白銀が現れてから、厄介事ばっかりだ。
賢吾、七夜、ルル姉と綾に加えて、また賢吾!!いい加減にしやがれ、って感じだ。
綾がオレとルル姉との関係を詮索するのを、すっかり忘れているからまだいいが。

――誰か、一週間前までの静かな日々を返してくれ…。




〜鬼ごっこは継続中〜



「邪魔、なんだよ…」
「…そうかよ。勝手にしろっ」
綾が仲間に加わり、賢吾がそのことに拗ねて喧嘩になって、綾と白銀が昶の不器用さに嘆息して。

そんな、変わらぬ日常の一時に、『彼』はやってきた。

いや、前触れはあったのだ。彼女と会った以上、彼に知れるのもそう遠くはないとどこかで感じてはいた。
なにしろ『彼女』は、あの(・・)白銀といるのだ。
急に何倍にも増した重圧感に、耐えかねた世界が震え出す。
「な、なにが起こったの?!」
「『属性反転』。いつものアレですよ」
平然と…いや、少しだけ焦りを見せて、白銀は答えた。綾も白銀も、息をするのも辛いほどの閉塞感に、苦しそうな様子だ。
「今までとは、随分規模の違う反転だな」
「…えぇ。シンがこちらに侵入したんですよ。それも、桁違いの力を持ったやつがね」
「それって、前に会った通り魔やルルってやつよりもってこと?」
綾が不安気に瞳を揺らしながら、驚きの声を上げた。
どこか赤黒く染まった空を見上げる。これほどの属性反転を引き起こす人物は、今現在ではたった1人だ。白銀はもちろん、昶にもその心当たりがあった。
「……ってか派手過ぎじゃないか?」
『そうだな。さしずめ、白銀がいるから嫌がらせ、じゃないか?ルルはお前と約束した以上、お前のことは話してないだろうし』
「なら、逃げるが勝ち、か」
『結界を張っていない今ならな』
呆れながらも冷静な頭で、昶は劉黒と今からの動きについて簡単に話をまとめた。
白銀は傍らで昶が呟いた様子を目にしたが、何事を呟いたのかが聞こえず、怪訝な顔で視線を彼に注いだ。
昶の顔に白銀達のような焦りは一切見えない。
ふと、白銀は先程から気になっていたことを訊いてみた。
「そういえば、昶クンは何ともないんですか?」
「あ?なにが?」
「イエ、胸が苦しいとか体が重いとか、具合悪いなぁって感じませんか?」
この状態の中で1人、けろっとした顔の昶は首を傾げてみせた。
「全然平気だけど」
「アンタおかしいわよ!こんだけ、メチャクチャ気分悪いってのに!!」
「耳痛ぇ。そー言われてもなぁ」
綾の大声を耳を塞いでやり過ごした昶は、困った顔をしてみせた。フリだけでもしてみせればよかったのだろうが、何も感じないのだから仕方がない。
おそらく、体が慣れてしまったのだ。あれだけ、側にいたのだから。
「そーいや、賢吾はどこだ?」
「え?」
「アイツも見えるようになってるから、危ないだろ。オレ、ちょっと見てくる!」
「ちょっと、昶っ?!」
綾の制止を振り切って、彼の気配とは逆の方向へ走り、素早く校舎の影に隠れる。
『アキ。やつが、来た』
涼やかな劉黒の声が、耳朶をくすぐる。そっと覗くと、空の青に広がる鮮やかな緋色が見えた。
血の色にも似た、地獄の炎の色。昶が一番好きだと感じる、思わず見惚れてしまうほどの、美しい色。
青の瞳が、一層の潤いを見せる。
「入替えの形でよかった。まだ…会いたくないからな」
切なさを無意識に織り交ぜ、呟く。劉黒が何か言いたそうな気配だったが、結局黙ったままだった。
昶は意識を切り替え、宙に浮かぶ王を見る。
視線は、下にいる白銀に向けられたまま。こちらに気付いた様子はない。彼の随分後ろに控える美女…氷瀏も、こちらに気付いてはいない。
『どうやら、2人とも賢吾を持っていないみたいだな』
「ということは、あっちに放ってきたか」
ここから感じられる賢吾の気配に、違和感を感じる昶と劉黒。
これは本人も知らないことだが、賢吾は、闇の因子保持者だ。
発覚したのは、昶が小学校に途中編入した時のこと。
学校の行事でとある心霊スポットで肝試し大会が開かれた際、賢吾の中に溜まっていた闇が膨張し、暴走を始めたことで気付いたのだ。
その時にはすでにシンであるにも関わらず、劉黒の力も再び使えるようになっていたので、彼の指導の下、闇をすべて清め払い、彼の中の因子を封じ込めたのだ。
が、思っていたよりも賢吾の保持容量(キャパシティ)は大きかったらしく、以来、封印が外れかかる度に昶は彼から闇を抜き、封印を施している。
「洸兄に初めて会った時なんて、あの場所に溜まってた闇の量が多すぎて、完全に外れたけどな」
『あの時は、洸がいて助かった。先に幾分か抜いてくれたおかげで、やりやすかったしな』
「まぁそうなんだけど…っと」
いた、と口の中で呟いて、走るスピードを落とす。
土埃で汚れた人工の金髪が、地面に伏しているのが見える。彼に近づこうとして、だが昶はすぐさま立ち止った。
賢吾がゆっくり立ち上がった。だが、その目は虚ろで焦点が定まらず、しきりに昶の名前を口にし、殺気を向けてくる。
『やってくれたな。あのバカ』
「封印をこじ開けた上に、寄生型か。あれ解くの厄介なんだけど」
旦那…もとい、保護者その2(別居中)のやった事に、軽く頭を抱える昶。
2人の考える通り、賢吾の異常は、昶がかけた封印を壊してコクチを寄生させた焔緋の仕業だった。
「ア…キ、ラ…っ」
「その名を、エンに聞かれてないことを祈るぞ」
影化を解除して昶はシンになると、ある程度距離を残して賢吾と向かい合う。
劉黒が慌てることなく、問いかけた。
『どうする?お前の獲物(サイラス)を出してみるか?』
「あれを出すには、この姿じゃダメだろ。この間も試したじゃん」
昶が言う通り、本来の獲物――《夕凪の鎌(サイラス)》が、本来の契約下でしかその姿を現すことができないのは、先日あった七夜との戦いの中で確認済だった。
黙り込んだ劉黒を、昶は武器無しですることを不安に思っているのだと思い、柔らかな口調で話しかけた。
「そんなに心配しなくても、手はあるから大丈夫だって」
『アキ。賢吾ではなく、いっそアレをそれで殴りに行くのはどうだ』
「あ、そっちか。……残念だが、却下だ。向こうはオレをご指名。なら、話は簡単だ」
殺気立つ相手に、今まで浮かべていた表情を、昶は完全に消した。
そして一呼吸置くと、一瞬にして賢吾との間合いを詰めた。
「……?!」
「殴って、追い出すだけだ」
スピードに乗った渾身の一撃が、賢吾の鳩尾に容赦なくめり込む。みしり、と嫌な音が立ったのを耳にしながらも、足を軸に回転をかけ、遠心力で彼の体を校舎の方向へと吹っ飛ばした。
壁の間際まで飛んだ賢吾は、ぴくりとも動かない。その体から、コクチ達が慌てて抜け出ていく。
『今の音…賢吾、死んだな』
「死んでねーよ。ま、オレに殺されるなら本望だろうけど」
狂気のままに襲い掛かってくるコクチを、昶は瞬時に出現させた刃で切り伏せ消滅させた。
ガラスのように透き通った刀身だが、形状は先日折れたナイフと違い、大ぶりで鋭い、刀身が鎌に似た形状の刃物。
何度か空振りし、その感触を確かめる。
「うん。悪くない。この間のより、ずっと使いやすい」
再度強く柄を握り締め、昶は両手から刃を消した。
ふと、空を見上げた。先程まで晴れていた青空は赤黒く染め上げられ、禍々しさすら感じる。
『どうする?勘の良い者なら、この異変に気付いて来るぞ』
「マズいよな。影響、そろそろ出てるかも。どうしよ。無装擬界使った方がいいかな。今の状態じゃ、できるかも怪しいけど」
『なら、一度【戻る】か?』
昶はしばらく考えて、劉黒の言った意味を理解すると同時に、思わず絶句してしまった。
「それ、もひとつマズくね?ってか、できるのかよ」
『白銀との二重契約ができたんだ。多分、大丈夫だろう。大体、影化を解いた時点で、アレに「ここにシンが一人いること」は気付かれているだろうし』
「そりゃそうだけど…でも、【戻った】時点で、エンにオレの居所がバレないか?」
『《影》を送るのはどうだ?作り終えると同時に、白銀との契約に切り替えて隠ればいい。それは私がやるから。力が不安定な状態に戻るから長くは持たないだろうが、意識が繋がっていれば操作くらいはできるだろう』
白銀達には顔が見えない様に布を被せればいいだろう、と近くの教室のカーテンを指して、彼は簡単に言う。
劉黒の言う《影》とは、自分を映した光を凝縮して固定し、一定時間身代りにする術のこと。この術は昶が劉黒から教わった内の一つで、劉黒が人界へ遊びに行くためだけに編み出したオリジナルものだ。
ただしこの《影》は術の維持がかなり難しいため、術者は王族以外いない。使うことは、自分を特定させる材料になり得るものだ。
しかし、劉黒の言い分も的を得ている。今の昶は、焔緋から逃げている身。本体が《影》と同時に同じ場所にいるなど、普通は思わないだろう。
『逡巡している暇などないぞ。アレの連れて来た瘴気は濃い。因子保持者か耐性のある者でない限り、すぐに倒れてしまう』
冷静な彼の言葉は、間違っていない。授業中でないだけマシというものだが、校舎の影から見える運動場では、既に何人かが気分の悪さを訴え、部活どころじゃなくなっている。
「…ちっ、リュウの頼みじゃなきゃ、絶対やらないし。今だけだからなっ」
迷いを吹っ切るように深呼吸する。そして、一度消した刃を再び取り出すと、地面へと突き立てた。
「聞け、我が内に眠る紅蓮の種子よ。我は万物の光にして、影。我は天地の調律者。刻まれた仮初めの闇を封じ込め、今再び、この身に紅の華を咲かせよ」
ぱあっ、と白い光が昶を包む。言葉を言い終える頃には、光は収まり、さっきまでと全く違う、一回り小さくなった姿で現れた。
セピア色の長い髪、アースブルーの瞳。すらりとしながらも柔らかな曲線美を描く体。ひらりと風に散らすミニスカート。
誰が見ても、絶世の美と称する少女――これこそが、昶の本来あるべき姿だ。
戻った昶は、徐に指を噛み切り、血を数滴地面に落した。
光と影、両方の力を持つ血に反応して、世界が揺らぎ始める。
「渇える唯一世界よ。我が源は二重螺旋。二重螺旋は祖を成す力。血は汐を満たす贄となり供物となり、無の地をただただ望まん。《無装擬界》!」
風もないのに、首輪から垂れた短い鎖が、しゃらりと音を立てる。
そして彼女の呪に応じて、世界が『有』と『無』の二つに別たれた。
昶たちが移ったのは『無』の方。見上げた先にある真っ暗な空は、陽の光が見えないにも関わらず、昼間と同じくらい明るい。
「夜を照らす真昼の白よ。願わくば今一時集まりて我が影を映し取り、我の意思を伝える人形とならん」
昶が手を空中に差し出すと、空気中の光が集まって、昶の今の姿を映し出した。
それより少し遅れて、劉黒の声が昶の内側に響く。
『聞け、かが内に咲く華よ。我は天地の調律者にして、光の守護者。紅蓮の種子へと時を戻し、再び主の命ある日まで、揺り篭の奥深く眠れ。そして、仮初めの闇よ。再びこの身に真闇の印を刻め!』
再び昶の体が、今度は黒い闇に呑み込まれ、先程までの男の姿に戻った。
体の調子を確かめて、昶はあらためて作った《影》をじっくりと眺める。
「んー…自分が目の前にいるのって、何か変」
『仕方ないだろう。私は今からその《影》が消されるのが、すごく嫌だ』
「それこそ仕方ないって」
落胆する守護者に苦笑し、引っ張り取った教室のカーテンを《影》に被せる。それを白銀たちの方向へ飛ばすと、少し考え込む素振りを見せて、賢吾を引き摺りながら追いかけ始めた。
「アイツらが一応心配だから、戻るんだからな。エンをこっそりもう一回見たいから、とかじゃないからな!」
『はいはい。まったく、アキは可愛いなぁ』
さっさと泣いて縋るなり迎えに来るなりしろ、という親友への怒りは口に出さず、劉黒は代わりに親馬鹿兄馬鹿全開な思考を口にした。


――― 少し時を戻して、一方。
昶が去った場では、緊張が支配していた。
「出るには早い役者が、来たみたいですね」
白銀の顔に浮かぶのは、焦りと怒り。これだけはっきりと顔に出るのはめずらしい、とこの場に昶がいたならそう答えただろう。
「久しいな、白銀」
その場の誰のものでもない、威厳に満ちた低い声が彼らの頭上から降り注がれた。
見上げた先―――空中に浮かんでいるのは、闇色の衣に身を包んだ1人の男。
鮮血のような緋色の長い髪を風に遊ばせ、見下ろすアンティークゴールドの冷たい瞳は捕食者そのもの。
かつては白銀と共に、今は独りで影の世界を支配する血に濡れた王………焔緋。
「息災であったか?余が一度殺した者にまた(・・)会えるとは、思わなかったぞ」
「………」
「あぁ、愚問であった。そう睨むな」
鋭く睨む白銀に対し、焔緋はくつりと余裕の表情で嗤う。
「それで、何の用です?アナタのことですから、表の観光、なんて趣味じゃないでしょうし」
「ただの気紛れだ。ルルがそなたに会ったと言っていたのでな。たまには、こちら側に自ら行くのも楽しかろうと思ったまでだ」
それに、と言いかけて、焔緋は失言したとばかりに口を噤んだ。何か意図があったようだが、白銀にはそれが掴めない。
「ここへ来て早々、面白い人間を見て、な。少し戯れてやったら、なかなかの逸材だったぞ」
持て余すように手を空中で遊ばせ、賢吾に入れたものと同じコクチを何匹か呼び寄せてみせた。
思い当るのは、ここにいなかった賢吾のみ。昶が様子を見に行ったことを思い出し、白銀と綾は表情を強張らせた。
「ほぉ。気になるか?」
「っそ、そりゃあ…」
「えぇ…アナタのそのやり方、つくづく嫌気がさします」
白銀が一歩、前に出る。そして、持っていた杖を高く掲げ振り下ろすと、それは黒い刀身に姿を変えた。
「人質を取るなどセコい事はせず、正々堂々と戦おうじゃありませんか!!」
彼の纏う覇気に、空気が震えた。そのあまりの冷たさに、思わず綾は服の上から二の腕を擦る。
だが、紅の王は何も感じないらしい。それどころか、彼は白銀に嘲笑を浴びせた。
「自惚れるでないわ。今のそなたなど、恐るるに足らぬ!」
「くっ…」
ぎり、と白銀が怒りに奥歯を強く噛み締めた。そんな様子が面白いのか、焔緋は愉悦の笑みを浮かべる。
そこでふと何かを思い出したのか、彼は不思議がる口調で問うてきた。
「そういえば、あの少年、厳重に塞がれてあったが、あれはそなたの仕業か?」
「…何の話です?」
「白を切っているのか、本当に知らぬのか……まぁ、よい。あちらで遊んでいるそなたの飼い犬も気になるが、役者もそろったようだからな」
彼の言葉に誘われるように2人が振り向いた先には、1人の青年がいた。
―――マスターを愛称とする青年、我妻秋一。
「マスター!!」
「やぁ、白銀。彼が現れたみたいだったから、ちょっと心配でね」
「だからって、その体では逆に…っ」
「いやいや大丈夫だよ」
気遣う白銀に、秋一はにこやかに首を振る。綾は、突然現れた彼に驚いたが、白銀の様子から味方だと判断し、何も言わなかった。
「久しいな。我妻秋一…だったか、今は」
焔緋の言葉にも、人のいい笑顔を浮かべ、肯定も否定も彼はしない。
そんな彼を気にすることなく、焔緋もまた嗤ったまま3人を見下ろす。
「心配せずとも、そなたらも楽しめるよう、相手は用意してやろう」
そう言うと、焔緋は何もない空間からコクチを何匹か呼びだしてみせた。
鋭い鎌を持ったそれらは、先日ルルが呼びだしたものとは違い、明らかに戦闘型と呼ばれるタイプのものだ。
故意的に呼ばれて気が立つコクチたちに、対峙する白銀たちの闘気も上昇する。
ところが、緊張が走るこの場へ、何やら騒がしい声が聞こえてきた。
「……って、空耳じゃねーの?」
「本当だって!何かさっきから、こっちの方で変な物音とか声とかすんだよ」
「ホントかよ?」
声の主たちは、どうやら彼らが話している様子を不審に思って近寄って来たらしい。
このことに焔緋も気付いている筈だが、策を講じる様子はない。それどころか、白銀がどう出るのか愉しんでいる風でもある。
(まずいっ。こんな時に……!)
一般人が来ることに、危機感を感じ焦る白銀。
彼の心情を察した秋一が術式を組むため、指先に持っていたカッターナイフの刃をあてがおうとした…その時。
世界に、異変が起こった。
「な……っ!」
「こ、これは…」
白銀と秋一が驚きの声を上げたその瞬間、この場にいた全員が無の世界へと飛ばされた。