その昔。蒼い風が月夜に駆け抜けることがあった。
守護星たちに守られ、闇に踊る美しさに、誰もがため息をつかざるを得なかった。
やがてすべての記録から、人々の記憶から、その名は忘れられることとなる。

容姿と纏う空気からついた、《青の月》の異名は―――。





 告げられた言葉に、一時、重い沈黙が降りる。
それを破ったのは、やはり火影自身であった。
「と言うても、先程偽者と確信できたんじゃがの。まずは、話を聞いてもらおう。黒焔、すまぬが結界を張ってくれぬか?」
「…わかりました。声が聞こえないやつでいいっスか?」
「うむ。この部屋だけに頼む」
さっと印を組んで、黒焔は火影の注文通り室内の声だけが一切外へと漏れない上級レベルの結界を張った。それを見届けてから、火影は口火を切った。
「まず、この任務は、ここにいる鈴玖殿から持ち込まれた話じゃ」
火影の目配せを受けた鈴玖は、軽く頷くと話を継いだ。
「事の起こりは、一月程前になる。風の国は知っての通り砂漠が多く、オアシスには旅の商人たちが集まる。私も偶然馴染みの商人から話を聞かなければ、もしかして今、木の葉は大変なことになっていたかもしれない」
「…何が、あったっていうんだ?」
「火と風の国境近くに、賊の一団が出没し始めた。その人の知り合いもやられたそうだ。姿を見た者は、ほぼ皆殺し。金品や商品は足のつかないものばかりが強奪された。それ自体は別によくある話だが…肝心なのは、数少ない目撃情報が私に不審を与えたということだ」
一旦言葉を切った鈴玖は、ちらと視線を緋月へ寄越した。それに気付いた黒焔は、怪訝な面持ちで自分も隣の相棒へと目をやる。そこには、いつもと変わらぬ緋月がいるだけだ。
(けど、どうにも様子がおかしい気がするんだがな…)
どこか、微かに緊張と怯えが見える。伊達に何年も付き合ってきた相棒というだけある。普段から読めないナルトの表情を一番わかるのは、自分だと言う自覚と他者からの評価が黒焔にはあった。
「私が調べたそれらによる被害…そして、目撃情報。調べなければわからないように、巧妙な隠し方をされていた」
「役人には絶対に話さない暗示がかかってたみたいなんだ」
「そして、それを私たちがもう一度調査させられたってことね。しかも詳細に」
「すまなかった、刹那、橘花。私ではその情報を客観的に見る自信が持てなかったんでな」
軽く頭を下げる鈴玖に、刹那が思いっきり驚いた。黒焔が後で橘花から聞いた話では、今まで何かあっても彼が刹那に頭を下げたことは一度もないらしい。
火影は、机の上で刹那たちから渡された報告書を開く。
「では刹那、橘花。お主達の報告を手短かに聞かせてもらおうかの」
火影の常以上に厳粛な声に何かを感じたのか、2人は態度を改めて、報告書に書いたことと同じことを話し始めた。
「先に鈴玖の言った通り、賊は火と風の境を中心に襲撃していました」
「襲撃件数は、わかってるだけでも5件。ですが、生存者がいるのがそれだけなので、あと5件は確実に追加できるかと」
「なお、襲撃者は3人。1人は20歳前後の女で、特徴は暗い紫色の髪。もう1人は同じような年齢の男で、特徴は桃色の髪です」
「生存者の話では、獲物はどちらも剣とクナイとのことで、身のこなしから忍と思われます」
2人の報告に、どこかで聞いた容姿だな、と呟いたカカシが首を傾げた。ちらりと横目で見れば、アスマが顔を強張らせている。
(緋月の様子も更に変、だな…。怯えている…?それに、さっきの火影様が聞いた緋月の不在証明といい、こいつらの様子といい、一体何だ?この襲撃事件に心当たりがあるのか?)
常とは違う彼らの様子に、黒焔は増々首を傾げるばかりだ。はっきり言って、気に入らないことこの上ない。
この元凶でもある鈴玖に目をやるが、彼は無表情で緋月をじっと見据えたまま。
「そしてリーダー格は、青い長髪に15、6の、綺麗な女だそうです」
「…そいつらの、名は……?」
やけに乾いた声で、アスマが尋ねた。
「2人についてはわからなかったけど…生存者の中の1人が、彼らはリーダーの女を『月姫』と呼んだのを聞いたそうです」
刹那が言い終わったと同時に、正反対の、驚きの声があがった。
「本当っ?!」
「そんなバカなことがあるかっ!!」
前者は大変嬉しそうな様子のカカシ。そして後者は……今まで見たことないほどの動揺をした、緋月だった。
その激しく、呆然とした様子に、首を傾げた。
「嘘だ…そんなはずがない…」
「緋月?」
「だって、あの人はあの時確かに…」
「おい、どうした緋月っ?!」
「それに『あれ』はオレがこの……っ」
「落ち着け、この馬鹿!」
激昂した緋月をアスマは強引に腕に抱え込み、怒鳴り声を上げた。離れようと必死にしていた肩がビクリと震え、可哀想なほどに怯えたのがわかった。
「よく考えろっ。今の話は、間違いなく偽者の仕業だ。そうだろう、鈴玖!」
「その通りだ」
鈴玖の同意に、ぴたっと緋月の抵抗が止まった。
「あ……にせ、もの?」
「火影様もそう言ったし、どう聞いてもそうだろうがっ。第一、あいつらがもういないことは、この俺もよく知ってる。お前も自分でよくわかってるだろう」
子供に言い聞かせるように、優しく宥められる。少し落ち着いたのか、緋月は、ごめん、と言って体を押しやった。今度は、アスマも逆らわずに素直に放した。
逆にそれで不機嫌になったのは、カカシの方である。
「え〜っ、何でアスマに偽者だってわかるのサ?」
「んなことは後回しにしろ。カカシ」
「いや、そんなこと言ったって…」
「今回の襲撃。恐らくは、何者かが本物をおびき寄せるためにわざとやっている。私は、そう見た」
「ってことは、月姫に会える可能性大、ってことだよネ!」
鈴玖の言葉に機嫌を取り戻し、両手を挙げて喜ぶカカシに、アスマは呆れたやつ、と苦い顔をする。
火影は、そんな彼を黙殺し、真剣な表情で再び話し始めた。
「『月姫』は、一時だったとはいえ、木の葉の忍。それ故他里に広がれば、里の名に傷がつく。それに…今も手に入れたいと願う輩は、減りはしたものの、やはりいるということじゃ」
一度言葉を切り、彼は部屋にいる6人を見回した。最後に、緋月に視線を当て、そっと目を伏せる。
「よいか。この襲撃事件を他言せず、速やかに片付けるのが任務じゃ。今回だけは指揮をアスマに任せる。標的や襲撃の情報は、鈴玖殿は任務がある故、刹那たちに聞くと良い。行動は、明日からにせよ」
『了解しました』
全員から、抱える思いは違っているものの、承諾の声があがったことに、火影は頷き返した。
だが、先程の話でひっかかりを覚えた刹那は、鈴玖に尋ねることがあった。
「ちょっと待って、鈴玖!アンタもしかして、個人の判断でこれを隠してたのかしら?」
「そうだが」
「どうして、わざわざそんなことを?砂から見れば、同盟とはいえ、木の葉の隙をつくチャンスでしょ?」
鈴玖は鮮やかな橙色の瞳を一つ瞬きをさせると、まっすぐな視線を刹那へと向け返した。
「…『月姫』とは、深い縁がある。優しく美しかった彼女を、余計な詮索をされた挙句、馬鹿共なんぞに貶められたくはない。それだけだ」
瞳に強い意志を湛え、鈴玖ははっきりと言い捨てた。
それに対して、わかるわかる、と一人頷いているカカシを、アスマがどついている。彼らもまたその『月姫』を知っているのだろうか。
だが、今はそれよりも、青褪めた相棒の様子がひどく気にかかった。
「緋月…平気か?」
「あぁ。心配かけてごめん。黒焔」
「それはいいけどよ……お前は…」
続けようとした言葉は、緋月を呼ぶ鈴玖の声で途切れた。
それに緋月は弱々しく微笑み、俯くことで、返事とした。
「大丈夫、だ。鈴玖。…あるいは、本人か、と思ったから隠してくれたわけだろ」
「疑ってすまなかった。だが、本当にもう、いいのか?」
「……あぁ。やるよ。相手がそう来るならば、オレが出向くのが一番早い」
顔を上げた緋月の顔は、いつもと同じだった。いや、少しだけどこか翳りを帯びている。
鈴玖はそれに気付いたのか、今まで無表情だった顔を少し歪ませ、すまない、と小さく呟いた。
「では、火影様。私はこれで一旦引き上げさせていただきます」
「…うむ。ご苦労じゃったの」
火影に深く一礼すると、初めに会った時のように、風のごとく鈴玖は室内から姿を消した。
「…じいさま。オレも、帰る」
「その方がよいの。今日の任務は、特にない。ゆっくりおやすみ」
「…ありがと」
また明日…と振り返ることなく、緋月は窓から外へと飛び出した。
黒焔もまた、心配で彼の後を追って、外へと出る。
それを機に、この場は解散となり、刹那と橘花は、どこか浮かれているカカシと深刻な顔のアスマと共に執務室を後にした。
2人とも諜報部の部屋に戻るため、彼らと途中まで一緒に歩く。
「ねぇ、あの2人もそうだけど、緋月も何か変…」
「みたい、だね。ちょっと、心配だなぁ」
「…今回調べたことと、関係あるのかしら。…ねぇ、アスマ。『月姫』って何なの?」
刹那は不可解な顔で、前を歩いていた、自分達より実際は10以上年上の青年上忍に、思い切って質問をぶつけた。
「…伝説、さ。もう5年以上、前の……幻のように儚かった、亡霊、だ」
しかし、どこか悲しそうで、切ない口調で答えたアスマは、彼女達と別れるまで二度と口を開かなかった。


黒焔が地面に降り立つと、緋月はその場に立っていた。
背中を向けているので、表情はわからない。しかしはっきりとわかる、彼の覇気のない様子に、黒焔は眉を顰めた。
「緋月…」
「ごめん。今日…だけは、一人にして…」
「………ナル……」
「いつかは、こういう日が来るんだと…思ってた。覚悟も、していた。だけど……」

まだ、こんなに痛いなんて……思わなかったよ

今にも泣きそうな声で呟いた背中は、そのまま暗い夜の闇に消えていった。
後を追おうにも、体がそれ以上先へ動かない。既に気配も完全に消えていた。

自分の知らないところで緋月に何かがある………そのことが、黒焔にはひどく苛ただしかった。



〜あとがき〜
お待たせしました;本編、約1月振りの更新になります。
色々な謎が出てきました。ちょこっと伏線張るような形になってます。…が、思えば私まだこの謎に関する話、一度も書いてないんですよね…(ォィ だけどこっちを書きたいんだよ〜っ!!
…失礼しました。少しだけ言うと、「初めの物語」&中忍試験後半とリンクする形になる…予定だったんです。ただ、あっちもそこまで書けてないのが現状でして;いっそ色々すっとばして、書けるとこから書いていくのがベストなんでしょーか…。
とりあえず、次は任務話に行きましょう。シカさんの「ナルさんの過去知らない」複雑な様子を書くのが何故か楽しみな気分っ。ちょいと長くなると思うのですが…メイン4人に敵+2人?の人物を登場させる予定です。