あの闇色の瞳をもつ彼を見つけた瞬間、心臓が凍りつくかと思った。

もう二度と会わないと…そう、決めていたのに。



琴上を舞う女



 さらりと、肩から夜空を映したような一筋の黒髪が滑り落ちた。
墨染めに大輪の牡丹が描かれた着物に、朱金の帯が、新雪のような白い肌によく似合う。
つややかな赤い唇から漏れるのは、鈴を転がしたような軽やかさを秘め、室内によく通る、透明な声。
お辞儀をする所作も、大変優雅で、一挙一足をついと目が追ってしまう。
それでいてほんのりと艶やかであり、だが、触れると壊れそうな儚さが感じられる。
何一つ非の打ち所のない美しさがそこにあった………ただ、一つを除いて。

「このように、大勢の方がいらっしゃる場へお呼びになるとは…お珍しゅうございますね」
小首を傾けたその顔には―――正確にはその両目には、赤い布がきちりと巻かれていた。

女中の一人と思しき少女に付き添われた女を見て、タダジは満足げに頷いた。
「よう来た。今日は大事なお客方でな、お前の腕を見せたかったのじゃよ」
女を側に座らせると、タダジは老中達に向き合った。
「この者は、『華月(かげつ)』と申しましてな。半年ほど前に気に入って、遊郭から引き取ってきたんですよ」
聞けば、琴の演奏が大変上手であり、宴の余興に呼んだらしい。
「華月、と申します。身分の高き方々には、お見苦しいことでしょうが、どうぞご容赦を」
挨拶を催促され、深々と女――華月は頭を下げた。
「しかし、殿下。その目はどういうわけですかな?」
老中の一人が、両目を隠すようにした赤い布に疑問を投げかける。タダジは軽く笑って答えた。
「この者は目が見えませんでな。事故で大きな傷を負った姿が見苦しいと言うので、こうして布を巻いておるのです」
「では、演奏など到底無理ではありませんか?」
「いえいえ!ところが、そうではないのですよ。ほれ、華月。一曲、弾いて差し上げなさい」
タダジの催促に、華月の前に、先程付き添っていた女中が紫檀の七弦琴を持ってきて、彼女の手に爪をつけ、琴へ導く。華月は一礼すると、そっと弾き始めた。
曲目は「夏椿」。琴の演奏会などでは定番の曲である。だが。
(………こいつは、すごい……っ)
シカマルを始め誰もが、素直にそう思った。
琴から迸る音の奔流に、呑み込まれそうになる。これは琴が良いからだけでは出せない、奏者の腕によるものだ。しかも一流と言っても過言ではない。
短く弾き終えた後、彼女に贈られたのは惜しみない拍手と賛辞であった。
「いやぁ、素晴らしいっ!」
「これほどの逸材を隠していらっしゃっるとは。殿下もお人が悪い」
「全くですなぁ。これなら城内でも十分やっていけますぞ!」
賛辞の嵐の中、タダジは一人声を上げぬシノギに矛を向けた。
「いかがですかな?祭夜殿」
「む、そ、そうですなっ。一流の奏者の演奏でした!このような者を見つけられた殿下の目は、中々のものですな!」
日頃滅多に聞かぬシノギの賛辞に、タダジは更に機嫌を良くする。他の者も同じような反応だ。
だが、シカマルはシノギの顔が何故か引き攣らないよう一生懸命隠しているように見えた。まぁ、このような連中に対して何かを褒めるという行為が気に食わないだけだろうと、別段気には留めないでおく。
(…しかし、上手いもんだ。あいつより上手い気がする…)
相方の天も、変装は得意だったため、武芸一般・芸事は何でもできたが、武芸はともかく芸事は一流とまではいかなかった。もっとも、変装など使わない任務の方が圧倒的に多かったので、目にする機会は数度しかなかったが。
(って。なんて感傷的になってるんだ、俺……)
シカマルは首を軽く振った。先程まで死んだ彼のことを話していたからだろうか。気分が沈みがちで、どうもいけない。
そんな彼に突然、隣で手を叩いていたイノが小声で話しかけてきた。
「…ねぇ。あの人、いるわよ」
「……あの人って?」
「バカ。蒼輝さんよ」
ほら、と指された部屋の隅の方を盗み見ると………確かに、黒ずくめの彼がそこにいた。
慌てて席を立とうとするが、イノがぐいと袖をひっぱり止められた。だが、シカマルが何かと問う前に、その理由は知れた。
「これは、先程お会いした木の葉のお嬢さん、ですな。そちらの方を紹介していただいても?」
いつの間にかタダジが女中に支えられた華月を伴って、目の前にいた。シカマルは渋々座りなおして、同郷の奈良シカマルです、と名乗った。
「お2人とも。先程の演奏はいかがでしたかな?」
「えぇ、すばらしいものでしたわ。琴が弾けるだけでもすごいことですのに、盲目であそこまでできるなんて、感動しました」
「いやはや、そこまで言っていただけるとは。お前からも礼を言っておきなさい」
ご機嫌のまま、タダジは向こうにいたカカシたちの方へと歩いていった。どうやら全員に自慢し終えたようだ。そんな主が去った後に、すっと華月は頭を下げた。
「もったいないお言葉、ありがとうございます。山中様」
「あ、いーえっ、全然っ……あれ?あたし、あなたに名前言いましたっけ?」
「皆様のお名前は、この場に来てすぐに一度彼女…コウからお聞きしました」
ぺこりと付き添っていた侍女が、一礼する。聞けば、彼女は華月専属の侍女であるという。
「それに、本日見知らぬ女性はお二方とお聞きしておりますし、春野様とはもうお会いしましたから」
淡々と言う彼女に、シカマルは少しばかり驚いた。これだけ多い人間の名を、一度で覚えたというのだ。並みの記憶力ではない。
「じゃあ、俺は?」
「………奈良、シカマル、様、でしょう?」
やや言葉を詰まらせて、見えないはずの目がシカマルの目をしかと捉えた。
(………まるで…)
「まるで、本当に見えてる、みたいね」
「えぇ。誰かと話す時は、大抵目を合わせて話すようにと教わっておりますから。目が見えないかわりに、耳と気配でその方の目線がどのあたりにあるのか、感じるのです」
「すご〜い。わかるんだ、そういうの」
素直に言うイノに、彼女は微笑した。その花が綻ぶような笑みに、シカマルはドキリとする。
「ところで、奈良様。よろしいのですか?」
「……へ?」
「あの、お館様が話しかける前に、どこかへ行こうとなさっていた気がしたもので…」
「へぇ。そういうのもわかるのね」
「以前お世話になっていた所では、お客様のそういう素振りは見逃してはいけないもの。長く目を患うと、他の感覚でそういうことを察知しなくてはなりませんでしたので」
「大変ね。で、本当にいいの?シカマル」
出て行くわよ、とイノに言われて振り向くと、蒼輝は外へ行こうとしていた。
「イノ。悪いけど…」
「わかってるわ。もう戻ってこなくていいわよ」
「あぁ。じゃあ、頼む」
シカマルはイノと華月への礼もそこそこに後を追って退出した。


 廊下に出て部屋を離れると、そこは別世界のようにシンと静まり返っていた。
外に面した廊下は、歩くとひんやり冷たい。やはり山の上は涼しいものだ。
(蒼輝は、どこへ行ったんだ…?)
見渡してみるが、誰かが通るどころか、人の気配すら感じられない。おそらく宴会の方に手を割かれているのだろう。
「やっぱ、来たのと反対の方へ行きゃよかったか…?」
ぼそりと呟きが廊下に響き渡った。何も返って来ないのにむなしくなり、戻ろうと元の方向へと踵を返しかけた、そのときだった。
ふっと、何かが降り立つ気配がして振り向くと、そこには蒼い光が浮かんでいた。
………否、蒼い瞳をした黒ずくめの青年――蒼輝、である。
「こんなとこで、何しとる?それとも、俺に用事か?」
欄干にもたれかかり、どこか挑発するように、蒼輝は布越しでくぐもった声を寄越す。ようやく会えた目的の人物に、シカマルは、薄く笑みを浮かべた。
「あぁ。お前に用事だ」
「へぇ…んで?木の葉の軍師サマは、俺に何の用なん?」
「…5年前、お前は誰かに拾われたと聞いた」
「そうや。そんで?」
軽く返ってきた肯定に、シカマルは問いかけた。
「それ以前は、どこでどうしていたか、知りたい」
その瞬間、すっと、蒼い瞳が冷たく細められた。
「それを知って、どないする?」
「…別に」
「答えろ、木の葉の奈良シカマル」
背筋を氷が伝うように、ぞっとする。勢いに押されて、シカマルは答えた。
「……俺は、お前と同じ色の瞳の人間を探してるだけだ」
すると、冷たさは一気に消え去った。
「へぇ。だったら、俺は除外や」
「何故?」
「お前が探す人間は、俺と別物やから」
「わかんねぇだろ、んなこと」
「わかる。それに、俺はいっぺんもお前と会うたことあらへんからな」
「残念だが、俺の探すやつは、嘘が上手でね。信用できねぇ」
「そう言われたかて、ほんまなんは、ほんまやっ」
「だから、それが本当なんて確証は、どこにもねぇだろうがっ」
数度、同じ言葉が繰り返される。だが、蒼輝は短気な性質らしい。それに苛立ち、とうとう爆発した。

「わからんやっちゃな!第一、俺はお前の探し人の名前を知っとるがな!」

シカマルは言われたことが、一瞬わからなかった。視界がぐらりと揺れる。
「今、なんて……」
「あ……あ〜、お前の探し人、誰か知っとる…って言うた…」
蒼輝の目が右往左往に泳ぐ。何だか口を滑らしてしまった、という感じだ。
シカマルは硬い声で、言ってみろ、と蒼輝に言った。
「……木の葉の『天』…『うずまきナルト』やろ」
だから俺はそいつとちゃう言うてん、と蒼輝は苦々しく続けた。
しかし、驚いたシカマルはそれで納得しなかった。訝しげに蒼輝を見る…というよりは、睨み付ける。
「待て。何でお前がそれを知ってる?」
「人から聞いたからや」
「誰に?!」
「さぁ?誰に聞いたか忘れたけど、昔『黄泉』の話、聞いてな。一時興味があって、それが誰なんか調べさせてもろた。そっから、俺と同じ色の目って言うたら、お前の相棒やった『天』しかおらんやん」
蒼輝は、肩を竦めてそう返す。シカマルは、それが本当なのかどうなのか、わからなかった。
「ま、そういうわけや。あ、ちなみに俺もそいつの居場所なんて知らんからな」
先回りして言う蒼輝を、シカマルは見つめた。
視線を外し、どこか遠くを見る蒼の瞳には、何も映らない。それが彼に似ているのか、似ていないのか……それもわからない。
突然、風が吹いた。強風が襲い掛かり、2人の身体にぶつかっていく。
「……       ……」
「は?」
強風にかき消され聞き取れなかった言葉を聞き返すと、蒼輝は、何でもあらへん、とそっけなく言い放った。
そして、ぐいと一つ伸びをすると、廊下を蹴って、欄干に飛び乗る。まるで、猫のようだ。
どこかから、荒れ狂うような、琴の音色が流れてくる。また華月が弾いているのだろうか。
「さってと。一つ言うといたる。今から嵐が来るで」
「嵐、だと?」
「あぁ。大きいやつや。天気も荒れる。帰るんやったら、明日の朝にでも山降りぃ」
でなければ…、と言いかけて口を閉じる。その様子は困惑しているようだが、口調には不機嫌さが滲み出ていた。
くるりと振り返って、シカマルを見る。影になって表情は読めないが、やけに蒼い光が強く輝いていた。

「悪いことは言わん。さっさとこっから出てけ」

 不吉なことが起こらんうちにな………

冷たい蒼の残像は、そう言い残して、細い三日月の照らす星空へと姿を消した。
残されたシカマルは、複雑な胸中の中、ただ呆然とそれを見送ることしかできなかった。



〜あとがき〜

やっと出たっ。これで主要キャラは全員出し切ったかも!
というわけで、宴はとりあえずおしまい。次からはちゃんと任務をこなし……てるハズです;
そして、事件も次からです。
果たして、何が起こるんでしょう?次をお楽しみに。