夕暮れも深まり、空に藍色が混じり始めた頃。図書館は5時の閉館時間手前を迎えていた。
八雲は、中に人がいないことを確認しながら、1階ずつ扉を閉鎖していく。そうして、残りは1階の貸出カウンターがある部屋のみとなった。
残っている人はそれぞれ帰り支度をして次々に出ていくが、カウンターを陣取ったままの2人だけは、未だに本を読んでいた。
それを苦笑しながら見ていると、突然バリトンの低い声が八雲に話しかけてきた。
「よう、先生。遅くなっちまった」
まだいいかい、と尋ねてくる大柄な青年。頭の上で縛った髪と髭、瞳の色が夜のように黒い、顔に傷をいくつも作った、目付きの少々悪い男である。
「これは、奈良さん。こんにちは」
「何だよ、もっとフレンドリーに言えよ」
「でしたら、シカク先輩も『先生』なんて呼ばないでくださいね」
悪い悪いと頭を掻きながら、にかりと笑う青年は旧知である八雲に話しかける。
青年の名は、奈良シカク。七大名家の中でも旧家の部類に入る『奈良家』の若き当主であり、里ではベテランの上忍でもある。そして、2年前に亡くなった八雲の先輩、四代目火影の親友であった。
そして、シカクは今、彼をそのまま若く縮小したような小さな子供を肩に乗せていた。
「おや。今日は子守ですか」
「おぅ。母ちゃんがいのチョウん家の嫁さんたちと遊びに出かけちまって、まだ帰ってこねぇんだよ」
「だから代わりに、本を取りに来られたんですねぇ。…こんにちは、シカマルくん」
シカクに肩車されたまま、黒髪の子供は黙ってぺこりと頭を下げる。
「で、八雲。母ちゃんが予約してたって本は、どれだ?」
「それがですねぇ、あそこなんですよ…」
八雲が指した方向にいたのは、2人の少年少女。言わずと知れずイタチとカノンである。
「ん?どっかで見た顔だと思えば。片方はうちはの長男坊じゃねーか?」
「そうですよ。先輩、すいません。夕方までいらっしゃらないということで、ちょっとあの2人に読ませてあげたかったんです。次がいつになるかわからなかったもので」
「俺は別に構いやしねーぜ。だが、もう閉館時間だろ?」
「えぇ。けど、そろそろ読み終わると思うんですよ」
ほら、と示された先で、彼らは読み終えたらしく、本を閉じていた。八雲はカウンターにいる2人に近づいて声をかけた。
「読み終わりましたか?」
「はい。参考になりました」
「ありがとうございます、先生!どれだけ普通の成長と違ってるのかが、よーくわかりましたっ」
「それはよかった。ではちょうど次の貸出者の方が来てらっしゃるので、お渡ししても大丈夫ですね」
はてと首を傾げた2人は、八雲の隣にどう見ても親子連れという黒髪の厳つい青年がいることに気付いた。イタチは彼を見て、驚く。
「こ、これはっ、奈良家のご当主様!!ご無沙汰してますっ」
「おぉ。確かうちは長男のイタチ、だったな。この間の慰霊祭以来か」
「はい。覚えていただいて光栄です」
頭を下げるイタチに、シカクは気さくに笑いかける。
「じゃあ、この本の次の予約者って、奈良家の奥方様ってこと?」
「そうだぜ、嬢ちゃん。ウチの母ちゃんが取りに来られなくて俺が来たんだ」
「そうなんですか。あ、先に読ませていただいて、ありがとうございました!おかげで助かりましたっ」
「そっか。まぁ、俺はさっき来たばっかりだから気にしなくていいんだけどよ」
しかし、と首を捻りながらシカクは2人に対して言葉を続けた。
「何だってお前さんらが『子育て本』を読んでるんだ?」
それに思わずぎくりっとするイタチとカノン。八雲も視線が右往左往している。
「えぇっと……;」
「今年で9か10だろ。うちはにもう一人、俺の倅と同じ歳の子供がいるのは知ってるが、弟の世話って感じじゃなさそうだしなぁ」
そっちの嬢ちゃんはうちはの人間じゃないみたいだし、と言われ、2人は言葉に詰まった。だが、ナルトのことを彼に話すわけにもいかないのだ。
2人が助けを求めて八雲を見た時―――
「こんちは〜。まだ閉まってなくてよかったぜ」
「やはりここでしたね。お二人さん」
扉の開く音と共に姿を現したのは、月光ハヤテと不知火ゲンマ。イタチたちがいたことに安心して、2人は中へと入ってきた。
「げっ!奈良上忍っ?!」
「ごほっ。どうも、なんですね」
シカクがいるのに気付き、表の顔を即座に作る。それを別段気にも留めず、シカクは2人が来たことに驚いていた。
「あー、月光中忍に不知火中忍、か。中忍試験以来か?」
「そうなんですね。ごほごほっ」
「うぉわっ!奈良上忍が2人いる?!」
肩の上に乗っかった彼の息子を見て驚いたゲンマに、シカクは豪快に笑った。
「そっくりだろっ。この目付きの悪さ!」
「それって自慢することなんですか、シカク先輩?」
「おぅよっ!どう見たって俺んとこの子だってわかって、いいじゃねーかっ」
「いやぁ、そっくりすぎですって;」
黒髪の子供を見上げながら、ゲンマは呆れたように呟いた。
と、そんなゲンマの影から、小さな影が素早く飛び出してきて、イタチにくっついた。
「………っなー?!」
「えっ、うそ!なーちゃんっ?!」
呼ばれた小さな子供が、答える代わりにぎゅっと抱きつく力を強める。
子供は、白い飾りのついた鮮やかな赤のケープコートに身を包み、クリーム色の毛糸で編まれた耳あて付きクマ耳帽子で金色の髪を隠していた。傍から見ても、大変愛らしい格好である。
しかしナルトが外に出たがらないことを知っているため、目を見開いて驚いた2人に、ハヤテが苦笑して答えた。
「2人が中々来ないので、迎えに来たんですよ」
「お前ら…今何時だと思ってんだ?」
ハヤテとゲンマに言われ、はっと時計を見ると、もう閉館時刻。
「「あ………」」
それを見て昨日、自分達の任務が昼過ぎに終わるという話をしていたことを2人はようやく思い出した。すぐに火影邸に行けると思っていたが、ここで本を読み耽ってしまったため、すっかり忘れていたのだ。
「それで、その…アレが今日久しぶりにありまして…」
シカクを気にしながらも、付け足すようにハヤテが細々と言葉を紡いだ。アレとは、ナルトを狙ってどこからかやってくる里人の襲撃のことである。
「「怪我はっ?!」」
「いえ、まったく。部屋が荒れた程度です」
「だあーっ、また思い出しちまった!俺のスイートポテトがぁ!」
「アレ?スイートポテト?なんだそりゃ?」
嘆くゲンマに何のことだかわからないシカクは首を傾げる。ハヤテは何でもありません、と慌ててゲンマを黙らせた。怪我がないと聞いた2人はナルトの頭を撫でて安心したと一息ついた。
「……たかとおもった。」
「えっ?」
「わすれたかと、おもったの」
そんなことあるはずないのに、と小さく呟いてすがりつく手に力を入れる。自分が忘れられた、と思ったらしい。俯いた顔は見えないが、今回の襲撃のこともあって寂しい思いをさせたようだ。
「すまない、なー」
「ごめんね。今度から気をつけるわ」
「うぅん。あのね、ちがうの。これないひもあるよね。いそがしいもん。…けど、わすれられるのは、いや、なの」
ようやく上げた顔は、くしゃりと歪んでいた。覚えていないものの、先日の監禁事件以来、ナルトは彼らに懐いていたが、心の底ではまだ不安があった。
―――いつか放ってどこかへ離れていくのではないか。狐、と知って殺すのではないか。
火影の屋敷にいる間、毎日のように詰られ、怪我を負い、殺されかける日々。人の視線と殺意が痛く、絶望の中で麻痺する心。
その中で、初めて掴むことができた、他人の手。その暖かさを手放したい、と思うには、もう遅い―――
だからこそ、誰から何をされようと、2人を失うことが、今のナルトにとっては一番『 』こと。
初めて覚えたこの感情に名をつけるなら、そう。
「…『こわい』の。イタにぃとカノねぇがいなくなるのが」
ふいにもたらされた本音。それに2人は顔を見合わせて、瞠目する。
そして、ふっと微笑んで、足元の幼子を抱きしめた。
「馬鹿ねぇ。私たちがなーちゃんから離れたりするわけないのに」
「そうだぞ。もし、なーがそれでも不安…『怖い』なら、約束しよう」
「やくそく?」
「「この先、ずっと一緒にいることを」」
君が笑って生きるためなら、何でもしよう、と。
改めて言われた言葉に、ナルトはしばし沈黙する。
「ありがとう」
感謝の言葉に添えられたのは、向日葵のような笑顔。一緒に居始めて、ゲンマやハヤテを含む5人が今までで見た、最高級の笑顔だった。
それにますます嬉しくなって、カノンもイタチも抱きしめる力を一段と強めることで、嬉しさを表現した。
「で、お取り込み中のところ、いいか?」
突然声をかけられて、その場にいた全員は、シカクがいたことをすっかり忘れていたことに気がついた。
「あ、何です?シカク先輩」
「いや。何でもいいが、その子供。結局どこの子なんだ?うちはの次男坊じゃねーだろ」
「えぇっと、その…よく一緒に遊んでる子でして。ね?ゲンマさん」
「ぅえっ?!俺かよ!…あ、いやその。俺の親戚っていうか;」
「ゲンマ。ちょっとは落ち着いたらどうですか?ごほっ」
「もうっ。なんでもいいじゃないですかっ!それがどうしたって言うんです?奈良上忍」
逆にカノンに聞かれたシカクは、彼らのように慌てふためくことなく、にかっと笑うと、ナルトを見下ろした。
「いやぁ、見かけねー子だと思ってよ。しっかし、随分ちゃんと喋れるんだな。おい、いくつだ?」
顔を近づけてくるシカクに、ナルトはさっと素早くイタチの影に隠れた。いつもと同じく口も開かない。シカクが不審に思う前に、とイタチが代わりに話し出す。
「2歳です。すいません。この子は、人見知りが激しいもので」
「そうなのか。それでよく遊べるもんだな」
「私たち、仲良しですもんっ」
「それにシカク先輩、顔は怖いですからね」
「余計な一言だな、八雲!」
「怒らないでくださいよっ。自分でもそう思ってらっしゃるくせに。ヨシノさんから聞いてますよ」
「母ちゃんっ……こいつにだけは言って欲しくなかったぞ」
くーっ、と泣く真似をするシカクに、一同が談笑に包まれた。
しかし、その足元では、静かな攻防が行われていた。
じー、っと注がれる視線。
ひょいと帽子に伸ばされる手を、紙一重で避ける。
ナルトは、いつの間にか近くに来ていた同じ歳くらいの少年と、そんなやりとりを繰り返していた。
最初は大きな大人の肩にいたはずなのに、小さい彼は気がつけば下に降りてじっとこちらを見てきた。そしてこちらに手を伸ばされ、それが帽子を掴もうとしているのに気付くと、上手く避ける。
ナルトは、何がしたいのか、よくわからない彼を観察した。
黒い瞳に、黒い髪。夜のような色彩を持つ少年。
数回火影邸の外に出たことはあるが、こんな小さな人間は初めて見た、とナルトは思う。
伸ばされる手からは、殺意も何も感じない。心なしか瞳がきらきらと輝いてる気がする。だが、油断はできないと思った。
その瞬間、ふとタイミングがずれ、少年の手が帽子に届いてしまった。帽子が引き下ろされるのに恐怖を感じたナルトは、とっさに少年の手を払う。
「だ、めっ!!」
いきなりあがった甲高い悲鳴に、談笑していた青年たちは、足元の子供たちを見た。
帽子を両手で強く押さえ震える子供と、ビックリして目を瞬かせる黒髪の子供。
「どうしたのっ、なーちゃん?!」
「何やってんだ、シカマル?!」
驚く青年たちを余所に、ナルトはきっと黒髪の子供を睨みつけた。
涙を浮かべた透明なサファイアブルーに、黒髪の子供はおろか、シカクも驚きに目を見開いた。
「…こいつは驚いた。目が青いんだな」
「シカク先輩…」
「悪ぃ。ちょっとしんみりしちまったぜ。なんせ、あいつ以外にこの里で青い瞳、なんて見たことなかったからな」
亡き親友を思い出し、シカクは感慨深げなため息をついた。声をかけた八雲も、それ以上は何も言わず口を噤む。
「さて、と。悪いな、嬢ちゃん。ウチの馬鹿息子が何かしちまったみてーで」
「おれ、なんもしてねーんだけど」
「うっさい。女の子泣かして何言ってやがる。けど、こいつがここまで興味を持って近づいたやつは、初めてなんだ。だから許してやってくれねーか?」
顔を覗き込むように言われ、またもやナルトはイタチの影に隠れるが、今度は顔を出して小さく頷いた。
「よしっ。じゃあもう遅いし、帰るとすっか。またな、八雲」
「えぇ。奥様によろしく。先輩」
「おぅ!じゃあな、お前らも。気をつけて帰れよ。嬢ちゃんもまたな」
豪快に笑ったシカクは、同じ顔の子供をひょいと持ち上げて肩に乗せ、本を持って帰っていった。
「何て言うか、良い人、みたいよね」
「あぁ。俺もそう思う」
「一瞬、この子がシメ先輩の息子なんだと。言いたくなりましたよ」
扉に鍵を閉め、八雲はしんみりと呟く。この場にいる誰もがそう思った。
が、急に八雲のズボンの裾をつかむ感触に下を見ると、先程まで泣きそうにしていたナルトが、見上げていた。
「どうかしたかい?ナルトくん」
そっとナルトの名前を呼ぶ。すると、たどたどしく用件を伝えてきた。
「やくも、おっちゃん!ごはん、いえでたべるの!」
「………えーっと?」
「あ、すっかり忘れてました。春日様から、今日は火影様が帰ってくるので、たまには家で一緒にご飯を食べたいから早く帰ってきてほしい、と伝言を頼まれてたんですね。もちろんイタチ君とカノンさんもどうぞ、だそうです」
「ホントっ?!やったーっ」
「では、お言葉に甘えてお邪魔します」
「そーいや、そんなこと言われてたなぁ。なーに言われるまで忘れてたぜ」
「ゲンにぃ、ボケた?」
「誰だ、そんな言葉を教えたのは?!」
「いつものことですよ。なー君」
「お前かっ、ハヤテ!!」
とぼけて笑うハヤテに掴みかかるゲンマを見て、ナルトは不思議そうに首を傾げる。それを見ていた3人は苦笑しながら、彼らを止めに入った。
「今日も仕事がいっぱいある……んだけど。愛する彼女とナルトくんの頼みなら、仕方ないねぇ」
八雲はそう言って、さっさと戸締りをしてしまうと、全員を裏口から外へ出す。
外はすっかり日が沈み、月が空を彩っている。イタチがナルトを抱き上げ、それを見届けたところで八雲は言った。
「さて、帰ろうか。みんな」
彼に促され、春日の待つ火影邸へと、月が照らす夜道を歩きだした。