明るく告げたカノンは、許可を得て部屋へ入っていく。仕方ないので、俺もそれに習って入った。
だが、入った途端、厳重な結界の中に放り込まれたのがわかった。
「「………っ?!火影様、これは一体っ!!」」
カノンと俺の声が重なる。だが、そんなことも気にならないほど、俺たちは動揺していた。
「すまぬな。だが、こうでもしないと話ができないのじゃよ。イタチ、カノン」
立ち上がった火影様が、後ろに立っていた忍2人に合図をし、窓に帳を下ろす。鍵も閉めるよう言われ、俺は鍵を閉めた。
「まずは紹介しておこう。彼らは月光ハヤテ、不知火ゲンマ。共につい最近中忍になったばかりの者じゃ」
後ろの2人が、頭を下げたので、俺たちも挨拶する。しかし、彼らが一体どうしたというのだろうか。
「彼らには今極秘である者の護衛に当たってもらっておっての」
「ある者の護衛?ですが、それと私達にどういう関係があるのです?」
カノンがもっともな質問をする。火影様はそれに深く頷き、重々しく話し始めた。
「実は、お主らを呼んだのは、これと関係がある」
「だから、どんな関係なんですかっ?」
「そう急かすな、カノン。お主たちには、その者の教育係となってもらいたいのじゃよ」
「教育係、ですか…」
一体何の重大任務かと思いきや、ただの教育係とあって、俺は少しだけがっかりした。大したことはないではないか。なのに結界といい帳を下ろしたことといい、過剰ではないだろうか。
「ここ数日、彼らにも手伝ってもらって、お主ら2人を選ばせてもらった」
「え…っと、それって喜ぶべきなんでしょうか…」
「それはわからん。じゃが、先に言うておく。今から言う任務、受けてくれるのであれば、絶対誰にも口外してはならん」
口外禁止令…ただの教育係の任務にしては、おかしい。初めてそこで俺は思った。
「口外禁止とは、穏やかなことではありませんね」
「そうじゃ。下手にそれが里に広まれば、お主らの命も危うくなるかもしれん」
「ちょっとっ!そんな危険な任務なのに、何で私達なんです?!私達まだ下忍になったばっかりですよっ」
カノンの言う通りだ。俺達はこの夏にアカデミーを卒業したばかりである。それに、下忍の任務はDかCランクと相場は決まっているはず。極秘扱いで命を落としかねないとくるなら、AかSランクが妥当なはずだ。
「カノンの言うことはもっともだ。じゃが、今回ばかりは困るのじゃ。これは里の上層部すら知らぬことでの」
さぁどうする、と問われ、俺たちは黙って顔を見合わせた。火影様の目はいつになく厳しい。それほどにまで重要な任務なのだろうか。
「カノン、どうする?」
「私は………受ける、わ」
一瞬の間の後、清々しいほどの笑顔でそう言った。理由を尋くと、自分には親戚以外に身寄りはいないからと、受けるべきだと勘が告げている、という不思議なものだった。
「いーちゃんは?」
「………それほどの任務、今更聞かなかったことにはできないだろうな」
第一、危険な任務ならばカノン一人にさせるわけにもいかない。こんな彼女だが、気が合う唯一の親友なのだ。見捨てることはできない。
受けます、と答えると、火影様は少しだけ安心したように微笑んだ。後ろの2人もどこか気を抜いたように感じられる。
「ならば、話そう。じゃが、決して他の誰にも、家族にも、話してはならぬ。よいな?」
固く約束した俺達に、火影はようやく話し始めた。
「まず、お前たちの相手は、今ワシの家に住んでおる子供じゃ」
「子供?しかし、火影様の家に子供って……春日様にはまだいらっしゃいませんよ、ね?」
蛇足だが、春日様とは、火影様の次男である八雲様の婚約者であり、結婚はまだだが火影邸に住んでいる女性である。
「当たり前じゃ。それと、その子供は先月2歳になったばっかりじゃ」
「…………に、さいぃぃっ?!」
カノンの甲高い叫びが木霊する。俺もそれには驚きを隠せなかった。
「…では、彼らの護衛対象というのは、2歳の子供なんですか?」
「うむ。だが、ただの子供ではないのじゃ。護衛をつけておかねば、いつ殺されるかもわからんでのぅ」
「俺たちも任務についてまだ4ヶ月だが、実際やってみたらもうひっきりなしで来る来るっ」
「私たちも困っているんです。何しろ、行った矢先に前任の護衛があの子を殺そうとしていましたし」
「そうそうっ。家政婦が毒入りのご飯出すなんて、日常茶飯事だし。奇襲なんてほぼ毎日。おかげで寝不足だぜ」
「私たちだけが、唯一まともに護衛を続けているんだそうですよ」
2人…ゲンマさんとハヤテさんに交互にそう言われ、2歳の子供に対してそれは酷すぎるのではないか、と耳を疑った。カノンも同じなのか、顔が青ざめている。
「本当のことじゃ。あの子にとっては、この里は毒の巣窟なのじゃよ」
「現に今も心配なんですよ。今のところ春日様から何の知らせもないんで、多分大丈夫だとは思うんですが…」
「で、でも、それほど酷い扱いを里から受けてる子供って一体……」
火影様は、一つため息をついた。そして、重い口をひらいて出た言葉は、思いもよらぬものだった。
「2年前の、里壊滅事件を覚えておるかの?」
「忘れられるわけないじゃないですかっ。あんなに非道い戦いだったのに」
「九尾が暴れて、それを倒した四代目が亡くなられた事件ですよね」
「うむ。じゃが、四代目は倒したのではなく、封印したのじゃよ」
カノンと俺の目が、零れ落ちるほど大きく見開かれた。そんなこと、初耳だ!
「ふ、ふういん…」
「しかも、生まれたばかりの赤ん坊に、だぜ」
「赤ん坊に、ですか……2年前……2歳…まさかっ?!」
「あなた方に引き受けていただきたいのは、九尾を封印された子供《うずまきナルト》君の教育係、です」
ハヤテさんの言葉に、頭を金槌で殴られたくらいの衝撃だった。隣のカノンも呆然としている。
「だが、そこであいつを恨もうとしないでくれ」
「あなた方は、そうでないだろうと見込んで、選んだのですから」
必死に2人は懇願する。だが、それすらも俺たちの耳には入らない。
「あの子はの、本当は四代目の子供、なんじゃよ」
ふと、火影様の寂しげな呟きが、突然聞こえた。今、なんと言われたのだろうか…?
「注連縄の実の子供なんじゃよ。ナルトはのぅ。今でこそ、誰もが朔夜殿があの日赤子を産んだ事を忘れておるがの」
そういえば、2年前、四代目の奥方が身篭っている、という話を聞いたことがあったか。すっかり忘れていた。
「そういえば、朔夜さま。確か、10月くらいに出産予定だって、嬉しそうに話してたっけ…」
カノンが泣きそうな顔で呟いた。
「火影様。2年前、一体何があったのか。貴方がその目で見た、真実をお聞かせ願えませんか」
尋ねた俺に、黙るカノンに、火影様は、静かに2年前の真実を話し始めた。
九尾の妖狐と化した神・秋華が、暴走を始めた理由。
それを止めようとした四代目が、その神の親友であったこと。
あの日生まれた子は彼らの子だけで、四代目が命をもって封印したこと。
それが失敗して、結局朔夜様も封印を施した影響で死んだこと。
そして、その日から1年間、子供は火影邸ではなく、『霧幻の森』に住む大神主に育てられたこと。
火影様の口から語られた言葉は、父や親戚、先生たちから聞いたものとは、似て全く非なるものであった。だが、その中に偽りは感じられなかった。
ただ九尾が封印されているからといって、殺されるような目に遭い続ける毎日。その子は一体どんな思いで、悪意に満ちた中での日々を過ごしているのだろうか。
俺は、その子供に会ってみたくなった。会って何をするかはわからない。ただ、会ってみたくなったのだ。
「「火影様、その子に会わせて下さい」」
思わず声が重なったことに、俺は驚いて相手を見た。カノンも同じように驚いてこちらを見ている。が、すぐに嬉しそうに笑った。
「やはり、お主らを選んだのは正解だったようじゃの」
火影様が、頬を綻ばせて言った。ハヤテさんもゲンマさんも、とても嬉しそうに頷いている。
「ナルトの教育係と言ったのに対して、2年前のことを聞いてきたのは、お主らが初めてじゃ」
そう言って、火影様は席を立った。そして、結界を解き、付いて来いと言われ、俺達はついていった。
着いた先は、火影邸。広大な屋敷は、この里では7大名家の日向家や、俺の家であるうちは家と同じくらい大きい。
「あら。今日は珍しくお帰りになったのですね、お養父様」
取次ぎをした女中に誘われ、栗色の髪をした優しげな人が奥から出てきた。この人が春日様だ。
「すまぬが、あの子は元気にしておるかの?」
「えぇ。様子を見に来てくださったんですね。今日もちゃんとご飯を食べて、部屋で良い子にお昼寝しているそうですわ」
本当に手のかからない良い子ですね、と笑いかけられ、火影様も嬉しそうだった。だが、2歳の子供が手のかからない、とはどういうことだろうか。弟のサスケも同じ年だが、母や女中が手を焼いていたはずだが。
案内してほしいと言われ、春日様は俺たちをその子の部屋へ案内してくださった。
少々殺風景な部屋の真ん中。その子供は布団の上で静かに眠っていた。金色の長めの髪が白いシーツに散らばっている。
「うむ。大丈夫なようじゃの」
安心したように火影様は頷いた。だが、静か過ぎる。なんと言うか、違和感が付き纏う。
「…ねぇ、おかしくない?」
そう、隣のカノンが囁いてきた。どうやら、同じような感覚を味わっているらしい。
「お前もか、カノン」
「いーちゃんも?」
「あぁ。何というか、静か過ぎないか?」
「そうなのよねぇ。いーちゃんとこのサスケ君なんか、手のつけられないくらい毎日暴れてるじゃない」
「………まぁ、な」
「でも、この子…えっと、ナルト君だっけ?何か気配がないっていうか、寝息も聞こえない、寝返り打たないってのはおかしくない?」
その言葉に俺ははっとした。そして、眠る子供に近づく。
案の定、寝息がない。それどころか、実体すらも、なかった。
「な、ナルトさんっ?!」
「何ですか?!それはっ」
「幻術じゃと…?」
「…そのようですね。春日様、この子と最近言葉を交わしましたか?」
「え…っと、その、お養父様が帰ってこなくなった日から、この子の世話係に頻繁に来ないでくれって言われて…。それで仕方なくお昼寝の時間にこっそり見に行って、大丈夫なのを確認していてっ。けど……っ!!」
春日様が青ざめてパニックを起こしそうになるのを、火影様は肩を叩いて慰める。それを機に、春日様は一気に泣き崩れた。
「八雲様は確か、長期任務に出ている最中でしたね?」
「うむ。その通りじゃ」
「くそっ!やられたっ。世話係も護衛もいないぞ!!」
いつの間にかいなくなっていたゲンマさんが、外から伝えてきた。
「どうやら、計画的犯行、みたいね」
「ハヤテさんたちがいないのをみて、実行したってところか」
「なら、今頃その子は、どこかに監禁されてるか…あるいは、」
「殺されたか。どちらか、だ」
2歳の子供に、こんな高度な忍術は使えないはずだ。おまけに、ここには血の跡がない。とすれば、自分で出て行った線とここで殺された線は消え、自ずと『誘拐』という線が浮き上がる。
しかし、どうやって探せばいいのか。会ったことはなく、犯人の手がかりすらない。
「なら、私の出番かしら」
カノンがすっと前へ出た。あぁそういう方法があったなと思い出し、俺は春日様に、その子の使っていた持ち物はないか、と尋ねた。
「契約せし者、出でよ!ランっ!!」
召還の印を組んだ後に出てきたのは、カノンの口寄せ獣・ランである。
「…それは、口寄せ、なのかの?」
火影様も2人も、ランのような動物を見たことがないのか、驚いていた。
確かに、普通は驚くだろう。何しろランは、浅黄色の瞳をした純白の獣で、一見、大きな犬のようだが、背中に翼があるのが特徴だ。だがそんな動物は、地上ではありえない。それを俺も彼女も知っているからこそ、余程の時以外は出さないことにしていた。
「これでいいでしょうか?」
春日様が持ってきたのは、薄手の上等な着物。寝る時にはいつもそれを布団代わりにしていたらしい。
「いけるわ。ラン、これを使ってた主の下へ、私たちを連れてって頂戴っ!」
『…承知シタ、カノン』
ランは匂いを覚えると、カノンを乗せてすぐさま外へ飛び出した。
「追います。ついて来て下さいっ」
唖然とする3人に俺は声をかけ、カノンの後を追って外へ出た。