誰か、嘘だと言ってくれっっ!!
叫びたいのを我慢して、少年は里を走り抜けた。自分の顔がバレないようにと、念のため狼の仮面をつけて。
そのスピードは、彼を知るものでなくとも驚愕に目を瞠るだろうが、ご自慢の黒髪も夕闇に紛れ、誰一人気付くものはいなかった。
少年の名は、奈良シカマル。去年の中忍試験に唯一合格した、旧家・奈良家の長男である。
彼を知るものたちが語るには、常に覇気がなく、「めんどくせー」が口癖。だが、時に冷静沈着、ひょっとしたら将来優秀な策士になるのでは、と言われている。
では、何故その少年が今、上忍顔負けの速さで駆けているのか。
話は、遡ること約30分前になる。
それは、慰霊祭も終わり、本日は休みだと、のんびり縁側で一人将棋をしているときだった。
幼なじみの1人、山中イノが駆け込んできたのは……。
「シカマルっ、大変よ!!」
ドンっ、と彼女は彼の横に荒々しく膝をついてくる。盤面が崩れてしまったことに顔を顰めたシカマルは、不機嫌そうにイノを見た。
「何だ、イノ?」
「何だ、じゃないわよ!こっちは急いで来てやったんだからっ」
何時になく切羽詰まった声で言う彼女は、何故か泣きはらした赤い目をしていた。
その様子に、変だと気付いたシカマルは、将棋の盤面を脇に追いやり、イノに向き合う。
「落ち着け。どうした?サクラにでも先を越されたのか?」
「バっカじゃないのっ!!サクラとサスケ君がくっついたところで、痛くもかゆくもないわよ!!茶化さないでっ!」
「わかってる。……それで、どうしたんだ?」
彼女の勢いに嘆息気味に尋ね返したシカマルは、次の瞬間、凍りついた。
「驚かないでね………ナルトが、死んだわ」
「…………冗談だろ?」
「残念だけど、本当よ。さっき、サクラに聞いたの」
彼女の親友であり、ナルトと同班の春野サクラによれば、彼女も突然火影から呼び出され、告げられたらしい。
火影曰く、原因は大怪我による失血死。崖からの転落、だそうである。
「…事故か、故意かは、まだわからないそうよ」
「…殺人、だと?」
「そこまで言ってない。あくまで、可能性がある、だって。けど、変じゃない?ナルトは誰かに恨まれるような子じゃないわっ」
確かに、そうだ。表のナルトを恨むやつなんて、そうそういない。だが、里の人々の大半は、昔からナルトに影で暴力を振るっていたことを、シカマルは知っていた。
ナルトの中には、九尾の狐という妖怪がいる。皆、それを恐れているのだ。そしてそれは、中忍試験の際、力の片鱗を示してしまった。
あれから木の葉崩しやカカシたちが倒れたことによる人手不足、新しい火影の就任など様々な出来事がありすぎて、忙しかった。
しかし、それが一旦収まった今、その話が蒸し返されたのだとしたら………?
(いや……あいつがそれくらいで死ぬはずがない)
本当は、ナルトは誰よりも強い者だから――――。
「…イノ。サクラは、死体を見たのか?」
「いいえ、そこまでは。サクラは下忍だもの。火影様が厳命されたことに、我侭は言えないわ」
「火影の厳命、だと?一介の下忍の死体を誰にも見せないことにか?」
なら、ナルトの死は偽装の可能性もある。むしろ、そちらの方が高い。
だが、彼と付き合いの長いイノは、ナルトの死を疑っていることに気付き、静かに言った。
「…シカマル。ナルトが死んだのは、多分事実よ」
「んなこと、確かめてみなきゃわかんねーだろっ?!」
「わかるわよ…だって、サクラはこうも言ったわ。『火影様が泣いていた』って」
「そんなの、根拠になるか……」
「馬鹿っ!!綱手様を連れてきたのは、他ならぬナルトでしょ?!あたしたちの中で、綱手様と一番親しかったのは、そのナルトじゃないっ!!」
イノは、声を荒げると、また泣き始めた。頬を幾筋もの涙が、零れ落ちていく。
叱るような言葉に、シカマルは背筋が凍ったような気がした。
そうして、イノをその場に置き、ふらりと家を出た。
目的地は、そう――――アカデミーにある、火影の執務室、だった。
歩いていたのが、早歩きに。いつの間にか、次第に小走りから俊足へと変わっていた。
走りながらも、頭では冷静に、ナルトの死が嘘である確率を考える。嘘でないことは、全く考えない。
(ナルトが死ぬはずないっ………あいつは、あのカカシより強いんだぞ!)
うずまきナルト―――表向き、元落ちこぼれの下忍であるが、本当は幾多の死線を共に乗り越えてきた、シカマルの相棒である暗部であり、最愛の恋人でもある。
その名を、『天』。数年が限度の暗部の中で何年も過ごしてきた、里でも指折りの実力者である。
その実力を、誰よりも理解していると自負できるシカマルだからこそ、彼が死んだなどとは到底信じることのできない冗談にしか聞こえない。
(しかも、死因が崖からの転落による、怪我だと?!)
崖から身を投じたことなら、いくらだってある。彼らがこなす任務は、大抵S,Aランク。それくらいの危険は想定範囲内だ。
けれど、先程から締め付けられるような、胸の焦燥が感じられる。
大丈夫だと、己に言い聞かす一方で、積もっていく不安。
それだけが、シカマルを急かしていた。
「失礼しますっ、火影様!」
「……せめて、ドアから入ったらどうだ?黄泉」
嘆息した5代目火影―――綱手は、窓から侵入した存在へ、くるりと椅子を回転させる。
その表情は、普段からは考えられないほど弱々しく、目元はイノと同じように赤く染まっていた。
「……驚いた。お前、変化もせず、走ってきたのか?」
「そうですけど。それより、今変なことを聞いて………」
「あぁ。お前にも話そうと思っていた」
重々しく息を吐き出す。
「ナルトが、死んだ」
シカマルを再び氷漬けにするには、十分な一言だった。
「………あー、嘘、だろ?」
「どうして、そう思う?」
「だって、ナルは『天』だぜ。あいつの強さは、相棒の俺が一番よく知ってる」
「だが、事実だ」
「だから、それが嘘なんだろ?」
性質の悪い冗談だ、とシカマルは言う。けれど、その語尾は震えていた。
綱手が、微笑んでいたのだ。しかも、それは弱いもので、哀しげである。
「……っ、嘘だって、言えよ!!」
激昂するシカマルに、綱手は静かに首を横に振った。
ぎゅっと唇を噛み締める。滲んだ血の玉が一筋、流れ落ちる。
「…ナルに、会わせてくれ」
「駄目だ」
「何でっ!!」
「それは………」
綱手が言いよどんだ時、けたたましい音を立てて、執務室に入ってきた者がいた………綱手の弟子・シズネである。
「綱手さまっ!大変です!!」
「何事だ、シズネ?」
「さ、里で火事がっ!今、懸命に消化活動がなされてますっ」
「火事くらい、どうした…」
「くらい、じゃないですよ!!燃えてるのは、ナルト君のアパートなんですっ!!」
涙を浮かべて訴えた内容に、シカマルは顔を固くした。横を見れば、綱手は一気に顔を青褪めさせている。
「…何が起こっている?ナルトの死を聞かされた後に、あいつの部屋が火事だと?」
ふざけるな、と言いたくなるほど良いタイミング。怒気をこめて、シカマルは綱手をにらみつけた。
「……いいだろう。特例処置だ。ついてこい」
徐に席を立った綱手は、床の一部分を引っ張り、隠し階段を出現させる。
そしてシズネに後を任せると、シカマルを連れて階段を降り始めた。
階段は、暗く、長い。どんな仕掛けなのか、降り始めると同時に着いた灯火が、不安げに足元を照らす。
どのくらい経ったか。ようやく、綱手は、口を開いた。
「……嘘、だといえば、嘘なんだ」
「…じゃあっ…」
「死因は、崖から落ちたんじゃない――――殺されたんだ。後ろから刃物で刺され…」
そして、崖から落とされたんだ、と。
沈黙が、しばし降りた。その間に、階段は終わりを迎え、大きな石の扉の前に出る。
綱手がそれにチャクラを流し込むと、扉は鈍い音を立ててスライドした。
彼女に続いて中に入ったシカマルが見たものは―――――真っ白な、小さな棺。
透明なガラス板の窓から見えているのは、痛々しいほど血の滲んだ包帯を巻き、冷たくなった、愛しい少年の姿だった。
「私がこれを見せないのは…わかるな?」
「…確かに。これじゃあ、痛くて見てらんねぇだろうな」
「それに、見るものが見れば、これは刺されたのだと、気がついてしまう」
「…別に、構いやしねーだろ?」
「構うのさ。前々から、ナルトに言われててな……自分が殺されても、そいつを見つけることだけは、誰にも…シカマルにもさせないでくれ、とな」
あの子は里に優しすぎる子だった……思い出した綱手の目尻に、涙が浮かび上がる。
シカマルは、そんな彼女の言葉が聞こえていなかった。
ぼんやりと、目の前の棺を眺める。仕事柄、人の死を見ることなど日常茶飯事だから慣れている。
そっと、棺に手を触れた。触れれば、少年は動くのではないだろうか。
だが、固く冷たい感触だけが、返ってくる。触れたくとも、少年には触れられないのだと、改めて認識させられた。
冷たく鎮座する、その身体は、いつものような生気が全く感じられない。
最後に会ったのは、慰霊祭の前日であったか。暗部の任務で30人ほど殺し、報告が終わった後、眠いからと帰ったのだ。
帰り際、次の日が誕生日である少年に欲しいものはあるか、と問うと、何もいらないというので、強引に数回、深いキスを贈った。
怒ったような表情をしていたが、最後は蕩けるほど甘い笑顔で、ありがとう、と返してくれた。
心臓を鷲掴みにされたような、衝撃が走る。