木の葉の里の最西端。そこには昔からとても大きな森がひろがっていました。
その森の名は『霧幻の森』。1年中霧が立ち込めていて、地中から入ろうと上から入ろうと、中へと進んでもいつの間にか外へと出てしまうことから、この名前がついたと言われています。
よって、里人たちからは不気味な森、とか魔物がいる、とか気味悪がられ、近づくものは誰もいません。
その森の奥には、一軒の大きな屋敷が建っていました。広い庭園付きの和洋どちらとも判別のつかない外見上3階建ての屋敷でしたが、里の長である火影の屋敷と同じくらい立派です。
「う〜ん。どうしよう?」
その屋敷の中には、腕を組みながら唸る少年がいました。少年の名は『うずまきナルト』。里では生まれた時から忌み嫌われ続けている、最近アカデミーを卒業したドベで元気な明るい、短い金髪が特徴の少年です。
しかし今いる、この少年。鮮やかな金色の髪は腰よりも長いし、言葉遣いも雰囲気も里の中での姿とは全く正反対なのですが、もちろん同一人物です。本当は誰よりも強く賢いのが、知る人ぞ知る、真の『うずまきナルト』少年であり、彼はこの屋敷のたった一人の住人、兼、主でもありました。
目下ナルト少年を困らせているのは、彼の足元に置かれた大きな3つの袋でした。朝任務から帰ってきたら、玄関先にぽつりと置かれていたのです。
「キュ、キュウ?」
その隣に小さな狐がやってきました。淡い金色の毛並みに赤い目の狐ですが、普通とは違い尻尾が9本あります。しかし彼はその狐に気付くと、微笑みました。
「あぁ、秋」
「キュキュ?」
「ん?このあずきをどうしようかと思ってさ」
ナルト少年には狐の言葉が通じているのか、普通に話しています。
袋の中身は全て、大量の小豆でした。計ったことはないですが、多分1つ1キロはあるでしょう。手にとって見ると、一粒一粒が艶やかで、とてもおいしそうです。ナルトが考えていたのは、袋の送り主ではなく、この小豆の料理の仕方でした。
「キュー、キュキュッ!」
「え?羊羹が食べたい?」
「キュー。キュ?」
「別にいいけど…時間かかるよ?」
「キュ!キュ、キューキュキュっ」
「竹筒に入ったやつがいいの?わがままだなぁ」
とか言いながらも、ナルトの顔は楽しそうです。何を作るか決まれば、早速行動に取り掛かります。まずは台所に行って、お鍋を用意しなくてはいけません。
「先に行って用意してるから、それ運んできてくれる?」
「キュっキュー!!」
元気のいい返事に笑うと、ナルトは2階の台所へと階段を上っていきました。
屋敷の広い台所で、流し台の下から大きな鍋を引き出してきて、水を入れて熱します。その間に小豆を煮るために砂糖を出していると、
「ナル、持って来たぞ」
先ほどの小豆の袋を3つとも抱えた、真っ青な異国風の服を着た青年がやってきました。
「ご苦労様、秋」
「いや、これくらい造作もない」
ふわりと笑う青年。無造作に束ねた落ち葉を思わせる金色の髪に、紅葉のような赤の瞳。秋と呼ばれるこの青年は、名を秋華と言い、
以前は、今は『死の森』と呼ばれる東の森に住んでいた、火の国を含む諸国を治める神であります。だが同時に約12年前、力を暴走させて本来なら守るべき木の葉の里を襲い、
当時存命だった4代目火影によって生まれたばかりのナルトの中に封じられた、今なお語り継がれる『九尾襲撃事件』の元凶、里の恐怖の対象とされる九尾の狐でもありました。
封印された当時は大変荒れていたので、秋華の母親で先代の火の神により深い眠りについていましたが、起きてからは友人だった4代目火影・注連縄の子であり宿主であるナルトを何かと可愛がり、封印が完全には解けないことを知ったナルトによって開発された術で時々外へと出ては、
屋敷で彼の手伝いをしています。
「これを煮るのか?」
「うん。これでまずはこしあんをつくらないと」
羊羹づくりはまず餡作りから始まります。ふぅん、と呟いて秋華はテキパキと動くナルトを見つめました。しばらくして鍋に水を差し、それが煮立つと、彼は外へ行く準備を始めました。
「どこか行くのか?」
「ちょっとね。その間鍋見ててくれる?」
「わかった。気をつけてな」
「うん。あ、アクはこまめにとって、あずきが割れないかどうか注意してね」
できる?と聞かれて少し困った顔をした秋華に、苦笑してナルトは外へと出て行きました。
外へと出たナルトは、森の中を歩いていきます。霧がかかるのは外だけで、奥深いここまではありません。木漏れ日が差す森は風が吹き、とても心地よく感じます。
霧幻の森は広いですが、彼の足取りは迷うことなくある場所へと向かっていました。その途中で声をかけてくる存在がたくさんあります。
「おでかけ、王?」
「ミコト、いいニオイする」
「どこいくノ?」
声が高かったり低かったり、半透明なものや小さいもの、動物たち。
次々と声をかけてくるのは、人ではない、人間からすれば異形と言われる『妖』のものたちです。普通なら人間に対して悪意を持つものが多いのですが、ナルトに対する言葉はどれも好意に満ち溢れています。
「ちょっとそこまで。森からは出ないよ。秋が羊羹食べたいって言うから、今あずき煮てるんだ。…何でもいいけど、いい加減呼び方統一できねぇ?」
投げかけられた質問に一つ一つ答えていきますが、彼の声には少し呆れが滲んでいます。
ナルトは封印された秋華に代わって、この森の主も務めているので、昔から彼らはナルトにとても優しくします。それとはまた別にナルトを妖たちは好意と敬意を持って、王やミコトといった呼び方で彼を崇めていますが、それはまた別のお話。
「あずき?このあいだニンゲンもってきた?」
「あのヒトはだいじょーぶ。むかしからクル」
「アズキちょうだい。ヘーカ」
「…人の話、少しは聞こーぜ。んで、ヘーカ、じゃなくて、陛下、だ。あずき食いたいの?」
『タべたーイ!!』
「わかった。羊羹…は無理だろうけど、あずきが余ったら、おしるこぐらいなら後で作ってやるよ」
その言葉を聞いて歓声をあげました。妖の間でも彼の料理の腕前は有名です。妖たちは彼の周りを駆け回って森の奥へと消えていきました。それを見たナルトは優しく微笑んで、彼らを見送りました。
それから少し歩いて、ナルトは足を止めました。どうやら到着したようです。
着いたところは、空気すらも緑の光に染まった、一面の竹林。大きくしなやかな竹が何十本も生えています。
「よーしっ。これがいいな」
彼はその中から1,2本を選ぶと、懐から銀色に光る糸を取り出し、竹へと投げつけました。糸は風を切り銀色の軌跡を描いて、恐ろしい速さで竹林の中を飛び回ります。
ナルトが糸を手元に戻すと、上のほうからパキっという音がして、竹が一瞬にしていくつもの部分に別れて落ちてきました。彼はそれを上手くキャッチしていきます。
しかし、葉が多くついた1番先の部分が彼の頭の上に、一番最後に落ちてきました。あまりの数の多さもあり、両手の塞がっている彼は自分の後ろまでは気づきません。
「ほい、さ」
突然彼の背後から、涼しい風のようなテノールの声が降ってきました。彼が振り返ると、真っ黒なハイネックの袖無しシャツの上に赤と金の刺繍をした派手な着物らしきものを纏った青年がいました。
「夏兄ぃ!」
「油断大敵だぞ、お嬢」
にやりとした青年は手にした緑の竹筒でナルトの頭を小突きます。それに別段嫌がることもなく、ナルトは青年に小さく笑ってごめん、と言いました。
名前を夏希と言うこの青年は、オレンジ色の髪を伸びっ放しにし紫水晶のような瞳を悪戯っぽく輝かせていて、人間の子供を思わせる。
だがこれでもあの秋華の兄の狐神であり、ナルトにしてみても生まれた時から世話になっている兄の1人なのです。
「夏兄、オレ男なんですけど?」
「ん?男、時々女、だろ?」
間違っちゃいない、と自信げに言う夏希に、ナルトは呆れてただ、そうだねと相槌だけ打ちました。何故かこの兄はナルトのことを「お嬢」と呼びます。
「そんで?何でまた竹切ってたんだ?」
ナルトが持っていた竹を半分以上引き取って屋敷に向かって歩きながら、夏希は尋ねました。
「羊羹、作ってほしいって秋が言ったから」
「ようかん?…あぁ。そういや昨日の朝、だったか。留守の間に、あずき三袋も家の前に置き去りにされてた、っての」
「うん。それで、あずきをどうしようかな、って考えてたら、秋が羊羹が食べたいって言ったんだ」
「まーた、手のかかるものを、アイツは;…悪ぃな」
「んーん。今更だし。それにいっぱい作ったら、ネジとかチョウジに持っていってやるんだ」
「そういや、白の坊やは無類の羊羹好きだったなぁ」
大喜びするぞ、と言う夏希にナルトが、夏兄も食べる?と聞くと、もちろんと元気な声が返ってきました。
「しっかし、竹切るのに妖刀使うやつなんざ、世界広しと言えどお嬢くらい、だよな」
「悪かったな。折角あるのに使わないのは、宝の持ち腐れってもんでしょ」
「お前の場合、メモを書くのに高級和紙使うようなもんなんだよ;」
呆れた声音で言われて、ナルトは先程使った銀色の糸を片手で取り出してもてあそびます。
彼の持つ糸は、今では危険とされ当の昔に製作を禁止された『銀糸』という代物。しかも、その中でもいわくつきの妖刀の部類に入るもので、銘を『輝夜』。
以前は『銀王』と呼ばれ裏の世界では有名であり、主の望むものと自ら気に入らぬ持ち主は何であろうと片っ端から切り刻む、気まぐれな姫のような最強最悪の意思を持つ糸です。
2人は話しながら森の中を歩いていきます。そのうち屋敷が見えてきました。周りには行く時に彼らにおしるこを作ってやるという言葉が広まったらしく、小さな妖たちがたくさん
うろついています。その1匹が両手の塞がった彼らのために、玄関の扉を開けました。
「ありがと」
ナルトにお礼を言われて、それはとても嬉しそうに笑いました。
中に入るといいにおいがしてきました。甘い砂糖のにおいです。
「あれ?秋って餡の作り方知ってたっけ?」
「いや。ってか、兄貴なら秋の壊滅的料理才能知ってるだろ」
言いながらもそれを思い出してしまったナルトは夏希と顔をあわせて青くなると、急いで台所へと駆けていきました。
「あら、お帰りなさい、若様」
「お。夏兄様まで」
椅子に座る秋華と一緒にいたのは、桜色の髪に翡翠色の瞳をした優しげな顔の美女。彼女は手に木杓子を持って、小豆の入った鍋を見ていました。工程からして、ずいぶん時間が経っていたようです。
「春姉、来てたの?」
「えぇ、偶々です。家にあがってみれば秋が吹きこぼれかけの鍋に砂糖を入れようとしてたから、驚いたわ」
「げっ、マジ?!」
「あ〜き〜…頼むからもうちょっと考えてやってくれ;」
おかげで羊羹食い損ねるところだったぁとぼやく夏希に、ばつの悪い顔で秋は謝りました。
「それにしても春姉が来てくれてよかったよ」
「全くだ。姉さんがいなきゃどうなってたことか」
「フフ。あ、若様。アズキならもう仕上げに入ってます」
「若、は止めてよ。春姉の方が年上だし、兄弟だろ?」
「昔からこの呼び方だから慣れてるのよ」
「そうだな。小生も今更『ミコト』以外の呼び名で呼ぶ気はない」
「うぉわ!!」
夏希の後ろから突然冷たい声が聞こえて、彼は驚きました。
「あれ、冬兄」
「…な、なんだ。冬か;」
「うむ。春姉者について来たのだ」
さらりと言う深海の海の色をした髪の青年の声音は、夏希よりすっきりとしてひんやり冷たい感じがあります。
青年の名は冬流、そして美女の名は春菜。
春菜は一番上の姉であり、兄弟の中で唯一結婚していて、ナルトを慕ってくれる『あずみ』という可愛い子供もいます。冬流は一番下の弟で、今は何も見えない白銀色の瞳を薄紫の布で覆って隠していますが、
笛を初め多くの楽器の名手です。どちらも夏希と一緒に、生まれて間もない頃からナルトを見守り育ててくれた、大事な狐神の姉弟です。そしてそれは今でも変わりません。
兄弟の上から順に、春菜・夏希・秋華・冬流、と続いているため、この国や近隣諸国の妖たちはその名から彼らを『四季兄弟』と呼んでいました。
「羊羹にするそうだな。ミコト」
「うん。冬兄も食べる?」
「あぁ。ミコトの手作りの菓子だ。ぜひご相伴に預りたい」
「私にはないのかしら?」
「もちろん春姉もだよ。手伝ってくれたし」
春菜と交代して、ナルトは鍋をかき混ぜる手を止めずに笑いかけます。その笑顔は任務時とは違って年相応の幼い子供の笑顔でした。
それを見て、4人とも嬉しそうに笑います。
「作ったら、母様にも持って行かないとね」
「何といっても若様が作ったものですからね」
「だな。喜ぶぜ、すっごく」
「まぁ、母上殿はナルのこと、実の子供と思ってるからな」
「うむ。もちろん、小生らもミコトのことは大好きだぞ」
笑いあいながら、4人はナルトの羊羹作りを手伝っていきます。…もっとも、羊羹の方を手伝えるのは春菜だけで、残りの3人は容器にする竹筒やむしった笹の葉を洗ったり、
出来上がったこしあんを冷やすための準備をするだけですが。
その様子は他人の視点から見れば、実の家族のようで、とても微笑ましい光景です。
生まれた時から天涯孤独のナルトにとっては、確かに日向家も家族同然ではありますが、人間ではない彼ら四季兄弟も大切な家族です。それ故に、この関係はきっとこれからも絶対に変わらないことでしょう。
いつでも実の兄弟のように接してくれる彼らを、ナルトはとても大好きでした。
次の日、できあがった羊羹は、みずみずしく、とてもおいしく出来上がりました。兄弟も兄弟の母親も喜んで食べました。
作った残りはその次の日に、ネジやチョウジの所へナルトが持って行き、大喜びしたことは言うまでもありません。
もちろん残ったこしあんは、妖の誰かが持ってきた餅を入れたおしるこにされて、森の妖たちの口に入り、またしてもナルトの料理の腕の評判をあげる結果になりました。