「本当だって!何かさっきから、こっちの方で変な物音とか声とかすんだよ」
「ホントかよ?」
「何つーか、変にセリフ臭ェっつーか、ワケわかんない事言っててさぁ」
「演劇部なんじゃねーの?ソレ」
「そーかもしんねぇけど…あれ?」
「何だよ。誰もいねーじゃん」
目の前に広がるのは、いつもと変わらぬ校舎の裏側。もちろん、人などいるわけがない。
「本当だ…。おっかしーなぁ。確かに聞こえたのに」
陸上部のユニフォームを着た少年は、首を傾げた。確かにこの辺りから数人の話声が聞こえたはずなのに、誰かがいた痕跡など見当たらないのだ。
同じ服装のもう一人の少年は、そんな友人にため息をついてみせた。
「見間違い聞き間違いだって。さっきの、見慣れない格好の美少女がいる、って言ってたのだって、結局いなかったし」
「あ、あれはホントに見たんだって!!周りがキラキラって見えて、すっごくキレイだったんだぜ?!でも、どっかで見たことあるような顔だったんだけど…」
悩む少年を余所に、もう一人は、テレビの見過ぎじゃねぇの、と一蹴し、2人はまたグラウンドへと戻って行った。
彼らの頭上には、いつも通りの「青」が広がっていた。




突然「黒」で覆われた世界に、誰もが驚いた。
「な……っ!」
「こ、これは…」
あまりのことで、白銀と秋一が驚愕の声を上げた。焔緋もこれには驚いたのか、目を丸くしている。
この事態に困惑した綾は、頭上を見上げた。
空は、先程まで広がっていた色とは違い、正真正銘の黒になっていた。それどころか、さっきまで聞こえていた放課後の生徒たちの声どころか、虫や風の音すらも、今の綾には聞こえない。
「えっ、一体何が起こったの?!」
「『無装擬界』。周囲一帯にあったものを全部複製して作った閉鎖空間に、僕達は移ったんだ」
「今まさに、マスターがやろうとしていた術式ですよ。周囲に害が及ばないように、するためにね」
多大な困惑を含んで、白銀は答えた。
この術を施したのは、白銀ではなく、秋一でもない。かといって焔緋を見たが、この様子では彼と後ろに控えるシンの女ではないと当たりをつける。
(この辺りにいるシンかレイ……昶、なわけはないな。覚醒してないアイツには無理だ。なら、一体誰がこの術を…?)
眉をひそめる白銀だったが、思考はすぐに中断させられることとなった。
「は、はっ………ははははははっ!!」
彼の突然の哄笑に、見上げる3人も側で氷瀏も、驚いて彼を見る。
「まさか、ここへ来るとは思わなかった。人界は気に喰わぬが、たまには来てみるものだな」
今までとは違い、心底楽しいと言わんばかりの口調だった。これほど上機嫌の主を目にするのは久しぶりだ、と氷瀏は思う。
しかしそのことには触れず、彼は氷瀏を隣に呼び寄せると、彼女の髪の一房に口付け、命じた。
「やれ、氷瀏」
「イエス、マイマスター」
氷瀏が、両手を広げる。冷たい風が一陣通り抜け、ふわり、と白い欠片が舞い降りてきた。
それは綾の掌に落ちると、ほんのりとした冷たさを感じさせながら、溶けて消えた。
「……ゆき?」
舞い落ちる六華につられて、3人は再び空を見上げる。
空中には、氷劉の術で作り出された何本もの巨大な氷の槍が、頭上に浮かんでいた。
そして、彼女の着物の袖が振り下ろされるのに合わせて、それらが白銀たちの頭上に落ちてくる。
だが、白銀が躊躇わず綾と秋一の前へ進み出た。
「はぁっ!!」
白銀の気迫と防御の術で、3人の頭上に降り注ぐ氷槍を粉々に破壊した。
その隙間を縫って襲いかかってくるコクチを、綾が斬り裂く。
彼女の獲物とした木刀は、その闘気を受け、一振りの日本刀に変化していた。
「…悪くは、ないわ」
利き腕に纏う手甲と肩甲冑が、金属独特の鈍い光を放つ。
そのまま、返す刀で秋一を襲おうとしていたコクチを斬り捨てた。
「大丈夫ですか?」
「うん。ありがとう」
面識はないものの味方らしき彼を守りながら、綾は迷いのない斬撃で次々と斬り伏せる。
白銀もまた、彼女と同じようにコクチを倒しながら、合間に襲い来る氷瀏の攻撃をあるいは避け、あるいは消し飛ばす。
そして、それら全てが止んだ一瞬をついて、白銀は高く跳躍した。
「コレで終わりです!!」
「……っ!」
避けきれない氷瀏は思わず目を瞑り、死を覚悟する。
しかし、彼の剣撃は、彼女にもその後ろにいる焔緋にも…届くことはなかった。
『そこまでだ』
白い布で頭からすっぽり被った何者かが彼らの間に入り込み、氷瀏を背に、白銀の攻撃を片手で受け止めていた。
『双方ともに告げる。即刻、戦闘を中止せよ』
驚愕する白銀を、それははじき返すと、白銀に相対峙する。
『これ以上闘うというのであれば、「調律者」の名において、強制停戦状態とするが、如何か?』
凛とした声を張り上げ、それはこの場の第3勢力として君臨した。
攻撃が防がれたことにしばし呆然としていたが、突如現れたそれに焦りながらも、白銀は正体を見定めようとつぶさに観察した。
大きな布に包まれた体は、随分と華奢なもの。布から覗くのは、黒の編み上げブーツと、首輪から垂れ下がる銀色の短鎖。それ以外は一切を覆い隠し、顔はおろか髪や瞳の色すらもわからない。ただ、中性的と言うには高い声だけが、それが女であることを示していた。
見上げる3人は、初めて見る人物に呆然とする。しかし、白銀は調律者を名乗った「少女」を「知って」いるような気がした。
「アナタは誰、ですか?」
『私が誰かなど、お前には関係ない』
困惑も露に尋ねるが、彼女は素っ気なく答えた。その視線は焔緋に向けられたまま。まるで彼を警戒するかのように、一時も目を離さない。
ややあって少女の側で、氷瀏が躊躇いがちに口を開いた。
「ひめ、さま…?」
呆然と紡がれた言葉に、少女は氷瀏の頬を労わるように両手で触れた。
『ひーちゃん、怪我はないか?』
「…!はい。ありがとうございます、姫様っ」
初めて動いた氷瀏の表情に、礼を言われた少女は少し微笑んだ。それだけでこの場の雰囲気が、一気に柔らかくなる。
緊張した空気が和らいだことで、綾たちも話しやすくなったのか、口を開いた。
「姫って…じゃああの子、あっち側ってこと?」
「どうだろう。さっきのは、僕らを庇ってくれたように見えたけど」
「どちらにしても、今の様子では、完全に味方というわけでもなさそうですね」
(少なくとも、焔緋の『子』にしては、今までと奴らとは何か違う気がする…)
白銀の目には、彼女は焔緋に忠誠を誓っている風ではなく、どちらかといえば、対等な立場にあるように見えた。
「よく、ここへ顔を出す気になったな」
随分と楽しげに、焔緋は彼女に話しかけた。彼女の顔から、すっと表情が消える。
『どの口が言う。これだけ濃い瘴気を振り撒いておいて。結界を張らなかったら、どうなったことか。暇潰しなら良い迷惑だ』
急に変化した口調とともに、少女の気配ががらりと変わった。
これまで静かだった雰囲気が、殺気と怒気で染まる。他の者には、彼女の怒りに、大気が震えているような気さえした。
「やはりそなたが表に出てきたか」
『当たり前だろう。《影》を作りだしたのはあの子(・・・)だが、今ここでお前と話させてやるほど、私は心が広くないからな』
「はっ。相変わらずの保護者ぶりだな」
少女の声をした少女でない『誰か』と焔緋―――2人の間に、見えない火花が散る。
緊迫した空気に喉が渇く中、誰もが目を逸らせずにいる。
ややあって、口火を切ったのは、焔緋だった。
「単刀直入に言う。戻れ」
『断る』
拒否の即答に、焔緋はひくりと頬を引き攣らせた。しかし、それに構わず少女は更に言葉を続ける。
『言っておくが、これはあの子の意思だ。私はそれを最大限に尊重しているだけだぞ』
「意思、だと?そなたのことだ。あれこれないことやら余計なことやら、アレに吹き込んだのではないだろうな」
『冗談も休み休み言え。私があの子にそんな馬鹿なことするわけないだろう!大体、こんな事態になったのは、お前のせいだろうが!!』
焔緋相手に怖気づくことなくがなり立てる少女に、彼は言葉の意味が見えず、首を傾げた。
「どういう意味だ?」
『自分の胸に手を当てて考えてみろ』
「そんなものでわかれば苦労はせん」
『苦労したのはこっちだっ。おかげであの子は泣くし、43回も「エンのバカ」と聞かされたし!宥める身にもなれ!!』
「っ待て、今何と…」
驚愕した焔緋に対し、今まで怒っていた少女は、一転して突如狼狽え始めた。
『え、いやっ、お前が悪いんじゃなくて!全部こいつが……あー、わかった。もう戻るから、そう拗ねるな』
そして嘆息すると、ふっ、と少女の雰囲気が再度変わった。
纏っていた殺気も消えた代わりに、何とも言えない緊張感が走る。
「…久しい、な」
『…リュウも言ったけど、オレは戻らない』
「何故?」
穏やかな様子で尋ねた焔緋に少女は、何故だと、と剣呑な声音で呟いた。
『じゃあ聞く。何でここに来た。何で今、目の前にいるっ。下界嫌いのアンタが!』
激昂した少女に、焔緋は少しだけ目を丸くした。
それを意に介さず、少女の言葉は続く。
『探しに来たのは、オレじゃなくて白銀だろ。拾ったくせに出て行ったら行ったで何年も放ったらかしにしておいて、その上暇潰しついでに見つけたから戻れ、なんてふざけんのもいい加減にしろ!オレは、アンタのオモチャでもペットでもねぇ!!』
言葉を綴る少女の声に、力が籠る。それに呼応するかのごとく、少女の体がまるで蝋燭の炎のように揺らぎを見せた。
「ちょっと待て。余にそのようなつもりは…」
『触るな!!』
パシン、と伸ばされた焔緋の手が、強く弾かれた。
『…も』
「……ア、キ?」
『誰でも、いいくせにっ』
それが、少女の幻影の最後だった。
悲痛な叫び声を響かせた少女の体は、その勢いに消されたかのごとく、身を包んでいた布だけを残して、砕けた結界と共に空気中に溶けて消えていった。


術が切れて意識が戻った昶は、ずるりと壁に背をつけたまましゃがみこんだ。
思ってた以上に、焔緋に対する感情はあの時のまま、ぐちゃぐちゃの状態から整理できてなかったらしい。
会えた喜びと、家出する原因となった事象に対する感情と―――相反する気持ちの間で胸が揺さぶられ、感情が制御できない。
『アキ…』
「…エンの、バカ……っ」
家出してからのこの3年近く、数え切れないほど呟かれた呟きは、頬を流れた涙の一粒と共に地面に吸い込まれていった。


少女の残滓すら残らぬ、手の中に残された布を一瞥し、焔緋はそれを地上へと捨てた。
「興が冷めた。戻るぞ、氷瀏」
「……よろしいのですか?」
「あぁ。アレに戻る意思がないなら、ここにいても無駄だ」
つまらなさそうに、焔緋は3人に背を向けた。白銀がその背に声を投げかける。
「逃げるんですか…っ?!」
「逃げる?」
くっ、と彼が喉の奥で嗤った。
「面白いことを言う。もともと、余はこちら側を好かぬ。それに、「逃げる」などとは余を殺せる力を持っていて、初めて口に出せる言葉であろう?」
振り返った焔緋の顔から、表情が消えた。途端に、身の毛のよだつような殺気が白銀たちに押し寄せてきた。先程までの威圧感とは桁違いの圧力が、体を震わせる。
「勘違いするな。余は、今は生かしておいてやる、と言っておるのだ」
「めずらしいですねぇ。アナタがそんなこと言うなんて」
王としての矜持を支えに、白銀は強気で嫌味を言った。だが、焔緋は動じることなく、殺気を引いて歪んだ笑いを見せた。
「そなたなら判ると思うが、王とは実に退屈でつまらぬものなのだ。もっとも、アレさえいれば……いや、つまらぬことを言ったな。ただの戯言だ」
そして穴を開けると、彼は氷瀏を伴って影の世界へと帰っていった。
穴が閉じた瞬間、緊張が解けたせいか、3人の全身から冷や汗がどっと出た。心臓が大きく脈打つ。口の中が渇いて仕方がない。
「…大丈夫かい、綾ちゃん?」
「はい。けど…結構、キツかったかも…」
力無く笑う彼女に、秋一はお疲れ様と言う代わりに肩を軽く叩いてやった。
だがそんな2人の隣で、白銀は自分達の現状よりも、先程の出来事の方が気にかかって仕方がなかった。
(焔緋の言った「アレ」……さっきの女か?結界を張れたことといい、調律者権限を行使できるような口ぶりといい、一体あれは……)
「こっちも片付いたみたいだな」
校舎の影から、ひょこっと『彼女』が現れて、白銀は驚愕のあまり目を大きく見開いた。
「あっ、昶!!」
「昶君。君の方は大丈夫だったかい?」
綾と秋一が、『彼』の名を呼んで近寄っていく。
2人の言う通り、現れたのは白いシャツと赤の半ズボンが少しばかり砂埃で汚れた、黒髪の昶だった。
「一応。でもマスター、いつ来たんだ?それにさっき、ちょっとの間、人がいなくなる現象に会ったんだけど」
「買い物途中で近くを通りかかったもんで。誰もいなかったのは、さっきまで結界が張られてたからだよ」
「戻ってくるのが遅いのよ!こっちなんて、大変だったのよっ。向こうの大将が仕掛けてきて、一触即発だったんだから」
怒る綾に、気のない昶はどこか疲れた様子だった。
そして、昶が引き摺ってきたモノを見て、綾が素っ頓狂な声を上げた。
「……って、何よそれ?!」
「賢吾に決まってんだろ。ほれ」
「そんなの見ればわかるわよ!じゃなくて、あたしが言いたいのは、何で賢吾が死にかけのボロボロになってんのか、ってことよ!!」
「うっせー。コクチに寄生されてたから、殴り倒したんだよ」
「それにしたって、限度ってものがあるでしょ!サンドバックにしてはやり過ぎよっ」
「サンドバック……お前の方が扱い酷ぇじゃん」
「やかましいっ」
「まぁまぁ、2人とも落ちついて」
綾と昶の言い合いが始まり、秋一がそれを宥める。
白銀はそんな光景に、ため息を1つついた。
(なんだ、昶、か。そうだよな、さっきの女なワケねぇっての。さっきまで奴と対峙して、疲れてンのか?)
大体、顔すら見えなかったのに、よりにもよって昶と見間違えるなんて。
見間違えた自分に呆れる一方で、先程の少女に覚えた既視感が頭の中から消えない。
「…気のせい、だ」
敵かどうかもわからない正体不明の女と、目の前の『男』である昶が重なって見える思考を、白銀は頭を振って必死に打ち消した。



〜あとがき〜
賢吾、彼岸を見る編でした(ォィ
原作のこの話はもう、私の中では大変おいしいシチュでした(笑)この邂逅だけで、ご飯3杯ならぬSS3本はいけますっ。
次は、ゲームにもあった芹那ちゃん編かな。