予兆の手紙



 秋の夜も深まる頃。火影の執務室では外の虫たちの声にまじって、書き物をする音が静かに響いている。そこへ扉を叩く音がして、火影はふと顔をあげた。
「失礼します、火影様、火影代理」
火影の許しを得て入ってきたのは、灰色がかった黒髪で血色の悪い青年と、茶髪で口に楊枝をくわえた青年の二人―――特別上忍の月光ハヤテと不知火ゲンマである。
「これ、戦略部からの追加の書類です」
「…全部かの?」
「えぇ。全部、です」
「そ、そうか…ご苦労じゃったのぅ」
引きつった顔の火影に、ハヤテはにこりと笑う。初めから机にあった書類だけでも夕方からやり始め、あと10cmくらいまでに減らしたというのに、彼から受け取った書類を合わせると、そのタワーは実に3倍ほどの高さへと変わった。
火影は書類のタワーを見ながら、目を右往左往させて、隣に置かれた同じような執務机で静かに仕事をする少年に話しかけた。
「のぉ、ナルト…」
「却下。自分でやれ、じじぃ」
火影の方を見ることもなく、腰より長い髪を一つに束ねた少年は、不機嫌そうに口悪く切って捨てた。言おうとしたことを切られ、火影は手を止めて、彼に抗議する。
「まだ何も言うてないじゃろ」
「どうせ、この書類もさばくの手伝ってくれ、だろ」
「う、うぬ…;」
「じっちゃんの言おうとしてることなんざ、お見通しだ」
誰の分の仕事してやってるんだ、とこちらは筆を持つ手も止めずに言って、空いた右手で苛立たしげに金色の髪をかきあげる。ナルトの机の上にも書類はあり、その高さは決して低くはない。
「ちょっとは休めよ、ナルト」
「無理言うなよ、ゲン兄。明日までに裁可欲しいっていうの多いんだぜ」
「だからってお前が倒れたら、火影様も俺たちも心配するし…第一、お前の婚約者たちがまたうるさいぞ」
「わかってる。でもなぁ…」
「せめてお茶を飲むくらいは休憩入れても大丈夫じゃないですか?」
すっと出された湯飲みに、ナルトは思わず手を止めて、差し出してきたハヤテを見上げる。そして筆を置いて苦笑すると、ありがとう、と湯飲みを受け取った。
「…いい香り。ほうじ茶?」
「えぇ。雷の国原産です」
「あー、つまりアスマさんのおみやげか。こいつも」
「嫌なら飲まなくていいんですよ、ゲンマ」
「飲む、飲みマス!」
慌ててお茶を口にし、お約束どおりにあちっ、と火傷するゲンマに、ナルトは思わず笑ってしまい、彼に睨まれるが気にしない。
「ハヤ兄の入れるお茶って、ホントおいしいよね」
「ありがとうございます」
「でも、戦略部の方はいいの?忙しいんだろ?」
「大丈夫ですよ。今は休憩中です。長にも休んでもらってますから、ご心配なく」
「悪いな。シカも仕事やりだすと止まんないから」
「知ってますよ。おかげで、休ませるだけで大変でしたけど」
皆が休みたくても、一番上が休まなければ無理である。だが、長であるシカマルの仕事は、今回に限って通常の倍はあり、休まずそれを捌いていた。その必死になる理由を知ってはいたハヤテだが、数少ない他のメンバーたちがバテかけている のを感じ取って、副長の立場から仕方なく強制的処置をとって(詳しくは黙して語らず)休憩としたのである。何事も休みなしでは、作業効率が下がるというものだ。
「ところで、ゲンマ。お主は何用じゃ?」
同じくお茶を飲んでいた火影が、ゲンマに尋ねた。ハヤテのように書類を持ってきたようではないし、第一、彼は戦略部の人間ではない。もちろん暗部の任務はあるが、行くには少し早い時間だ。
では何故ハヤテとともにこの執務室へ来たのか。ゲンマは肩をすくめると、懐から一枚の小さな封筒を取り出した。
「お手紙を届けに来たんですよ。ウチの総隊長サマにね」
「オレ宛?」
「そ。しかも暗部専用の鷹便。今アンコとイビキが世話してる」
ほい、と渡された封筒を、ナルトは受け取ってよく見る。表には『月へ』と丁寧に書かれた文字と、薄く入れられたミズキの花の透かし模様。
「ミズキ兄から?!」
急いで裏を返すが差出人の名前はない。だが、代わりに封をしている蝋に押された文様を見て、彼は驚きに目を見張った。
「もしかして…黒白街こくびゃくがいにいるの?!」
「さぁな。だが、その透かし入り封筒は間違いなくアイツ愛用の、だろ」
その通りだと思い、もう一度蝋に押された紋を見る。大極図の中心に大輪の牡丹。まさしく見慣れた、黒白街のものである。

 黒白街―――それは、火の国と何処かの国の境の何処かにある、大陸一の妓楼が集まってできた花街である。その評判というと、妓女・男娼…誰もが一流を目指すならここと謳われるほど。
各国の王・大名などの大物が御用達にしていると同時に、揃わぬもの・聞こえぬことは何もないほどの物流と情報量を誇ることで有名ではあるが、真の姿は夜しか見せず、しかも各国の問題と忍の潜入・暗殺任務による街への介入は一切皆無とされるのが掟となっているのも有名である。

しかし、と封を開けながら、ナルトは首を傾げた。
「ミズキ兄って…よっぽどの用がないと、ここ行かないよね」
「えぇ。何せあの人、昔から色街嫌いですし」
「そーいや、任務以外じゃ絶対近寄ろうともしなかったよな。何で花街にいるんだ?」
「さぁ……何かあったのかな」
封筒の中に入っていたのは、薄い水色の上品な便箋一枚。そこにはこう書かれていた。

『前略――お久しぶりです。新しい生活には慣れましたか?あなたの察し通り、私は今黒と白の街にいます。
というのも気になることがあったので、しばらくここで滞在している次第です……不本意ですが。
実は、北の蛇が活動をし始めたようです。静かなように見えますが、水面下では動いていると思われます。ご注意ください。
今しばらくは、こちらで気をつけて、もう少し探ってみます。もし、そちらでも探られるのでしたら、西に注意を。
では、また連絡します。くれぐれも無茶はしないように。体にお気をつけください。

追伸:年始には挨拶をしに一度帰ります。』



誰宛も差出人の名もない、ごく簡単な短めの文章。ふわりと便箋から微かにミズキの花の香りが漂う。
「………だって、さ」
「経過報告、というわけですか」
「…普通、ワシに送ってくるのが通りではないかの?」
「いいじゃんどっちでも」
「………(泣)」
今まで孫のように可愛がってきた子供に、にべもなく返され火影は落ち込んだ。だが、火影を邪険に扱って撃沈させた少年は、それに取り合わず、手紙を真剣な目で凝視しながら呟く。
「んなことより…蛇、か」
「北の蛇、ねぇ…心当たりあり過ぎ」
「私ではどこかの誰かさんしか思い浮かばないわけですが…どう思われますか、ナルト君?」
苦笑まじりのハヤテの問いに、ナルトは苦いものを飲んだような、嫌な顔をする。
「オレも同感;全く、この時期に活動しだしたって事は、狙いはやっぱりアレかな」
ため息をついて、お茶を飲み干す。其処に残った渋みに顔をしかめて、ナルトは話を続けた。
「里の結界も一度確認しておくとして。あー、警備も見直しする方がいいかな。二人も気をつけておいて」
「了解、総隊長」
「わかりました。今いない二人にも伝えておきますね」
「あぁ。頼むよ」
ちらりと火影を横目で見ると、険しい顔をしながらナルトへ話しかけてきた。
「ナルトよ。わかっておるじゃろうが…」
「わかってるよ。だけど、今はまだまだその時じゃないし、あっちも来ない」
約束は守るよ、とナルトが言うと、火影は微笑を浮かべた。それに少しだけ3人は、辛そうな表情を浮かべたが、すぐに打ち消す。まずはミズキからの手紙の内容をどうするか、が大事なのだ。
「でも、ちょっと気になるよな。どうにか掴めればいいけど、これを他の奴らに伝えるわけにはいかねぇし」
「本当ですね。火影様はもちろんのこと、私達もそう何週間も離れるわけにはいきませんし」
「かと言って、他に誰か、も思いつかないしなぁ」
難しい顔をして考え込む2人の傍で、ナルトはミズキからの封筒と手紙を掌の上で印も組まずに出した青い火で燃やしながら、静かに呟いた。
「一番良いのは、オレ自身が………あ、そうか」
はた、と名案が浮かんだと言わんばかりに手を打ち、にっと笑いを浮かべて火影を見る。その表情はまるで悪戯を思いついた時のようで、火影は思わず冷や汗をかく。
そしてナルトは、一瞬にして座っていた椅子から、火影の机の真正面に立ち、机に両手を置いて彼ににじり寄った。
「じっちゃん!『うずまきナルト』を里外任務に出してくれっ!」
「はっ?!な、なんじゃとっ」
「できれば、西の方…だから、波の国とか水の国とか。別に火の国内でもいいし」
「じゃ、じゃが。上層部はどうするんじゃ?!大体お主は下忍になってまだ一月半余りなんじゃぞっ。まだ認められるわけがなかろう!」
「そこは火影サマのありがた〜い権威を使って、さ。それに、別に任せたって悪くはないはずだぜ。下忍は二月以上里内のDランクしかやってはいけない、なんて規定は見たことも聞いたこともないし。 おまけに『下忍のナルト君』なら、そろそろ大きな仕事がしたいって我侭言い始めても、誰も不思議には思わないって。現にサスケだってそう思ってるみたいだしな」
「くっ……ハヤテ、ゲンマ!お主らも何とか言ってやれっ」
突然話の水を向けられた2人だが、彼らは仕方なく、落ち着き払った声で言った。
「そうですね、いいんじゃないですか。なかなか」
「全然おかしくはないと思うしな。良い案だと思うぞ」
「だろっ♪」
「お主ら……(怒)」
「仕方ありませんよ、火影様。他に誰を行かせられます?この件を知っている者はごく僅かな上に、私達の中で情報収集やらが一番得意だったのは、ナルト君を除けば、諜報にいるミズキなんですよ」
「それに、今回は伝説の蛇絡みでしょ。もし隊長の許しを得て、零班の3人を使うにしても、あいつらはあの方を知らないから。最悪、本人出てきた場合、危険ですよ」
「いや、ゲン兄。今回は蛇出ないと思う。って言うか、オレあいつら使う気なんて全くないんだけど」
大切なだけに危険な目に会うと予測される任務には、昔も今も彼らを出さず自分でやることにしているナルトである。
 止めると思われた二人に(冷静に考えれば彼らがナルトに反対するはずもないのだが)裏切られ、火影は焦り始めた。このままではナルトの言う通りになってしまうのだ。ナルトは笑顔で火影に言う。
「で、じっちゃん。オレを外に出してくれない?ランクはDに近いくらいCでも大丈夫だと思うしさ」
「……いや、しかし」
「いいから、外出せ(にっこり)」
「………;」
「いいの?このまま拒否するなら、ショックのあまり、オレ書類に何書くかわかんないよ。ってか一つも手、つかないかも」
「いかんっ!それだけは止めてくれ!ワシ一人じゃ処理しきれんのじゃ!!」
「…じゃあ、やってくれる?」
「……………仕方、あるまいのぉ」
「やった〜っっ!!」
諸手をあげて喜ぶ姿を見て、まだまだワシも甘いな、と火影は少々情けなさを感じてしまったが、ナルトが喜んでいるのでよしとしよう、と腹をくくるのだが…。
(だが、いいように扱われているような気がするのは気のせいかの…?)
と、一方ではそう思ってしまう火影であった。
「いよいよ外へ出られるな、ナルト」
「上層部の方々がまたうるさく言いますね」
「気にしないっ。さ〜てと、仕事しますか。ハヤ兄、ゲン兄。今のうちにこの後の任務説明しておこうか?」
「お、そうだな。聞いとくか」
「えぇ、お願いします。緋月総隊長」
「じゃあ始める。今回の二人の任務は……」
ナルトは今夜の任務説明をし始める。火影がその隙にと自分の書類を何十枚かナルトの机にこっそりと足しているが、苦笑して見ない振りをしてやった。 二人も火影もそうして本来の仕事へと戻って行く。


永遠の別れというのは、どんな形であれ、いつか来る。その時はそろそろと足音を立てず、きっと背後に忍び寄ってきているのだろう。
しかし、身近な人の死は、例え自分の手が既に血に染まっていようと、嫌なものだ。できるならずっと見たくないとさえ思う。
だから、今はまだ…。そのことに気付いていたくない、と必死で見ない振りをした。



〜あとがき〜
始まりました。波の国編です。まだ第一章どころか、序章にしかすぎないんですが;
ところで、この後からは原作とは少し外れます。どうなるかはまた次の話で。