暗い夜空に、星が瞬く。窓から見る限り、月は見えない。新月だったのか、それとも誰もが寝静まって当然の時間だからか。どちらにしろ、昶の視界に月はなかった。
白銀は側にいない。どこを歩いているのやら、たまに彼はこうして夜中にこっそり抜け出す癖がある。昶が気づいているとも知らずに、だ。
己の内にいる守護者も、すでに寝息を立てて静かなものである。
月のない夜空をこうして見ていると、家出してこちらに来た当時を思い出す。
もうすでに、あれから3年。
誰にも会わないし、探しにも来ない(来れないように気配を消したのは自分だが)。唯一会ったのは、姉とも言える存在のルルだけだ(白銀を探しているところに偶然会った)。
それどころか、この間は自分も知らない「七夜」という、まるで自分の穴を埋めるようにしてなった『子』に会った。
あの時は誰が帰るか、と思ったが、いつまでもこうしているわけにはいかないだろう。
白銀が焔緋と敵対し、いずれ彼と決着をつけると言う以上、自分はその場にいてはいけないのだ。
時が来て、何があっても自分が誰の隣に立つのか、わかっているだけに、なおさら。
そう思うと、少し会いたくなってしまった。
あの血のように鮮やかな緋色の髪の、傲岸不遜を絵に描いた主。出会った瞬間から捕らえて離さない、支配者の金色の瞳。
―――この世でただ一人、『昶』を認めてくれた、大切な人に。
子供じみた感傷に自嘲し、夜空を覆い隠すようにカーテンを引き、布団に包まる。
そこで、ふっと思った。
どうしてあの時、家出するほどに彼の『子供扱い』が嫌だったんだろうか?
マイ・フェア・レディ
〜錯綜恋心ラプソディ〜
「…は?兄探し?」
「そうなんですよっ。お願いしますって!!」
コーヒー牛乳を飲む昶の前で、元気な栗色の頭としなやかな黒髪がそろってぴょこん、と上下に揺れた。
事件の発端は、その日の昼食時にもたらされた。
ルルとの邂逅から数週間が経った。昶と白銀と綾(ついでに賢吾)のコクチとの闘いは、まだ続いている。
あれから新たに昶と賢吾の兄貴分になる洸が仲間になり、なんと校内に浄化の特殊能力を持った後輩の少女がいて、彼女とその友人までもが協力してくれることとなった。
それで戦いが楽になったか、と言えばなるわけがない。しかし、少しでも闇の力を削ち均衡を戻すため、あちらこちらに空いた穴を塞ぎ、コクチの関わる事件を解決して回っていた。
そんな日々の合間に、能力者である後輩たちから今回の話が持ちかけられたのだった。
「何で俺が人探しなんか…」
「だってこの事件、なんか怪しくって。私たちだけじゃ、とても手に負えそうにないんですもん」
「警察行けよ、警察」
警察は嫌いです〜、とごねる叶を無視し、昶は飲み干した紙パックを潰す。それから、やっぱりという顔でしょげている妹分の芹那に目を移した。
「コーヒー牛乳の分くらいは、話を聞いてやらんでもないぞ。芹那」
「…えっ、本当ですか?!ありがとうございますっ」
「あぁ、ズルイ!芹那ばっかりぃ」
「叶ちゃん。文句はいいから、もう一度詳しく話してちょうだい」
呆れ顔で綾に諭され、叶と芹那は話し始めた。
彼女たちの話によれば、事件を知ったのは昨日の放課後のことだった。
午後の最後の授業中、叶の隣席の少女が携帯電話を使用していたことが先生に見つかった。幸い、先生は理解のある人で、初犯ということもあってお咎めだけでその少女の処分は済んだのだが、彼女の様子がおかしいことに叶が気付いたのだ。
少女は普段真面目な子で、携帯電話は帰る時分になるまで切って、常に鞄の底に入れていることを叶は知っていた。しかも最近、授業中の彼女はどことなく上の空で、ここ2,3日叶がフォローを入れたことが何度もあった。
だからこそ、叶は芹那を誘い、悩み事でもあるのか、と思いきって尋ねることにした。
尋ねた彼女は最初こそ首を振っていたのだが、教室に彼女たちだけになると、やがて涙を流し話し始めた。
「で、その子の悩みってのが、『兄ちゃんが帰って来ない』だったのか?」
「そうなんですよ。その子のお兄さんって大学3回生で、去年ご両親を亡くした彼女にとって残された唯一の家族なんだって」
「毎日家に帰ってくるはずなのに、もう1週間も帰って来ないそうなんです。大学のゼミの方やバイト先でも聞いたそうなんですが、誰も行方を知らないみたいで」
「恋人もなし、家族もなし。給料日前で財布の中もそんなに入ってなかったらしいから、突然の旅行とかホテル泊まりもなし」
「昨日、話を聞いたその足で部屋を見せてもらいましたけど、自発的に消えた、という感じでもなかったんで、何か事件に巻き込まれたんじゃないかと…」
「それだけで、我々に人探しを手伝ってほしいと?」
情報と自分たちの考えを披露した2人に、白銀の冷たい声が突き刺さる。
だが、負けじと芹那が彼らに頼んだ根拠を口にした。
「それに、お兄さんの部屋に何か、小さな黒い影がいたんです」
捕まえる前に、夕焼けの光に当たると溶けるように消えてしまったモノを、芹那は確かに見た。あれは、少し前に新種の麻薬の摘発をした時に見たものとよく似ている。そのことを話すと、昶達の顔に緊張が走った。
「芹那がそう言うんなら、コクチが絡んでいる可能性は高いな」
「えぇ。調べてみる価値はありそうです」
「よっしゃ、決まり!芹那ちゃんの頼みだし、頑張って探そうぜ!!」
人探しに妙に意気込む賢吾だが、綾は彼に水を差すように問題点を指摘した。
「でも、行方不明っていったって、どこをどう探せばいいのかしら」
「問題はそこなんですよ〜。その子も行きそうなところは全部探したって言ってたし」
考え込む一同に、今思い出したように賢吾が声を上げた。
「そういや、噂で聞いたんだけど。この間隣の学校の3年が1人、失踪したとかなんとか」
これって関係ある?と首を傾げた賢吾に、一斉にその場の視線が集まり、逆に彼がたじろいだ。
「それよ、それ!!賢吾にしちゃ上出来じゃないっ」
「これって、他にも行方不明事件が相次いでるってことですよね。すごいです、賢吾さんっ」
「そ、そうかな…っ(照)」
「連続失踪事件ってわけね。ますますやる気が出るってもんよ!この名探偵・叶サマにお任せあれ!」
「…そ、それはともかく。他にもいるなら、手がかりも増えますね」
「そうですね。あとは、どうやって情報を集めるか、ですか」
白銀の言葉に、再び考え出す一同。警察であれば情報もかなり揃っているのだろうが、彼らの中に警察官はいないし、むしろ裏に近い人間の方が多い。
「警察、ねぇ…」
『アイツも警察だな』
黙って聞いていた劉黒が、昶の呟きに答えた。途端、思いだした人物が脳裏に浮かんだが、こんなことに巻き込むわけにもいかない、と内心返した。
しかし、賢吾はそうもいかなかった。
「アキラぁ、あの人は?」
「…お前は、余計なことを」
「えっ、俺何か悪いこ……イダっ、痛ぇって!!」
言いかけた賢吾の頭を拳で締め付け、容赦なく黙らせる。相当強く締めたので、彼は痛みでしばらく話せないようだった。
しかし、綾を誤魔化すことは無理だったようだ。
「あ〜き〜ら〜ぁ?心当たりがあるなら、正直に言いましょうねぇ?」
「顔が怖いぞ、綾。引き攣った笑顔じゃモテねぇって」
「さぁ、言え!何をやった!!どうしたら警察に知り合いができるのよっ」
「決め付けかよ!!」
「えっ。昶さん、本当に警察の知り合いがいるんですか?!」
素っ頓狂な声を上げて、芹那が目を輝かせて昶を見た。
さすがに彼女の純粋さに毒気を抜かれたらしく、竹刀を振り上げて昶を脅していた綾も、すっかり腕を下ろしてしまう。
昶も彼女に押されるようにして、首を縦に一つ振った。
その途端に黙って見守っていた叶と白銀の2人が、一斉に詰め寄って来た。
「えぇっ?!何やったんですか?」
「警察に知り合いですか。どういうお世話になった方で?」
「…藤原、白銀……お前らがどういう目で俺を見てるのかが、よーくわかったぜ」
興味本位で聞く2人に、昶の神経が再びささくれ立ち始める。が、その前に芹那がさりげなく話の方向を修正してくれた。
「あの。でしたら、その方に聞いてはもらえませんか?」
他人を思いやる芹那の真っ直ぐな目に、昶は思わずたじろいだ。気が進まない分、何だか目を合わせ辛い。
「……確かにあの人は、刑事だけど」
『捜査状況なら、アキの頼みだから聞いてくれるだろう』
「…仕事、忙しいんじゃ…」
『アキが言えば、仕事の合間にいくらでも時間を作るような男だぞ。本当は、あまりこちらの事件に巻き込みたくないんだろう?お前は優しいからな』
「………」
『大丈夫だ。こういう事件はあいつの担当だろう?それに可愛い妹分からの、折角の頼みだ。聞いてやってもバチは当たるまい』
唇を微かに動かすだけの、それでも二言三言、守護者と独り言のような会話を交わし、昶は自らの心を持て余すように後ろ髪を掻き揚げた。
それから、気乗りはしないけど、と前置きして、告げた。
「……人探し、手伝うって決まったわけだし。何といっても、芹那の頼み、だしなぁ」
仕方ないと、芹那にだけ向ける優しい顔をして、昶は承諾をした。
芹那と叶はそれに喜び、綾と白銀は呆れたと言わんばかりの顔をした。
「本当に芹那ちゃんには甘いというかなんというか」
「えぇ、まったく。私に対するのとは正反対の態度で、何だかムカつきますねぇ」
「あぁ。だってあの人は別に……ぶっ!!」
またしても余計なことを言おうとした賢吾を今度は何も言わず足で蹴り飛ばし、昶はポケットから取り出した携帯電話を開け、一瞬驚いた顔をした。
そして手慣れた手付きで携帯を操作し終えると、話は終わりとばかりに立ちあがる。ちょうど、予鈴が鳴った。次の授業が始まる時間だ。万年サボリ組だが、学生としては、ここらで真面目に点数を稼がなくてはならない。
「今日は授業、次で終わりだろ。また、放課後な」
「えっ、その人の所、行くんですか!!」
背後に白銀がついて来るのも確認せず行く昶に、叶が期待を込めて声をかけた。
昶は鉄製のドアの前でぴたりと足を止めて、顔だけ振り返った。
「いや。洸兄のとこ」
呆気に取られる4人を背に片手をひら、と振り、今度こそ彼は友人たちより一足早く階下へのドアを潜り抜けた。
〜あとがき〜
何か事件ものの中編になる予定です。最初よりちょっと時間が空いて、ルルと会った後になります。あの後焔緋が出ず、アニメのような日常が続いていたら、みたいな感じで。
なので、原作とアニメとゲームの設定がごちゃまぜです(笑)悠がいないのに、芹那ちゃんと叶ちゃんがいるとことか(いや、個人的に彼女らが気に入ってるもんで;)。まだ書いてませんが、ドッペラーにも良品・不良品があるとか。
シリーズの一話のため、長くはしない予定です。でもせっかくなので、どこかで焔緋サイドのメンバーが出せればいいな、と…。
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