今でも、雪が降れば、桜が咲けば、思い出す。

暗闇から連れ出してくれた、2対の白い手。
そして、暗闇へと落とした、2対の赤い手。

2つは、1つで、絶対だった。
あの2対の手があれば、里中の誰に嫌われても生きていける、とそう思っていた。
ただ、隣で微笑んで居てくれるだけで、よかった。

だけど、永遠に続くと思われた幸せは、あっさりと砕け散った。

あれから、5年経ったと、他人は言う。
けれど、未だ忘れられない――あの夜の、血溜まりの惨劇。



蒼の舞姫紅の死神



 ざわりと風が出てきたのを感じ、黒焔は閉じていた目を開けた。
時刻は、夜。森の木々が黒い影と化し、気を抜けば不吉な闇が襲い掛かってきそうだ。
「今日は、騒がしい夜になりそうだ」
隣に立った緋月の髪が一層鮮やかに翻ったのを、黒焔は黙って横目で追った。

あの召集から、今日で3日。
次の日に会ったナルトの顔は、いつもと同じだった。
昨日の動揺などなかったように振舞う姿は、本当に常と同じで、カカシやアスマとの打ち合わせも特に変わりなかったし、他の任務も支障なくこなしていた。
常と変わらぬ姿にイノたちは少し安心していたようだが、シカマルにはその完璧さが不自然に思え、違和感を感じていた。
「ナルト」という人物は、何か隠し事があると、無意識にそれが決して誰かに悟られないようにする。しかも心を隠そうとすればするほど、完璧な表情を作ってしまうので、誰も見抜けなくなるのだ。
それは5年近い付き合いの中で、シカマルが学んだことの1つ。
そして、キーワードは間違いなく…『月姫』。
だが『月姫』という忍についていくら調べても、記録の類は一切出てこなかった。また、暗部の誰に聞いても、彼女を知らないという。
イノにもさり気なく調べてもらったが、6年程前までいたらしい、という噂しか出てこなかった。
それが示すのは、彼女は「存在していなかった」、もしくは…「公に出来ない」者であったか。
気にはなったが、詳しく調べ上げる時間が足りず、結局ここまで来てしまっていた。

(『月姫』なぁ……一体どんなやつなんだか)
あの時言いかけた言葉の先は何だったのか。
『ナルのこと、お願いね』
別れ際、心配そうな目でナルトを見ながら、シカマルに耳打ちしたイノの言葉が思い出される。
(一応気付いてたのか。さすが。ナルに関しては、ライバルってだけあるぜ)
もっとも負けて譲ってやる気はさらさらないが、と内心呟く。
そうしている内に、周りの偵察に行っていたアスマとカカシが帰ってきた。
「見てきたヨ。緋月」
「どうだった?」
「それらしい気配はなかった。まだのようだな」
「本当に今夜来るのか?」
「さて…な。だが、鈴玖たちの情報を元に黒焔が予測を立ててくれたんだ。当たる方が高いだろう」
そう言い残すと、緋月は背後に回していた仮面を着け、1人で再度の見回りに出た。
残された黒焔は、不満げに、だが気は抜かずその場で待つ。
横に視線をやると、不気味なほど顔を緩ませたカカシにぶつかった。
「気色悪ぃ…」
「同感だ」
「うわっ!ヒドくない、その言い草?!」
嘆くカカシに、黒焔もアスマも首を振る。誰が三十近い男の崩れた顔などみたいものか。
「うぅ。でも仕方ないンだって。アスマもそうでしょ?だって、あの月姫に会えるんダヨ?!」
すっごく嬉しい、と浮き足立つカカシ。にやけた顔が、更に崩れている。ファンが見たら泣くこと、サクラたちが見れば…盛大に引くこと間違いなしだ。
が、その様子に、黒焔はふと彼らが『月姫』について知ってることを思い出した。
「なぁ。月姫、ってどんなやつだ?」
「あ、黒焔は知らないんだ。そうだねぇ…聞きたい?」
「カカシ!!その話は口外禁止令が…っ」
黒焔がいることを思い出して、アスマが口を噤んだ。
(口外禁止令…それで何も出なかったのか。けど、ンなもんを敷くほど重要な秘密が、そいつに隠されてるとなると…)
増々興味が湧いてきた。黒焔は、情報を聞かせろ、と視線だけでカカシへの要求を続ける。
「いいじゃナイ、別に。あれから6年でショ。解けてないけど、これから会う標的のことを何も知らずにってのは、黒焔にとって不利じゃないの?」
珍しく厳しい表情のアスマに、カカシは軽く言った。彼の言うことに一理ある、と思うのか、アスマは低く唸って、押し黙る。
「って言っても、俺だって大したことは知らないしネ。姿くらいの特徴しか言えないヨ」
「それで十分だ。何者だ?月姫ってのは」
「月姫はネ、暗部の幻だヨ」
問いかけた黒焔に、カカシは嬉しそうに語り始めた。
「『月の姫は、火の幻。会えば魂を吸い取られる』。暗部の一部にだけ流行った噂ダヨ。いつ流れたものかもわからない。俺も聞いた時はデマだと思ったし、仕事を一緒にやったやつなんていなかったしサ。現に噂も数年後には消えたカナ」
だから偶然会ったときは驚いたね〜、としみじみと言った。
「本当に偶然だったよ。任務の帰りにばったり。でも実際会った彼女は、頭から足先まですっぽり外套に包まれてて。喋るまで男か女かもわからない。しかも、彼女には常に2人の守護者(ガーディアン)がついてて、迂闊に近付こうとしたら、あいつらってすっごく物騒でネ、殺す気で攻撃してくるときた」
本当に恐ろしかったのだろう。そのときのことを思い出して、身震いするカカシにアスマは、あれはお前が悪い、と呟いた。
「いいじゃんっ。一目惚れだったんだヨ?!」
「それでストーカーになったんだから、あの2人にしてみりゃ、お前なんて害虫でしかないよなぁ」
「ヒドっ!アスマはいいよねっ。2人に攻撃なんてされたことないし、月姫に気に入られて仕事一緒にしてたし!」
「そりゃあ、人徳の差ってやつだろ」
「ちょ、そんな顔で人徳とか言わないでくれる?!」
どんどん脱線していく会話に、これ以上長引かせるのは面倒だと思った黒焔は、また話を戻した。
「…それで?結局、月姫ってのは、どんなやつなんだ?」
「そうそう。で、やっぱり偶然に、彼女の外套が取れてね。その時見た顔に、バッチリ惚れたのサ!
今でも思い出すなぁ……冴え冴えとした青い髪に、冷たい銀の瞳。見たことのない、とびきりの美少女だったヨ!まさに月の化身って感じで。本当に、魂を取られるのかと思った」
月夜の死神みたい〜、とよくわからない褒め方をするが、それほど絶賛するからには、どんな女なのだろうと思う。
どれほど綺麗かと問えば、緋月と並ぶくらい、とカカシは言った。
「白い狐の面をつけて、夜空を舞う彼女は、本当に綺麗だったなぁ…」
彼は目を瞑って、改めてうっとりとする。
だが、シカマルにとって、そこは重要なところじゃなかった。
「白い、狐……」
「あ、そういや、あの面って緋月のにちょっと似てるかも」
カカシの一言にこれ以上はまずい、とアスマが制止をかけようとしたとき。
「気のせいじゃないのか?もしくは、オレの面が以前彼女のものであったのかも、しれない」
上から降ってきた緋月の声に、黒焔たちは驚いた。
咄嗟に見上げれば、白狐の面が闇に浮いている。気配がしなかったのもそうだが、その姿が何故か異様に見えた。
「無駄話はそこまでにしておけ、カカシ」
「おっかえり〜、緋月っ。今は、お前一筋だからネ!気にし…」
「アスマ。口外禁止令が出てる話題を、あまりするものじゃない」
「あぁ。すまない」
「え、俺無視?無視なの?!」
喚くカカシに一瞥をくれ、緋月は黒焔の方をようやく向いた。
黒焔は…思わず、息を呑んだ。
「お前も、つまらない話を聞くな」
―――つめたい、瞳。
感情の一片すら掴めない、奥の深い金色。
相棒である自分が、一度とて見たことのない…冥い、色。
見知らぬ他人を見ているような、奇妙な錯覚に陥りそうだった。
(なんつーか…いやだな)
見下ろす瞳が気に喰わなくて、黒焔は緋月の方へ跳んだ。
「緋月」
「もうすぐ、襲撃予定時間だな」
緋月は懐の時計で時刻を確認し、誰にともなく呟いた。視線を、黒焔にやることなく。
その態度が、ますます気に喰わない。
「…緋月っ」
焦れた黒焔は緋月の仮面を剥ぎ取って、頤を掴んで無理矢理こちらを振り向かせた。
作り物の人形のように、白く端整な顔。
「『月姫』ってのは、お前にとって、何なんだ」
苛立ちに歪めた顔で、緋月の顔を覗き込む。
無感情だった黄金が、ほんの少し揺らいだ。
「…ただの、昔話だ。守護者と別れた、哀れで小さな、子供の、話…」
瞳を隠すように俯いたまま、緋月はそう言った。
いつもからは考えられない、弱々しく、か細い声に、黒焔も力を緩める。
その姿は、まるで……。
(まるで、迷子の子供、のような…)
はかない、この存在を、抱きしめたい―――。
黒焔がそっと両腕を緋月の背に回そうとする。
しかし、それが叶うことはなかった。
身を刺す微かな殺気に、2人は揃って空を仰ぐ。
別段変わりは、ない。そこにあるのは、静寂と闇。
しばし、沈黙の帳が降りる。
そして。
「来るぞっ!!」
気配に気付いた緋月の、警告の声が下へ飛んだ。同時に、頭上から細い針の雨が降り注ぐ。
「うわっ?!何事?!」
「何事じゃなくて、間違いなく敵襲だろ!」
一斉に攻撃を避け、地上へと降り立つ。もちろん、一掠りすら傷つけさせてやる気はない。
攻撃があった方へ、緋月と黒焔がクナイを放った。手応えは、ない。
が、予想はしていたことである。すぐさま気配を読んだ緋月が、真逆の方向へと放った。
カン、と金属の跳ね返る音がして、それは少し離れた地面に突き刺さった。
「今日の獲物は、商人でなく忍か」
「なーるほど、通りで。少しは張り合いがあるってもんだなっ」
上方から、冷静な女の声と、なァ姫っ、と男の楽しげな声があげる。

「暗闇を墓場に選ぶなんて、馬鹿な人たちね」

そうして、嘲笑を含んだ艶やかな声の主が、2人の守人と共に暗闇の中から姿を現した。


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