男たちは森の中を走っていた。目指すは、最近雇い主となった男の邪魔をする、あの老人宅である。
だが、予想以上に暗い森の中は、霧が出てきてよく見えず、思うようにスピードが出せなかった。
「くそっ。何で霧がこんなに濃いんだ?」
「へぇ、お前他所から来てんだな。ここいらじゃ珍しくもないぜぇ」
「だが、視界が悪くて、先に中々進めねぇんじゃ、意味ないだろっ」
霧に悪態を吐く彼らだが、実際この任務は少々つまらないと思っていた。
標的は、老人とその家族。護衛の忍はいるが、下っ端の子供たちと聞いている。用心に用心を重ねて、それなりのレベルである彼らが雇われたのだ、と男達は聞かされていた。
「しっかし、つまんねぇ仕事だな」
「本当だなぁ。何せ、じじぃとガキどもだろ。楽勝じゃんっ」
「だったら、難しくしてあげようか」
ふいに、会話に紛れ込んできた明るい子供の声に、一同は驚いて口を噤んだ。
見れば前方に金色の髪をした子供が立っている。所詮子供の戯言か空耳だと、全員が無視して子供の側を通り抜けようとした時。
ヒュン、と風を斬る音が聞こえ、5人ほどの身体が一瞬の内にバラバラになった。
残った全員が唖然として、その場に足を止める。
「楽勝なんでしょ?だったら、オレと遊ぼうよ。おっさんども」
くすり、と妖艶な笑みを見せ、子供―――ナルトは彼らを誘う。その手には、きらきらと光る糸。
数秒してようやく、彼らはこの子供が攻撃してきたのだと理解した。一同に憤怒と恐怖の色が浮かぶ。
「それとも来ないの?最近ストレス溜まってたから、準備運動にはなるかと思ったんだけどなぁ」
「…な、なんだとーっ!!」
わざと発した挑発の言葉に、男たちは怒りを露にし、子供へと切りかかっていった。
だが、決して弱くはないだろう彼らを、ナルトは素人の子供を相手にしているように、攻撃をさらりとかわしては、背後に立ちクナイや手に持つ糸で一人、また一人と確実に物言わぬ塊へと変えていく。
「何なんだ、こいつはっ」
「こんなの、話が違うぞ!」
「話って…あぁ。ただの雇われさん、か。なんだ。何か情報持ってるやつかと思ったのに」
そうぼやいて、ナルトは通算12人目を糸で細切れにした。
この間、わずか4分。ここまで来ると、ナルトの強さが身に染みて分かる頃だ。残る3人は、最初は勢いよく突っかかっていたのに、次第に怯えを見せ始めていた。
「ひぃっ。た、助けてくれ!」
「何で敵を助けなきゃいけないわけ?そんな義理ないし。それにオ………っ」
その時、どくり、とナルトの心臓が跳ね上がった。思わず途中で口を噤む。
「………ぐっ!今頃、きやがった、かっ」
高鳴る心臓を、服の上からきつく掴む。立っていられなくなって、ナルトはその場にしゃがみこんだ。細胞が転換を始め、熱を帯びる。
体中が軋みをあげ、気を失いそうな痛みに脂汗がにじむ。顔色も相当悪い。
何が起こったのかわからない男達は、ナルトが具合の悪いのを見て、今が絶好の機会と、一斉に攻撃をし始めた。
「バ、っカじゃねーのっっ!輝夜、好きにやれっ」
銀色の糸を空へ放つと、襲い掛かってきた2人を糸は勝手に動き、命を奪った。だが、1人はその間を突いて、ナルトに急接近してきた。
あまりの痛みに体を動かせないナルトへと、刀を振りかざす。糸は間に合わない。
「死ねっ、小僧!」
振り下ろされる刀を見て、ナルトは痛みにしかめた顔で、ふっと微笑した。
「あーあ。知らないからな」
呟くと、男の眼前に手をかざす。そして、力ある言葉を紡いだ。
「焔よ!我に従い、逆らうものを消滅させよっっ」
ナルトの蒼い瞳が、紅い光に染まる。
次の瞬間、男の体は高温の炎に包まれ、言葉を発する間もなく溶けて消えた。しかし本来なら小規模の炎は、消えることなくナルトを中心に青い炎と赤い炎が大きく螺旋を描いて、辺り一体に巨大な火柱を打ち立てた。
「やっぱり、制御が利かなかったなぁ…っ」
火柱が空へと上るのを見て、ナルトは苦笑した。痛みは徐々に消えつつある。
しかし、代わりに、その姿は異なる様相を見せていた。
丸みを帯びた肢体に、胸の膨らみ。少しだけ縮んだ身長。響くような、高めのソプラノの声。何より、白皙の頬にある髭のような痣が消えている。
今やナルトは、完全に『女』の体になっていた。
しばらくして、炎がおさまってくる。植物などに焼け跡は何一つ無い。ただ辺りに転がっていた死体は、全て炎によって焼き消されていた。
それを見届けてから、彼…いや、彼女はダルい体を引きずって歩き始めた。時折炎が周りを取り囲むように、出たり消えたりする。
《ナルっ、無事?!》
突然、イノの声が頭に響く。先程の炎に、心配になって陰話を使って連絡をしてきたようである。心配させないように、努めて明るく返事を返す。
《あぁ。ちょっとばかり制御に失敗しただけだ。外傷はない》
《なら、いいんだけど。心配したじゃない》
《ごめん……あと、今日は外で寝るから。明日の朝、探して迎えに来てくれ》
《はぁっ?!どういうことっ?》
《一身上の都合。こっちの方が気持ちいいし。結界と見張りはまだ続けてくれ。あ、風邪は引かないようにな。じゃあお休み、イノ》
《えぇっ?!ちょっとは説明しなさいよ、ナルっ》
一方的に言い終えると、ナルトはイノの声を無視して陰話を強制的に打ち切った。
妖力が先程ので随分と失われた。いわゆる貧血状態な上に、力が安定していない。下手すれば、また暴走するかもしれない。普通よりひどい症状に、舌打ちした。
明日は盛大に文句言われるだろうな、と思って、薄く笑うと、歩いていた足を止めて、その場に倒れた。
気持ちの良い風がナルトの体を包み込む。その場の霧が一層濃くなった。
「朝まで、でいい。このまま、居させてくれ…」
疲れた、と誰にともなく小さく呟くと、ナルトはすぅっと目を閉じる。鈴のような笑い声がいくつも耳を掠める。精霊達によって、体の中に力が流れ込んでくる。
そうして、意識は黒い闇に吸い込まれ、すぐに静かな寝息が聞こえはじめた。
光の中で、誰かが笑う。もう一人の誰かに抱き上げられてほっとする、自分を見た。
大切な、2人。あの時守りたかったものは……もう、ない。
色とりどりの花や緑の草群の中に、きらきらと光り輝く金色の光を見つけたのは、偶然だった。
黒ずくめの服に映える白い肌。傷一つないその容貌は、人ではありえないほど整って美しい。
まさに、物語で謳われる《眠り姫》そのものだ。
しかし、このようなところで眠っているとは、どういうことなのだろうか。
少しだけ考えて、眠る少女を起こすことにした。
「こんなところで寝てると、風邪を引きますよ」
優しく揺り起こす手に、ナルトはゆっくりと目を覚ました。何やら懐かしい夢を見ていた気がする。
目の前にいたのは、一見美少女に見える、見知らぬ顔の少年だった。ナルトでなければ少年であると気が付かなかっただろう。
ナルトが起きたことに、少年はにっこりと笑った。
「もう冬が近いのに、外で寝てるなんて変わってますね」
「へっ?……あぁ。そういや、ここ森の中だっけ」
くるりと見回せば、そこはタズナの家の周りにある森の中。徐々に昨晩の出来事が思い浮かんでくる。そういえば、妖力の不安定さのせいで倒れたのだ。
ナルトはぎゅっと手を握ったり伸ばしたり、首をコキリとさせたりして、軽く体を動かす。異常はない。昨晩不安定だった妖力も安定したのか、使い過ぎで欠けた力も戻り疲れも消えている。
それを確認して、ナルトは起こしてくれた少年に礼を言った。
「ありがとう。起こしてくれて」
「どういたしまして。でも、感心しませんよ。この辺りは危ないですから」
本気で心配する少年に、ナルトはごめんなさい、と軽く笑いかける。すると、少年も笑い返してきた。
ふと、この少年の気配に見覚えがある気がして、悟られないよう眉を顰めた。
(………あぁ。こいつ、この前再不斬と一緒に居た、仮面のやつか)
思い出したナルトは、注意深く少年を観察する。どうやら、ナルトがあの時の下忍であるとは、彼は気付いていないようだ。穏やかに話しかけてくる。
「貴女は、このあたりに住んでる方ですか?」
「え、違うけど。何か探してるの?」
「えぇ。薬草を少し。この国では今、薬も値段が高いですから」
「ふぅん。手伝おっか?オ…私、そういうの得意だし」
今は女であることに気付いて、慌てて言い直す。けれど気にすることもなく、少年――白は、お願いします、と答えた。
しばらく、薬草の話で盛り上がる。白は、中々に知識が豊富であった。それだけでなく、端々から見える所作が、忍としてはレベルが高いこともよくわかる。
ナルトは話していて、付き合いやすい、と感じた。今この瞬間だけは、彼は敵であることを忘れたくなるほど。
「貴女には、大切な人がいますか?」
しかし、話もはずみ、薬草を何に使うのか、という話から、白は突然こんなことを言い出した。
いきなり切り出されて、困惑から黙っていると、彼は手を止めて、静かに続ける。
「人は、大切な何かを守りたいと思ったとき、本当に強くなれるものなんです」
「……『大切』な何か…あなたには、それがあるの?」
「えぇ。とても、大切な人です。きっとあの人がいなければ、僕はずっと絶望の世界にいたままでした。だから、あの人を守るために、側にいるために、僕は強くなろうと思ったんです」
甘く切ないその表情。言ってること、わかります?と、訊かれて、ナルトはしばし黙った。
懐かしい、夢をみたのだ。
光の中で、誰かが笑う。もう一人の誰かに抱き上げられて、ほっとする自分を見た。
生まれた時から何度も殺されかけてきた自分を、最初に光の世界に連れ出してくれた、『特別』な人たち。
いつの間にか、生き残るためにつけつつあった力は、彼らとずっと一緒にいるために求めるようになっていた。
その願いが、叶うことは…なかった、けれど。
だからこそ。白が言う、その気持ちには覚えがあった。
「うん。そういうことなら、なんとなく、わかるかな」
懐かしい気持ちで返した言葉に、白はふわりと笑う。それは、どこまでも静かに穏やかに……白く透明な笑顔。
「『特別』なんだな。その人のこと」
「えぇ。大好きですっ」
言い切るその姿に、ナルトは昔の自分が重なって見え、懐かしむように目を細める。
誰かをどこまでも純粋に慕う白と、あの頃の自分。ふいに、彼と再不斬の幸せを、壊したくないと思った。
「…薬草、これくらいでいいかな?」
「え、えぇ。そうですね。助かりました。ありがとうございます」
「こっちこそ。楽しかったよ」
「僕も、です。また、お会いできるといいですね」
薬草を摘み終わった白は、笑顔で再度礼を言って去っていった。ナルトは姿が見えなくなるまで見送る。
「敵でさえなければ。また違った関係を築けていたかもしれないのにな」
なぁ、と後ろに向かって、ぼんやりとそう呟いた。途端に、ぎゅっと後方から手が回され、抱きしめられる。
「気に入ったんだな。あいつのこと」
「あぁ。なんか、あいつらを保護してやりたくなった」
「…あいつらは、珍獣か?」
「まさかっ。…よし決めたっ。あいつをおみやげにしよ。もちろん再不斬とセットで」
「ま、里は年中人手不足だし、いいんじゃねーの。ここ数日見てたが、十分使える実力だぜ」
「なっ!敵として殺すにはもったいないだろ、シカマル?」
数日振りの相棒に、笑いかけるナルト。その表情は、いつもの不敵さ。
にまりと笑い返したシカマルは、悪巧みでもするかのように、小声で彼女に話しかける。
「やっぱり、ついてきてたか」
「当たり前だろ。任務だしな。ま、お前に会えるとは思ってなかったけど。…どうやら、ガトーは再不斬と白をあまり歓迎してないみたいだ」
「あれ?あんなに良い腕してるのに?」
「カカシにやられて寝込んでるからな。役立たずと言っては白に睨まれてやがるぜ」
「ついでに昨日の襲撃も潰してやったから、今頃それが知れて、余計気が立ってるんじゃないか?」
「多分な。お、そういや、昨日派手に火柱立ててただろ。大丈夫か?」
「へーき。もう戻った。そっちにバレてない?」
「あぁ。もしかしたらと思って、眠り薬撒いてきた」
いくつもの対策を先に講じてくれた相棒に、ナルトは嬉しさを隠しきれない。さすがはシカマルっ、と褒め言葉を口にした。シカマルはそれに嬉しそうに、口元を緩める。
「やっぱ、勧誘は再戦時に再不斬と一緒に、かな」
「一番良いのは、そうだろうな」
「カカシと一戦交えて、死ななきゃいいんだけど」
「それは多分大丈夫だろ。ダメそうだったら、めんどくせーが何とかしてやるし。お前が欲しいというなら、俺はそれを叶えるだけだ」
「うわぁ、すごい殺し文句っ。…でも、そうだな。なんとかなるよな」
上目遣いにシカマルを仰ぎ見る。その目には絶対の自信と、彼への信頼。
シカマルは返事を返す代わりに、痣の消えたマシュマロのような頬に、口付けをした。
「で、さっきから一体何してんのかなぁ?」
「んー、充電中。俺、禁断症状出そうでさぁ」
何の?と問い返すと、ナルト欠乏症という答えが帰ってきた。シカマルは、女になったおかげで一段と柔らかいナルトの体を更に抱きしめる。ふにっとした感じがまた気持ち良い。首筋に寄せられた感触がくすぐったくて、ナルトは身を捩る。
「くすぐったっ」
「我慢しろ。俺はここ数日、ナルに会ってない、声聞いてない、触ってないで、限界なんだよっ!」
「だからって、ちょ、それは、んっ、やりすぎ、だろーがっ」
暴れる体を軽々と押さえ込み、ノースリーブの裾を割って、シカマルの手がナルトの素肌に触れる。首筋をぺろりと舐められると、彼女は真っ赤になって、硬直した。
可愛いなと思いながら、動かないのを良いことに、そのまま行為をエスカレートさせようとした。その時。
「な〜にしてんのかしらぁ。そこのセクハラエロバカ魔人はっ!!」
地獄の底から響くような低い声が、彼らの耳に入ってきた。
視線の先には、何故かお玉を持って仁王立ちする、イノの姿。朝ごはんができたので呼びに来たようである。ただし、その表情は怒りに赤く染まり、怖さ100倍(当事者比)であった。
それを見てナルトは顔を青くし、シカマルはまずいといった顔をしながらも、いつものようにイノの怒りに油を注ぐことばかりを言う。
結果。
お玉を持って凄い形相でシカマルを追い回すイノと、喧嘩しながら逃げるシカマルという、いつもと同じ構図が、その後15分は見られたらしい。
なお、それだけの時間で終わったのは、いい加減にしろっ、とナルトが怒ったためであった。
今はもう、あの頃大切にしていたものはないけれど。
代わりに手に入れた、大切なもの………沈む自分を見つけてくれた、3人の少年少女。
再び繋がれた暖かいその手を、今度は失わないように。今だけはどうか、このままで。