脂ぎった顔の中年男を前にして、綱手の指示通り夕方到着したサクラとイノは必死に困惑顔を隠していた。
「いやぁ〜。あの伝説の三忍の弟子が、このように美しいお嬢さんだとは、思わなんだなぁ」
「は、はぁ。それはどうも;」
眉間に皺がよらないよう、サクラはそっと視線を外しながら、相手と話をする。綱手の名代というのもあるが、この相手に粗相は絶対禁物だからだ。
「そちらのご友人も、若いし中々美しいのに、優秀でいらっしゃるとか」
「それは、どうもありがとうございます…殿下」
「うむ。まことに結構。木の葉の将来は安泰というものだのぅ」
こういうのには慣れているはずのイノも、今は笑顔を引き攣らせないよう、サクラ同様に男の顔を直視していなかった。
機嫌の良い男を前に、サクラとイノは目線だけで会話をする。
(いい加減に、解放してくれないかしら…)
(本当よね…もうウンザリだわ。何様って感じっ)
(綱手さまが嫌がるわけよね)
(サクラ。とんだ貧乏くじ引かされたわね)
だが、この男の身分を知ってしまった以上、彼女達は精一杯愛想良くして、決して失礼のないように、男と話をするしか道はなかった。
その頃、残る男たちはもう一つの任務で、護衛対象だという老中の所へ行っていた。
窓から入る斜陽に照らされた初老の男は、写真で見た通り、綺麗に撫で付けた白髪交じりの髪に、日に焼けた精悍な顔立ち。知性の宿る黒い瞳が煌いている。
「既に聞き及びとは思うが、私は、祭夜シノギという。陽炎城にお仕えする老中の一人だ」
渋めの低い声には若さが滲み、事前に聞いていた年を、全く感じさせない。圧倒するような威厳も持っている。次期老中筆頭候補というのにも、簡単に頷くことができた。
年長ということもあって、ここはカカシとアスマが代表で彼に挨拶をする。
「この度、我々が貴方様の護衛を担当することになりました。あと2人おりますが、もう一つの用事でここには後で伺います」
「あぁ、依頼人から聞いている。火影殿の名代として、まず招待主に挨拶するのは、通りというものだ」
「依頼人から?……貴方が依頼なさったのでは?」
「私の代わりに依頼をしてくださったのだ。今は正面から依頼できるような状況ではないのでな」
深く頷き、シノギは目の前にいる彼らを見回してきた。
「このように、8人もの手練を寄越してくださったとは、ありがたい。正直あちらこちらからの襲撃で、こちらの護衛が何人もやられて刃が立たなかったのでな。反撃はできないので、困っていたのだ」
「…失礼ですが、誰から狙われていらっしゃるのか、ご存知なので?」
「……うむ。知っている。だが、証拠がない以上、早々手は出せないのだよ」
ふと、軽い調子で、シノギは外に音が漏れない結界が張れるか、と彼らに聞いてきた。そこでネジがすっと印を組み、結界を張る。シノも、他者に聞かれたくないのだと判断し、結界の外側に蟲を残し、監視役をさせる。
それにカカシが大丈夫だと言う代わりに頷くと、やや置いてシノギは口を開いた。
「綱手殿に、事情は聞いておるか?」
「いいえ。綱手さまは詳しくお話せぬまま、我々をここに寄越しました。此度の事情は、貴方様に聞き、自分の目で確かめよ、と」
「ふむ。百聞は一見にしかず、とは良い判断だ。確かに、誰かから聞いた話よりは己の目の方が、遥かに信じられるものだな」
彼らにはよくわからない。しかし、話すだけで十分ではないのだろうか、と顔に出ていたのを見取った彼は、今回の任務についてを話し始めた。
「では、初めから話そう。だが各自、己の目を信じてほしい。…私は現在、多くの者から命を狙われている。それは聞いているな?」
「聞いております。政治絡みで、他の老中方から、と」
「その通りだ。だが、自分の意思で私を殺そうと思っている彼らもまた、誰かに使われている身なのだと私は思っている」
「して、その誰か、とは?」
部屋に、不気味な沈黙が下りる。やがて、それは老中自らの言葉に打ち破られた。
「首謀者の目安はついている。その名は、『炎野タダジ』………現王弟殿下、だ」
王弟殿下が老中を狙う、と聞かされ、まず最、誰もが首を傾げざるを得なかった。
王弟殿下といえば、会合を開き招いたこの屋敷の持ち主であり、今サクラとイノが苦戦して話をしている相手である(もちろん、ここにいる面々はその様子を知るはずもない)。
だが、仮にも王位継承者の権限を持つ者だ。兄が王になった時点で親戚扱いとなったと聞いているが、継承第3位を持つものに変わりはないはずである。
対して、老中は皇族ではなく、強いて言えば一般人だ。おまけに、いくら政治を仕切っているとしても、最終決定権は老中ではなく王にあるのだ。どうあったところで、政治の実権は完全に握ることなどできない。むしろ取り込んだ方がやりやすいというもの。
少し考えれば、普通ならありえないことなのだと、気が付くというものである。
ここにいる面々もまた、その点に気付き、シノギに尋ねた。
「何故、王弟殿下たる者が一介の老中を狙うんです?」
「殿下にとって、私は…邪魔、なのだそうだ」
「邪魔…ですか」
「そう。現在、陛下が病に臥せっているのは知っておるな?」
現王が数年前から病気で寝込んでいるのは、誰もが知っている。一同それを示すと、シノギは続きを話す。
「次代の王の地位を自分のものにするためには、今政治の中心を握る第2皇子が一番の邪魔になる」
「あの、第1皇子はどうなのでしょうか。通常、第1皇子が跡取りになると思うのですが」
「あの方は………噂で聞いておるかも知れぬが、遊郭通いで遊び呆けていらっしゃってな。政治に直接参加されたことはないし、今は城にもいらっしゃらないのだ」
それはそれで、問題のある皇子だ。なるほど、そういうことなら第2皇子は確かに邪魔になる。だが、それとこれとがどう繋がるのだろうか。
「しかし、第2皇子は聡い方だ。実の叔父が自分を亡き者にしようと企んでいるのに気付き、すぐに姿を隠された」
「なんですと?!では、あなたが政治を動かして…っ」
「いいや、それは違う。政治は間違いなく、私と第2皇子で動かしているのだ」
静かに断言するシノギに、シカマルは確かな根拠があるのを感じて、尋ねてみた。
「何か、第2皇子と連絡を取っているような言い方ですね」
「こらっ、シカマル!」
「構わぬよ。その青年の言う通り、私は皇子の居場所を知り、連絡を取っているのだ…手紙でな」
「ですが、それが本人だという確証でも?」
「ある。文には必ず皇子の紋が入っておる。何より、皇子の文を届けてくれるのは、あの方に仕える中でもとびきり信頼のおける優秀な者たちでな。私と皇子しかあれを知らぬ」
「では、その者が偽者だという可能性は?」
「100%ありえぬ。あの者が約定を違えることは、決してないと知っておるからだ」
それ以上を、シノギは語ろうとしなかった。追求するな、という雰囲気を感じ、シカマルもそれ以上は口を噤む。
「さて、これでわかっていただけたかな」
「…要するに、肝心の第2皇子の行方を知る貴方をどうにかすれば、彼が出ていらっしゃるということですね」
「そういうことだ。おまけに王弟殿下は、以前から私を疎ましく思っていた他の老中方を言葉巧みに操り、私を狙うように仕向けた」
誰がいつ狙ってくるか、わからない。誰もが狙っているかもしれないし、誰かは狙っていないかもしれない。
そんな状況にいて、未だその証拠が全くつかめていないのだ。
「しかし、これは私の憶測でしかないのだ。だからこそ、話は半分に留め、貴公たちには己が目で事の真相をはっきりと見極めていただきたい」
鋭く光る瞳の前に、8人が承諾の意を示した。その時――――
ドサリと、屋根裏から黒い人影が一斉に降りてきた。
8人がシノギを中心に、円陣になって身構える。
降りてきたのは、全部で10人。全身黒い衣装を纏い、腕には手甲。全員が手に武器を持っている。
間違いなく、襲撃に来た敵である。
「老中・祭夜シノギ殿、お命頂戴する!!」
そう言った相手の持つ脇差が、ぎらりと鈍く光っていた。