。あまりにきつく結ばれた掌に、うっすらと血が滲み始めている。
そんな彼を見やると、ディートリッヒは殊のほか柔和な微笑を貼り付けて言ってやった。
「あれ?もしかして僕のこと恨んでる?だとしたら、それはお門違いってやつだよ。ジュラを殺したのは僕じゃない。教皇庁から来た派遣執行官さ。」
親切を装って告げたその言葉は、思いのほか相手の反応を得た。その瞬間、男はピタリと動きをとめたのだ。
「派遣執行官・・・?」
「そう。かのミラノ公が私的に飼ってる暗殺者さ。彼はジュラを殺しにやってきてたんだよ。」
「教皇庁のやつが、ジュラを・・・?」
思い悩むようなその表情に、ディートリッヒは内心くすりと笑った。どうやら、まだ面白そうな獲物が残っていたらしい
「そんなに悔しいなら、そいつに復讐したらいいんじゃないの?彼なら、まだこのイシュトヴァーンにいると思うよ。いや、あるいは、もう帰りの汽車に乗り込んでる頃かもしれないね。」
悪魔が誘惑するとしたら、こんな甘く優美な声で囁いたのだろう。ディートリッヒは、それは詠うような口調でうそぶいた。男は、その囁きに逆上して飛び掛った。
「教えろ!そいつの名を!ジュラを殺した、その神父の名だっ!」
男はディートリッヒの胸座に掴みかかった。
しかし、彼が問い詰めるように見つめると、人形使いは悦に入ったかのように微笑んだ。
ぞっとするまでに美しいその笑みに、男が底知れぬ恐怖を感じた瞬間―
「いいよ。教えてあげる。そいつの名は、アベル・ナイトロード。」
青年の口が割れ、そこからそれは美しい詩がこぼれた。男は掴みかかっていた手をおろすと、呆然とした様子で、それをただ口の中で反芻はんすうした。
「アベル・ナイトロード・・・?」
「そう。派遣執行官、アベル・ナイトロード、通称“クルースニク”。」 
「・・・派遣執行官・・・教皇庁ヴァチカンの神父!」
言い終えると、彼は決意に満ちた表情で顔を上げた。
「わかった。恩にきるぜ、電脳調律師。」
顎を少し引いて、彼は背をピンと伸ばした。先程までとは変わって毅然とした態度で、何もなかったかのように去っていこうとしたが、ふと背を向けたままの状態で顔だけ振り返り、もう一度ディートリッヒを見た。
「そうだ。お前のこと、俺、案外嫌いじゃなかったかもな。愚鈍なそこいらの人間テランと違って、お前はずる賢くて悪魔のようだからな。むしろ、人間テランはかくもあるべきだと俺は考えてる。」
随分な言い様にさすがにディートリッヒは呆れ顔になったが、しかし特に追求をしたりしなかった。
勢い込んだ長生種も、そんな相手の心情には気にもとめなかったらしい。
「それじゃあな。とはいえ、もう二度と会いたくないもんだがな。」
背を向けつつも手を高々と振ってよこすと、そのまま彼はどこかに去っていった。
消えゆく彼の後ろ姿を、人形使いは冷めたる目つきで見つめていたが・・・
「あーあ。僕としたことが、すっかりおせっかいだったかな?でもまあ、いいか。何だか面白いことになりそうだし。」
「―ローエングリューン中佐、レーダーが新たな教皇庁の偵察隊を捉えたとのこと。もうそろそろ、退却された方がよいかと・・・。」
男の姿が消えた瞬間、いつの間にやら後ろに控えていたゲルマニクス軍人が、上司の指示を仰ぐべくそう告げた。どうやら彼は、上司が相手と話し終えるのをじっと待っていたらしい。
ついでに言うと、事の顛末からして、この経緯がとても仕事の一部であったとは彼には思えなかったが、それでも彼は決してそれを言及することもなければ、あえて考えることもしなかった。
しかし、状況に対しては少々切羽詰った事情を呈していたため、彼は心配した様子で、きまぐれな上司を見つめていたが・・・
「ああ、そうだね。それじゃあ、もうそろそろ帰ろうか。」
先程とはうって変わって、いともあっさりと上司は頷いた。少しも渋る様子など見せることなく、新しい玩具オモチャを与えられた子供のように、どこかご機嫌な様子でヘリに向かって歩き出す。
「まあ、せいぜいがんばったらいいよ。エステル。アベル・ナイトロード・・・」
美しく吟じれたその声は、誰の耳にも届くことなく、風の中で消えていった。



to be continued…



〜あとがき〜

なんとか一週間ほどで発表にこぎつけました。よかったぁ・・・
という訳で皆様、こんにちは。慧仲茜です。
前作に引き続きお付き合いくださいまして、本当にありがとうございます。いかがでしょうか。人形使い氏の邪悪っぷりは?
・・・こんなやつですが、どうか優しい目で許してやってくださいね。むしろ、潔いくらいの悪っぷりに私は好感を持ってたりします;
さて、前回もチラッとお話いたしました、お詫びの第二段。こちらは大変真剣なことですね。
というのも、既にお気づきの方もいらっしゃるかもしれません、この話は、九条キヨ氏による漫画版トリブラ第二巻冒頭と思いっきりかぶっておるのです。
とはいえ、あちらは1ページで済ませているところを、こちらは「いやいや、こんなのもあってよいのでは?」という感じで、かなり増やしてみました。別に他意はないんです、ハイ。
なので、本来続きがあってもおかしくないようなストーリーなのですが、この話については、これ以上続きは出しません。
・・・っというか、出来ているものも、構成程度なので・・・もし万が一皆様が、ぜひとも続きをなどと心優しくもおっしゃってくださるようでしたら、考えてもよいかな・・・という感じだったりです。

まっまぁ。何はともあれ。
今は人形使い氏の純粋なる悪っぷりを皆様に知っていただけたなら、それで私は嬉しいのですよ。
それでは、あまり間をあけずに、また次作をご披露できれば、と思っておりますので、よろしければ、またお付き合いください。
それでは、ここまで長々とお付き合いくださいまして、本当にありがとうございました。



〜灯より〜
忙しい中、ありがとうっ。そして一応の完結おめでとうです!
今更ながら素敵なものを貰ってるなぁ、としみじみ思ったり。
『マリア』の方の続きも楽しみにしてるので、がんばってくださいまし。
あ、茜嬢へのご意見・ご感想は喫茶ルームでお願いします。