全ての物語の釦は、どこでかけ間違えられたのか。
「ダメですっ、火影様!もう力のある者が残されておりません!」
「大変です!治療が追いつきませんっ。すでにいくつもの薬が足りなくなっております!」
次々と前線に届く報告に、火影と呼ばれた金色の髪の青年は、ぎりっと唇を強く噛み締めた。
それを見守るしかできないものたちも、焦りの色が濃くなっている。
もう、十日十晩続いているのだ。この圧倒的かつ悲劇的な戦いは。
誰もが、この戦いを終わらせたかった。そして青年は、その唯一かもしれない方法を密かに知っていた。
だがその方法は、『あるもの』がなければ、成功率0%といわれるものであった。
そして、その『あるもの』は、青年の知る範囲ではないものであった。
かつて、『夢の森』と謳われたところに、1人の神ありき。
「火影様っ。奥方様がおいでです!」
「何っ?!朔夜が?」
見れば後ろに控えているのは、結婚して1年しか経たぬ青年の最愛の妻。唯一の血縁者に付き添われて、そこに弱々しくも立っていた。
だが、本来ならここではなく、病院にいるはずであった。
驚く青年に、彼女は人払いを頼む。
「今からお話しすることは、全て真実です」
その上で今の状況を打開する術をお教えします、と。青年以外誰もいない空間で、言い切った彼女の顔は、悲壮感にあふれていた。
神には仲の大層良い、4人の子がいた。やがて一番力の強い3番目の子が、全てを受け継ぎ、神となった。
「……本当に、この子しかいない、のか?」
「えぇ。今日生まれたのは……もう」
「……くそっ!!」
全てを知った青年は涙した。妻が抱えた赤子は、何も知らず眠っている。彼女も、青年とともに、静かに泣いた。
数分後、顔を上げた青年は、里を守る『火影』であった。
「これしかないのなら……仕方がない」
それは、青年が命を落とす覚悟を決めたときであった。
新しい神は、何十年もの間、そこを納めていた。妖も人も、諍いなく共存できるようにと。
しばらくして、その場にたった一人、老人が呼ばれた。彼は、青年の師であった。
作戦を聞かされた老人は、驚き彼らを止めたが、それが叶うことはなかった。
「我らが亡き後、この子をお願いします。三代目様」
そう言われた老人は断れなかった。とても大切な弟子と、その妻の最期の頼みであったから。
そして誰にも知らされることなく、赤子を中心に、青年はその術を発動させた。
ごめんね…、と。この世に残していくことになる者たちに、小さく呟いて。
やがて、神は、太陽の光を集めたような髪の人間と出会った。彼らは意気投合し、種族を超えて、親友となった。
その日々は、とても心安らぐものであった。
しかし、術は半分成功、半分失敗に終わった。記された術は未完成なものであったからだ。
戦いの暴走は止まらない。もう終わりである、と老人が思った時。
「ならば、私が残りを受け継ぎましょう」
彼女は、唐突に言った。そして彼が止める間もなく、彼女は持っていた神刀で自ら胸を貫き、力ある言葉を唱えた。
最期に、赤子の額にキスを贈る。雫が一滴、赤子の頬に落ちた。
その瞬間、彼女の体は炎に包まれ、完全に灰となって風へと溶けていった。
だが、その日々は、他ならぬ人間によって壊された。
激怒に身を任せた神は、妖狐へ変貌し、全てを破壊しようとした。
神には、親友の言葉も、もはや聞こえなかった。
後に残されたのは、全てが終わった、異様なまでの静けさのみ。
唯一それを見届けた老人は、残された神刀を鞘に戻して、懐にしまった。
事態を悟ったものたちが、こちらへと駆けてくるのが見える。
はて、どう説明するのが良いのか、と考えながら。とりあえず、泣きじゃくる赤子を誰の目にも触れぬよう毛布でくるみ、しっかりと腕に抱いてやった。
赤子の生え揃わぬ髪は、薄い金。そっとあけられた目はサファイア・ブルー。
仕方なくと、神は人である親友によって、赤子の中に封印され、『夢の森』も、焼けた半分は『死の森』。残り半分は、親友と神の兄弟たちの封印によって人の出入りができなくなった『霧幻の森』と称された。
こうして、多大なる被害を人里に残した悲劇は幕を閉じた。
命を以って幕を下ろしたのは、四代目火影・注連縄。その後、英雄として、彼の名は全世界へと広まった。
封印された神の名は、《秋華》。
そして、神を体に宿した赤子の名は、《ナルト》。
親友のたった一人の息子でありながらそうであることを忘れられ、里人からの憎悪を一心に受けることになった、悲劇の存在であった。
全てが終わり静けさが漂うその夜、他の者たちからどうか休んでくれと懇願され、三代目火影・猿飛は一人、弟子の屋敷で晩酌をしていた。
目の前には霧で見えないが、綺麗な森がある。弟子とその人でない友人たちが作った結界で、今はもう、人間は入れない。
隣には、すやすやと眠る赤子がいる。その顔は、今は安心しきっているようだ。
ほっとして、ぼぅっとしていると、ふと何者かの気配を感じた。
顔を上げると、美しい女が一人立っていた。
眩いばかりに輝く銀に近い金色の長い髪。水晶を思わせる、左右色違いの紫紺と碧緑の瞳。
赤を基調にした錦の羽織を纏い、その美貌は、仙女か女神か、完全に人間離れしていた。
「…これは、レイコ様。ご無沙汰を」
ひざまづくのを止められて、仕方なく座ったまま、火影は頭を垂れ、恭しく挨拶をした。
「うむ。久しいの、猿飛や」
レイコと呼ばれた女は、威厳のある声で、そう応えた。
「此度の事、我が子のことながら、多大なる迷惑をかけた。真にすまなかったのぅ」
「おやめくださいっ。聞けば今回は我らの方に責任があるようです!貴方様が謝られることではありませぬ!!」
女に頭を下げられて、火影は大慌てでそれを制した。
女は大神主と呼ばれる、火の国周辺を統べる、先代の神であった。そして、今回里を壊滅にまで追い込みかけた、神の親でもあった。
「じゃが、大事なものにまで手をかけてしまったのじゃ。神として、それはならぬことであった…」
「仕方ありませぬ。祠を壊され森の仲間を殺された上に、あまつさえ春菜様のお子様を殺され、冬留様にまで治らぬ怪我を負わされたのです。お怒りも当然でしょう」
時に冬留様の怪我はいかが、と聞かれ、レイコは首を振った。
春菜・冬留は、彼女の一番上と末にあたる子供たちのことである。唯一結婚していた春菜には去年の春双子が生まれ、それはもう盛大に祝ったところであった。冬留は楽の天才で、祝いの席には必ず楽を奏でていた。
だが、誰にやられたのかはわからぬが、発見された時には、双子の片割れが殺されていて、冬留の目は刀傷が走り、失明は免れなかった。
今回の神の暴走は、それが発端であったそうであった。
「それでじゃな。猿飛」
「はい?何でしょう」
改まった口調で言われ、火影は悲しみの思考から抜け出る。神妙な顔をしたレイコから言われたことは、衝撃を走らせた。
「その赤子を、我に預けてはくれまいか?」
しばらくは、何を言われたのかわからなかった。
「なに、を…」
「じゃから、その子を貸せと言っておる」
告げられた内容をようやく理解した火影は、次の瞬間、相手が神であることを忘れ、怒鳴った。
「何故じゃ!!この子は人間なんじゃっ。なのに、何故神がその子を連れて行くと言うっ?!」
「落ち着け、猿飛。何もとって食うわけではないぞ」
「当然じゃ!!それともご自分の子供が封じられているから、代わりにするおつもりか?!じゃが、この子は、注連縄の子でもあるんじゃぞ!なのに……」
「えぇーいっ、黙りゃんかっ!!そんなことは百も承知じゃっ、愚か者!」
レイコに一喝され、ようやく火影は口を噤んだ。それに一息つき、レイコは言葉を続けた。
「よぅく、お考え。お前はこの子がここで生きられると思うてか?」
「な、何を…」
「さきまで見ていて、思わなんだか?この子は殺されないだろうか、と」
「………ですが、」
「我も見ておったが、人のなんと冷たきことか。秋が封印されたと聞いた瞬間、目の色を変えおったではないか」
レイコの言う通りであった。
火影はあれから、事情を説明した。四代目が命を懸けて九尾を赤子に封印した、と。だが、一部の者たちにしかそれは伝えられず、彼らには決して伝えず口外せず、『封印された』のではなく、『倒された』と伝えるようにと言ったのだ。
その傷を早く忘れられるようにと。だが、その配慮がまずかった。赤子は九尾であると、大多数に認識されたようであった。いくら説明しても、それは里人には伝わらなかった。
結果、まだあれから一日も経っていない間に、この子はどれだけ憎悪の視線を浴び続けたであろうか。
そのことを思い、火影は悔しく思った。
「今のままでは、確実に生きられまい。守ろうにも誰も信用できぬ。お主も忙しいじゃろう。じゃから、我が直々に育て、せめて自分の身を守れるようにしてからこちらに返したいのじゃ」
我が子のやったこともあるし、何より、その我が子の親友であった人間の子供だから死なせたくない、と。レイコはそう告げた。
「ですが、カカシなどでは…」
「無駄なことよ。この子がシメの子じゃと、言わなかったではないか」
それに……、と言いかけたが、レイコは打ち切るように頭を振った。
「ほれ、渡せ」
「いや、ですが、その…」
「えぇいっ。1年だけじゃ」
渋る火影に、レイコは期限をつけた。1年だけ預かるのだと。
「お主とて、これからの里の復興で忙しいじゃろ。他の人間どもがその隙をついて殺しに来たらどうする気じゃっ」
「うっ……」
「1年。来年のこの日に、お主に返そうぞ」
威厳をもって言う神に、火影は数瞬迷ったあと、ため息をついてから、赤子を彼女に手渡した。
「お願いします…レイコ様」
「任せるとよい。必ず1年後に返そう」
レイコは受け取ると、顔を綻ばせて赤子を見た。優しく片手で頬を撫でる。
「では、1年後また」
「……はい」
「それから、この屋敷も貰うていくぞ」
「………はい……はいっ?!」
思わぬ言葉に、火影が目を剥いた。レイコは実に楽しそうにその反応を見て笑う。
「今は何とかできるが、我らは明日よりこの先、森へ人が入れぬのと同時に、外に出られぬようになっておる」
「は、結界のことですか」
「その通りじゃ。あれは我でも解き方がわからぬ。じゃが、人としてこの子を育てるのに、人の物がないのでは、困るであろう」
「は、まぁ……」
「じゃから、この屋敷を森の奥に入れ、この子を育てるのに使わせて貰うぞ」
くすりと妖艶に笑う狐神に、火影は目眩を覚えた。確かに道理が通っているが、屋敷ごととはまた大胆な方である。
「ではのぅ、猿飛」
「…は、はぁ;」
「心配せずとも、1年経てば返すとて。じゃが」
その後どうなるかは、お主に託すからの。もっとも、変わるとは到底思えぬが。
そう言い残して、レイコは赤子を抱いたまま森の中へと消えていった。間もなく、火影の座っていた屋敷も、輪郭をおぼろげにして消えていく。
「………本当に、持って行かれたようじゃな」
残された火影は、ひっそりと呟いた。彼のいた場所には、初めから何もなかったように、屋敷は跡形もなく消えていた。名残なのか心配りなのか、畳一枚だけ残されている。彼はその上に座っていた。
空になった杯に、火影はもう一杯酒を入れた。空には月。静かな夜だ。明日からはきっと忙しくなるだろう。
預かってもらった小さな赤子を思い浮かべる。あの神のことだから、大切に育ててくれるだろう。
「1年後にな……ナルトや」
月が映る杯を飲み干し、火影は息子とその嫁が待つ家へと帰っていった。
1年後、赤子は色々と人間にはできない能力を身につけて帰ってきたことに、火影は預けてよかったのかと悩みに悩んだことを、ここに追記しておく。