暗部の仕事も終わり、諜報部へ仕事がないか確認に行ったついでに、暗部総隊長へ渡してほしいと頼まれた封筒を預かったチョウジは、火影の執務室へ向かっていた。
階段を上り、複雑な廊下を迷わず進む。しかし執務室にどれだけ近づいても、部屋はとても静かで、彼はおかしいなと感じた。
(…イノが先に来てるはずなのに、やけに静かだな)
先にナルトとシカマルが帰ってきていることは、聞いている。いつもであれば、シカマルとイノが大声でナルトの取り合いをしているはずなのだが、今日はそれが聞こえない。
おまけに、薄く、だが緻密な結界が張り巡らされていることに、チョウジは気付いた。結界は上忍でもごくわずかなものしかその存在に気付かない上、誰か通ればそれが術者に伝わるようになっている。
それに防音の機能もついているのだから、禁術レベルのこれを張った術者は相当の実力者であろう。おそらくはナルトかシカマル辺りだ。
それを見越して、チョウジは結界の境界へと足を踏み入れた。その途端、容赦なく彼の耳に、甲高い少女の怒鳴り声が聞こえてきた。
「…そんなのって、ぜーったい、反対よっ!!」
「仕方ねーだろ。任務だ、に・ん・むっ」
「だからって、あの害虫と予備軍と一緒に一週間も寝泊りするのよ?!危ないに決まってるわっ」
「一応サクラも一緒なんだけど。それに早ければ5日で帰れるし」
「5日も、よ!あたしにはそんな、狼の中に子羊を放り込むようなマネはできないわっ」
「いや、もう決定事項だし。ってか、オレって子羊なの?」
「俺に聞くなよ、めんどくせー」
どうやら言い争っているのは、イノとナルト、らしい。もっともイノが一方的に言っているように聞こえるが。一体何事かと首を傾げていると、後ろから声がかけられてきた。
「えーっと…チョウジ、だよな?」
「あ、イルカ先生」
困惑顔で立っていたのは、手に大量の書類を持ったイルカであった。どうやら『橘花』の姿にまだ慣れてないらしい。チョウジは少し笑って変化を解く。
「今から暗部の仕事か?」
「終わって帰ってきたところだよ。先生も執務室に用事?」
「あぁ。火影様に渡してほしいと、受付に来た分だ」
言いながら2人は、執務室の前へと来ていた。扉の向こうからは、イノの声が聞こえてくる。
「この声は、イノのようだが…一体どうしたんだ?」
「さぁ。わかんないや」
コンコンッと4度ノックをして、チョウジは返事も待たずに扉を開ける。目の前に広がった光景は、書類を次々に片付けていくナルトと、その机の前で彼に抗議の声をあげるイノ。
それを呆れたように見ながらソファに座り込むシカマルに、見ない振りと目を背けて仕事をする火影の姿という、なんとも奇妙なものであった。
「よ、チョウジ。イルカ先生も」
「シカマル…あれ、どうしたの?」
「どうしたもこうしたもねぇって」
疲れたように、彼はため息をつく。変化こそ解いているものの暗部用の格好なので、帰ってきてからずっとここにいるらしい。
「実は、ナルが…」
「ちょっと、チョウジ!聞いてよっ!!」
言いかけたシカマルを遮って、こちらに気づいたイノがチョウジに話しかけてきた。
「あのね、ナルトが、ナルトがね…」
「落ち着いて、イノ。ナルトがどうしたの?」
「っナルが、あたしたちを放って里外任務に行くって!」
「はぁ?」
傍で聞いていたイルカが、素っ頓狂な声をあげた。チョウジも驚いたのか、目を丸くしている。どうやら彼にもこれは意外なことであったようだ。
「一人で里外任務って、たまにあることじゃない」
「今回は違うのよっ。だって、だってぇ。『下忍』として行くって言うんだもの!」
イノがもうこの世の終わりとばかりに叫んだ内容は…なんとも言いがたいものであった。
彼女の言っていることが、今朝あった波の国行きの依頼の件だと思いだしたイルカは、少しだけ安堵した。
「イノ。それがどうしたって言うんだ?下忍班で里外任務なんて、よくあることじゃないか」
「イルカ先生にはこの気持ちわからないわっ!一人で行くなら、ちょっとの心配で済むけど。でも、下忍の班で行くのよ?!」
「それの…どこが、悪いんだ?」
「バッカじゃないのっ?!」
「こらこらっ。イルカ先生に言い過ぎたぞ、イノ」
「そう思うんなら、今から行くのやめてよ、ナル!」
「だーかーら。無理だって」
イノは早口でまくしたてると、ナルトに抱きついてきた。横目でシカマルにどうしよう、と問いかけてみるが、彼は何も言わずに肩を竦めるだけだった。
ナルトは仕方なく、イノを宥めるために仕事の手を置き、彼女の背に手を回す。わからず戸惑うイルカに、答えたのはチョウジだった。
「えーっと…」
「つまりね、ナルトをカカシさんとサスケと一緒に旅行させたくない、っていうことだよ」
「そういうことっス」
余程ナルトを行かせるのが嫌なのだろうが、任務となれば反対はできないらしい。
げんなりとした顔で、しかしイノをやや睨むように肯定したシカマルに、ようやくイルカは納得した。
「そういや、先生もチョウジも手荷物置いたら?」
まだ抱きついているイノをそのままに、ナルトは2人に声をかけた。そこでようやく自分たちが手に書類を持っていたことに気付く。
「あぁ。忘れてました。火影様、追加書類です」
「む?何故そんなに多いんじゃ?」
「いえ、書類はこれだけなんですが…上層部の方々から大量の手紙が、受付の方に届けられまして」
書類と手紙の量を比べれば、書類の3倍近くは手紙の方が多い。困惑するイルカを前に、火影はやはりか、と項垂れた。
「やっぱり来たか」
「あー、もしかして苦情の手紙?」
「そ。どうせ『化狐を外に出すなど、火影様は何をお考えなのかっ!!』ってやつ」
「それ、ゴウメイ様の真似でしょ」
「あったり〜っ」
「うわ〜っ、あのじいさんなら言いかねねぇな。また、めんどくせーの貰いましたね、火影様」
「うぅっっ…胃に穴が開きそうじゃわい」
手紙の内容を考えて、火影は胃を抑える。しかし、その悲壮な様子にも関わらず、イルカ一人を除けば、別段心配する様子も見せなかった。
「あ。こっちはナルトに」
「オレ宛?誰から?」
「ウチの暗部第3班から、総隊長に渡してくれって。表の頼まれてた分だって言ってたけど」
「ちょっと見せてくれ」
イノに回していた腕を解いて、真剣な表情でチョウジから封筒を受け取る。中に入っていた書類を取り出して読んでいく内に、彼は眉を顰めていく。
一方、隣ではまだしがみついているイノに、チョウジとシカマルは話しかけた。
「イノ、ナルトが困ってるよ。諦めよう?」
「…いやよ」
「あのなぁ。俺も嫌だが、下忍の任務なんだから仕方ないだろ」
「そんなの影分身使えばいいじゃない…」
「そりゃぁ…」
「それが、そうもいかなくなった」
突然口を挟んだナルトに3人も他の2人も驚きの目を向けた。ナルトは読んでいた書類から顔をあげると、口調を改めて火影の方へと向き合う。
「火影様。今朝下忍7班に与えたCランク任務は、Aランクに変更するのがよろしいかと思います」
「なんじゃと?!」
火影以下、一同がその言葉に驚きの声をあげた。イノなど、その際にしがみついていた手を離し、ナルトの顔を見上げる。
「どういうことじゃ?」
「実はこの依頼を受けた時から少し気になるところがありまして、独断で調査部隊を派遣させていただきました」
「また暗部の諜報隊を使ったの?…まぁ良い。暗部はお主に一任しておるからのぅ。して結果は?」
「今入ってきた報告によりますと、波の国はガトーという商人によって支配されています。依頼人・タズナ氏は現在ある橋作りに関わっており、それを完成させれば、結果、
ガトーの支配を逃れ波の国に新たな物流がもたらされます。従って、ガトーはタズナ氏を初めとする職人たちの橋作りへの妨害工作を進行中。命を狙われる行為も最近では頻繁になっているようです」
「もしかして、金がないから正直に言わず、簡単な護衛任務を名目に、木の葉の忍を波の国に連れて行こうってわけか」
「おそらくそうだろう。こちらの不測の事態が起こっても、向こうは護衛任務の内に入ると言えるだろう。だが…相手が悪すぎるな」
「一応カカシがいるが、それでも駄目なのかの?」
「えぇ。ガトーは妨害工作と自身の護衛のために、各里から流れてきた大勢の忍を雇っています。そして、これは未確認情報ですが、その中には霧の忍刀七人衆の一人がいるかもしれない、とのことです」
「霧の忍刀七人衆じゃとっ?!」
驚きのあまり声を荒げる火影に、ナルトは静かに頷く。イルカも側にいた3人も驚いたのか、一言も話さない。
ややあって、シカマルがようやく口を開いた。
「…七人衆、っつってもピンからキリまでいるぞ」
「あぁ。だが、誰なのかは特定できていない」
「干柿鬼鮫クラスが出てきたら、いくらカカシでもヤバいかもしれないぜ?」
「知ってるよ。だが、保留にしてたはずの依頼は、オレたちがやると言ってしまった。何の説明もなしにいきなり取り消しもできないし、かといって…」
「保留だって?!」
イルカが唐突に驚きの声を上げる。
「嘘だろ?依頼承諾済みの山に入ってたんだぞ、それ」
「本当なの?イルカ先生」
「あぁ。認可の印も押されていたのを確認済みだ」
「うむ。ワシも見たぞ。てっきりナルトが押したのかと思ってたんじゃが」
チョウジの問いに、イルカも火影も同様に頷く。それに苛ただしく肩をすくめると、
「大方、また嫌がらせで上層部の誰かがやったんだろ。偽造印使って」
だからそろそろ判変えろって言ってんのに、とナルトはぼやいた。
そのことでイルカと火影が騒然とする中、シカマルはいたってのんびりとナルトに尋ねる。
「で、どうすんだ?このままだと実力出せないお前もヤバいんじゃないか?」
「や、やはりランクを変更して、誰か別の者に任せたほうがいいのぅ?」
「…でも、あたしが聞いたのだと、あんまり護衛らしくない方がいいって話じゃありませんでした?」
「うっ…そうじゃった;なら一体…」
「このままじゃ、7班は大変なことになりますっ!なんとかなりませんか、火影様!!」
「うむむ…」
慌てるイルカに、考え込む火影。チョウジとシカマルは静かにナルトを見つめている。イノはナルトをやや上目遣いで見上げた。
「ナル…」
「悪いけど、今回は今更ランク及び担当変更も取消もきかない」
「だけど、やっぱり危険よっ」
心配そうに瞳を揺らしながら言うイノに、ナルトはにぃっと不敵に笑った。
「そーだよなぁ……じゃあ、同行者を増やせばいい」
前置きなく言われた言葉に、一同が困惑して固まる。そんな中、彼は壁にある暗部用書類の隠し棚を出すと、しばらくして大量の書類から一枚を取り出し、目の高さに掲げた。
「何、それ?」
「仕事だ。内容はAランクの暗殺。対象は、商人ガトーとその護衛一味」
「えっ、それって……」
「なっ?!そんなの、ワシゃ知らんぞ!!」
「だって暗部のだし」
火影の言葉に当たり前とばかりに答える。あまり知られていない話だが、火影を通さずとも、暗部の依頼は全て総隊長であるナルトに全権が任されている。それを指示したのは、もちろん火影自身だ。
だが、一同はさらりと言われたナルトの話に、今日何度目かの驚きをあらわにした。
「何でそんなのがここにあるんだ?」
「誰に任せるか考えてて、すっかり忘れてたんだ;」
「あのなぁ〜。んで、今頃それを出してきて、一体どうしようってんだ?」
予想はつく、と言わんばかりの顔で問いかけるシカマルに、ナルトは悪戯っぽく笑いかけ、そのままイノとチョウジを見た。
「この任務、誰に任せようかと思って」
「…!それって…」
「任務で同じ場所に行くなら、偶然一緒に行くことになってもおかしくはないよな」
笑顔で言うナルトに、シカマルはやっぱりとため息をついた。ぱぁっと明るい顔色を見せるイノに、チョウジは安堵したような顔をする。
「ナルっ!その任務、あたしやりたい!!」
「よかったね、イノ」
「俺も……と言いたいんだが、全員ついて行くのはマズいか。三人だと担当のアスマがいないのは不自然ってことになる。タズナ氏が目立たないようにと言うなら、尚更な」
「んー、二人までなら多分大丈夫じゃないか?」
どうだ、と目線で問われた火影が慌てて頷くのを見て、ナルトはそれをシカマルたちに伝えた。
しかし、三人のうち誰を残していくのか、という問題が浮き上がってしまった。三人は一様に考え込み、そして少ししてチョウジが一人、手を挙げた。
「だったら、僕が留守番役をやるよ」
「え、チョウジ?!」
「お前…俺らに遠慮なんかすんなよ」
「してないよ。それに二人共行きたいんでしょ?」
微笑むチョウジに問われ、二人は戸惑いながらも、はっきりと頷く。そこへナルトが静かに問いかけた。
「いいのか?チョウジ」
「うん。だって今回は暗殺でしょ。もし諜報役が必要なら、イノがいるし、シカマルもいる。二人がいない間、10班のフォローもしなきゃいけないし、それに…この二人のどっちかとアスマで何日か下忍の任務なんて、(アスマが)大変だと思うんだ」
「あ…そうだ、な(今一瞬アスマが、って聞こえた気が;)じゃあ、シカとイノに頼もうか」
「やったぁ〜っ!!」
イノが小躍りしそうなほどに、飛び上がって喜んだ。それを見てオレも甘くなったものだな、とナルトは思う。ちらとシカマルに視線を向ければ、イノに苦笑しているものの、彼も満更ではない様子である。
口には出さなかったが、こちらも気が気でなかったらしい。
「サンキュ、チョウジ。みやげは忘れず買ってくるから」
「うん。期待してるよ。波の国だから…帰る途中で買えるよね。じゃあ波の峠茶屋の抹茶団子と、川井町の名物・川サブレと、えぇっと…」
「だぁぁっ!一度に言うなっ。頼むから後で紙に書いてくれ」
「わかったよ、シカマル」
「絶対シカマルに買わせるから。楽しみにしててね、チョウジ!」
「ありがとう、イノ」
「って、全部俺持ちかよっ!ちっとはお前も払えっ」
「乙女にたかるなんて、将来モテないわよ。シカマル」
「イノが乙女とは到底思えねぇな。それに俺にはナルがいるから、モテなくてもいいんだよっ」
「何ですってぇっ!しかもどさくさに紛れて、ナルを自分のもの宣言するし!ナルは、あたしの旦那様よ!」
「いーやっ!めんどくせーが、こればっかりは譲らないぜっ。ナルは俺の嫁なんだよ!」
「あたしのっ!!」
「俺のだっ!!」
そのままイノとシカマルの言い合いは終わりを見せるどころか、増々ヒートアップしていくので、周りは止めるのを諦めていた。
「また始まったね」
「だな。チョウジ、本当にありがとな」
「どういたしまして。おみやげ期待してるよ」
「あぁ。こっちはよろしく頼む。できるだけ休みと、下忍の任務で楽なやつがわたるようにするからさ」
「ありがとう、ナルト。…気をつけて行ってきてね。特に…」
「あぁ。長引けば多分引っかかるだろうな。でもまぁ、あいつらがいるし」
「そうだね。イノとシカマルがいれば大丈夫だろうね」
未だ言い合い続けるイノとシカマルを、ナルトは笑顔で見つめる。その顔は安心と穏やかで満ちており、大切なものを慈しむような目をしていた。
そんなナルトを見て、チョウジもまた、あの二人が一緒なら大丈夫だ、と安堵の笑みを浮かべた。
「あやつらも同行させて大丈夫なんじゃろうか…」
「大丈夫ですよ、火影様。あの二人の実力はナルトのお墨付きじゃないですか」
「ワシが言っとるのは、あやつらが暴走して、カカシらに命に別状をきたさない薬を食事に混ぜ込んだり、敵の攻撃に紛れてクナイを投げたりしないか、ということじゃ」
ただでさえナルトが行くというだけで頭痛がするのに、と心底嘆く火影に、イルカは深く同情し、ナルトたちが帰ってくるまでは火影を少しでも労わってやろうと密かに思った。
そして目の前の子供の保護者たちは、そろって大きくため息をついた。
こうして、波の国へ行く前の日の、長い夜は更けていくのだった。