―余の“子”とならぬか、澤木。
その言葉が、澤木の耳について離れなかった。
いったい焔緋は、何を考えているというのだろうか。あるいは、その発言ですら、彼の日ごろからの気まぐれがなせる業なのか・・・・
(確かに、白銀が信用できないことは事実だ。そして、私自身も、今の彼の方針を快くは思っていない。焔緋の言うとおり、彼の目指す光と闇のバランスなど、まやかしに過ぎないのではないかと、私もまた疑問なのだからな)
それに、このとき澤木には、もうひとつ気になることがあった。そう、焔緋に何かを伝えにやってきた、あの女性だ。
(確か氷劉とよばれていたが、どこかで・・・・?)
一人で苦悶し続ける澤木は、このとき、気づかなかった。彼のことを察して、そっと隣に腰を下ろした人物がいたことを。しかし、その人物にとっては困ったことに、その後も一向に澤木は、人物に気づく気配がない。よもや、自分は本格的に嫌われてしまったのではないか?そんな不安が、その人物の胸をよぎる。
「んー・・・」
さりげなく、困ったような声を出してみた。しかし案の定、反応はない。
「うーんと・・・」
もう少し大きな声で言ってみた。相手が困った風をしていれば、おそらく放ってはおかない質のはずだ。しかし・・・・それでも反応はない。これはもしかすると、気のせいではなく、本当に嫌われてしまったのかもしれない。
(確かに、さっきはちょーっと言い過ぎちゃったかなぁ、って思うしなぁ・・・)
困り果てた人物は、とうとう、意を決して話しかけることにした。
「・・・・別にさ、俺は、澤木のことが嫌いなわけじゃないんだよ。むしろ好きだ!いい仲間だと思ってるっ!だからさ、さっきは言いすぎちゃってごめんよ」
「・・・・ああ、洸か」
そこで始めて、澤木は顔を上げた。その表情は、まるで、今始めて()の存在に気づいたかのようだ。
「って、ええぇっ!もしかして、無視してたんじゃなくて、ホントに今の今まで気づいて無かったってコト!?」
「すまない。考え事をしていた」
「そっ、そんなぁー・・・・心配して損しちゃったよ・・・・」
とほほ・・・・
がっかりするとともに、澤木がさほど怒っていないことに気づいて、洸はほっと胸をなでおろす。
「先程の件なら、気にすることはない。あれは確かに私のミスだ。お前の言ったことは、間違っていない」
「そ、そう?まあ、そう言ってくれるならいいけどさ・・・」
「劉黒から、何か言われたか?」
結局澤木は、焔緋に会ったあと、洸たちに合流することもなかった。散々責めたてられた自分が、食事の席を共にしなかったことで、彼らにも思うところがあったのだろう。そう、澤木は考えていた。
そして事実―・・・・



「ん?澤木のヤツがいねぇな」
うどん屋に入ると、傍らにいつも静かに座っているはずの人物がいない。白銀は二人に問いかけた。
「え〜。いいじゃん。ほっとこうよ、あんなの」
しかし案の定、まだどこかふくれっ面の洸は、あくまで澤木を無視で決め込みたいらしい。
「洸」
見かねた劉黒は、たしなめるような口調で言った。
「さっきは言いすぎだぞ」
「なにソレ?劉黒は澤木の味方するわけ?」
「そうではない。あの時、澤木に過失があったのは確かだ。しかし、それは彼自身が一番よくわかっているはずだろう。それなのに、お前の言い方は辛辣すぎた」
どこか澤木を弁護するような物言いに、洸はあからさまな不服の態度を示さずにはいられない。
「でもさぁ―」
「澤木は、我々の中でも人一倍気を使う。だから逆に、たとえ彼が口に出して言わずとも、我々はそれを察するべきなんだ」
「ちっ」
横で白銀が小さく舌打ちをした。どうやら、彼自身も、劉黒の意見には賛成しかねるらしい。しかし、自分まで劉黒に説教を食らうのは嫌らしく、口に出しては不平を言わなかった。
「でも、あいつは優しすぎるんだよ。だから、いざ戦う段になって、それが弱さになって現れる。あんなこと続けてたら、ほんとにいつか、死んじゃうじゃないか。俺は、澤木のそーいうトコが嫌いだッ!」
ふっ・・・
ふと笑うと、劉黒はつぶやいた。
「洸は、本当に澤木のことが好きなのだな」
「ばっ・・・・急に変なコト言うなよ、劉黒!」
どうやらからかわれたと思ったらしく、洸は顔を赤くして反論した。しかし、劉黒の態度がそうではないことを悟ると、すぐに我に返ってうなずいた。
「でもまぁ・・・・そうかな」
「お前はどうやら、澤木のことを心配しすぎるきらいがあるな。だが、ならば尚のこと。澤木のことをもっと信じてやれ。それが、おまえ自身のためでもあるはずだ」



ふと先刻のうどん屋での話を思い出し、洸は少し微笑んだ。
「んー、まあ。いろいろね。でも、言い過ぎちゃったってコトは、俺も反省しているし。それに俺、何だかんだいって、澤木のことはわりと信頼してるからさ」
罪のない表情で、洸はにぃっと笑った。そのあまりの無邪気さに、澤木の思わず顔を綻ばせる。
「それよりさ、俺はあの白銀ってやつが信用できないんだよね。そう思わないかい、澤木?」
―白銀を信用せぬ方がよいぞ。あれは、大切なことは決して誰にも言わぬ質だ。
洸の言葉と、先刻の焔緋の言葉が重なった。
確かに、それに関しては自分も同意見だった。しかし、それに賛同することが、まるで洸ではなく焔緋におもねているようで、このときの澤木には、どこかためらわれた。
「そ、そうだろうか・・・」
澤木が困ったような返事をすると、洸の口調が、力説せんばかりに強くなった。
「そうだよ!あいつは劉黒を守るとか言っときながらさ、戦いになると全くその気がない。むしろ、劉黒を挑発してるみたいだ。俺はあいつが信用できないね」
劉黒を誰よりも慕う洸にとって、白銀は、劉黒を守るに値しない人物らしい。しかし、あまりの言われように、思わず澤木は白銀に同情した。
「おまけに、いっつも調子のいいことばっかり言って、胡散くさいったらありゃしない。本心じゃ何に考えてるか全く読めないし。あんな信用してついてくなんて、本当に俺たちそれでいいのかな」
「・・・その点に関しては、私も同感だ。今の方針は、正直私にも疑問だからな」
「おっ、めずらしく気が合うじゃん、澤木」
洸は、本当に嬉しそうに、にぃっと笑った。
自分には、この男は本心を打ち明けられるのか。そのことが、どこか澤木には誇らしい。
「思えば我々は、あの男に乗せられているだけやもしれんな」
「そうだよ。あいつって、大切なことはぜったい俺たちにも言ってないよ。下手したら、劉黒にもさ。今回の件でも、何か重要なことを隠してそうだし」
(・・・・!)
――あれは、大切なことは決して誰にも言わぬ質だ。此度の件でも、何か重要なことを隠しているやも知れん
洸が何気なく放った言葉は、まさに、焔緋が澤木に忠告したのと同じ言葉だった。

だからといって、それが焔緋におもねる理由になど、なりはしないはずだった。
(にもかかわらず、あのとき、私は――)




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