口では退屈と嫌いながら、≪普通≫であることを何よりも望んでいた。
世界の理から外れたために相容れない、異質な自分を知っていたから。
ゆえに、それがどれだけ得難いものなのか、よく知っていた。 退屈を繰り返す毎日。変わり映えのしない日々。いつまでも続きそうな日常。たとえ、それが冬の水溜りにできる氷のように薄っぺらくとも、誰も気づかない。
けれども、世界はどこまでも残酷にできていて。
薄氷の日常は、呆気なく壊されてしまった。

突如やって来た、どこか懐かしい感じのする、たった1人の白き闇の咎人によって。



嘆きの青い空



5限目のチャイムも鳴り終わって久しい、午後の昼下がり。
昶は1人、柵にもたれるようにして目を閉じていた。
茶色の猫毛が風に撫でられ、ふわりとゆれる。
頭上に広がるのは、心境とは真逆の雲一つない青空。誰もいない屋上はとても静かで気持のいい……ハズだった。
『シクシク………』
「…………;」
『さいあく、だ……シクシク……』
「…いい加減、拗ねるのはやめてくれ…」
己の内で盛大に嘆く守護者に、昶はそっと溜息をついた。無理もない、とは思うが。
原因はもちろん、一昨日のこと。
「白銀」と名乗る怪しい人間…もとい、シンに出会ったことが始まりだ。
妙に迫力のあるその青年によって夜中の学校へ引き寄せられ、運命だの一緒に戦えだのと言われて拒否し思わず外へ飛び出したが、すっかり外に境海があることを忘れて沈んでしまった挙句にドッペルゲンガーを失くしてしまい、彼によって自らもシンへと変換させられてしまったのだ。
本来なら光属性の体ではあるが、直結王族であるこの身の特殊さのおかげでどうにか死ぬことは避けられたが、そのせいで恐れていた事態に巻き込まれたことを容赦なく知ってしまった。
もしその場に劉黒がいてくれればシンにならずに済んだかもしれないが、運悪くいつもの眠りについていた(昔から彼は、何故か不定期で数日間の深い眠りに陥ってしまうことがあるのだ)上に、起きたのがつい先程(昼食直後に起きた彼が昶の異変に気付いて大声で叫んでくれたので、おかしくなった態度を賢吾と白銀に誤魔化すのには随分苦労させられた)。
仕方なく寝る振りをして劉黒に事情説明をし、それにショックを受けた彼を宥めつつ………今に至る、というわけである。
ちなみに、この場に白銀はいない。昶の「影」が解除されない程度に離れて、物珍しいだろう学校内を、ほぼ強制的に散策させられているからだ。
『シクシク……アキが…私のアキがぁ……少し目を離した隙に……』
「……リュウ〜。オレが悪かったって」
『まさか、あんなのにキスされたなんて!!』
「泣いてる原因はそっちか!!」
「何が、ですか?」
ズレた答えを返した相棒への渾身の突っ込みに、しかし背後から声がかかって、昶は思わず身を硬くした。
振り向けば、数日で見慣れるには強烈すぎる美貌の青年が柵の上にちょこんと座っていた。
「し、しろがね……いや、何でもない。ただの独り言だ」
「それにしては誰かと話してるような風でしたが」
「気のせいだろ。ここには今、お前とオレ以外の誰がいるってんだ」
見りゃわかるだろうが、と言えば、首を傾げながらも、この事態の元凶となった青年は納得した様子を見せたので、昶は胸を撫で下ろした。
『おのれ〜白銀っ。私の可愛いアキに許可なく手を出すとはっ』
劉黒の怒りは収まってないので、ひとまず、ではあるが。
それを宥めつつ、話しかけてきた白銀に器用に返答する。意識を二分化するため、ややぼんやりとした印象を与えてしまうが、昔と違って、眠いのだと言ってしまえば誤魔化せる程度にはなった。
「昶君は、授業出ないんですか?」
「あんなツマんねぇもん、誰が出るか」
「それ、高校生のセリフじゃないですよ。何のために学校にいるんです?」
「……ヒマツブシ?」
世間が聞けば怒りそうな言葉ですねぇと、世の大人のように咎めるでもなく、むしろ和やかな笑みを浮かべて白銀は言った。
のんびりとした彼に呆れるが、構わず昶は再び瞳を閉じる。
『まったく、ヤツといい白銀といい、強引というか我が道を平気で行くというか。そんなところはそっくりだ』
途端に聞こえた相棒の声に、だが幾分か落ち着いた様子で、自然と苦笑が漏れる。
「なにか、楽しいことでもありました?」
目敏く気付いた白銀には、何もねぇよ、と返す。劉黒の苦虫を潰したような声が、再び頭に響いた。
『しかも、シンにするなど大博打もいいところだ』
(確か、因子とは反属性のやつへ変換をすると、死ぬんじゃなかったか?)
『因子なしを変換しても、な。だが王族の因子は特別だ。元々、紙一重の存在だからな。後がとても複雑でややこしくなるだけだ』
それはそれで問題なのでは、と思うが、口には出さない。あの時、死なないための方法は、これだけしかなかったのだから。
(ごめん、な)
『アキのせいではない。止められなかった私にも責はある。まぁ、なってしまったものは仕方がない。別にシンになったからといって、居場所がバレるわけではないんだ』
(……ん。そう、だな)
『今までだって、この地で洸以外には会わなかっただろう?それに反属性でなく同属性だから、闇と紛れてしまって気配を悟られることはない』
だから大丈夫だ、と。叶うのなら頭も撫でているみたいに、劉黒は優しく言った。
決して、闇に見つかってはいけない。闇を呼んでもいけない。
昶が次に彼と出会ったら最後――――世界の崩壊は、目に見えているから。
逃げることで答えを先延ばしにしているだけだと、わかっている。それでも、完全に彼を拒めない自分には、逃げることしかできない。
何しろ彼といた時間は、昶が生きてきた中で、一番暖かく、優しく…哀しいものだったのだから。
(オレは……バカ、だな)
隙間から入り込む光が眩しくて、閉じた目の上に手を重ねる。目頭が熱いが、涙は流れない。10年前の別れ以来、涙は涸れ果てた。
その手に、柔らかな布の感触が重なった。
「絶対賢いヒト、なんて方がいないでしょう?」
頭上から白銀の声がした。どうやら声に出ていたらしい。重ねた手をそのまま引き寄せられて、指を絡めたり撫でられたりして遊び始める。
「昶君の手って、綺麗ですよね」
そう言う本人の方がよっぽど白くて綺麗な手をしている。昶は反射的に言いかけ、何を言おうとしていたのかと慌てて口を噤んだ。
『……はて。白銀とはこんな男だったか…?』
劉黒が怪訝に呟いたが、自分のことで手一杯だったのでうっかり聞き逃してしまった。
出会って数日だというのに、昶はこの奇妙な男に心を許し始めていた。いや、心の内側に入りかけていたと言うべきか。
愛してるだの運命だの言って近付き日常を壊したこの妖しい男は、するりと警戒を交わし、己の内側へ侵入を果たしていた。こんなことは、随分前に別れたあの人以来だったから驚いた。
理由は多分、出会った時から感じる、懐かしさにも似た奇妙な感覚。これは既に昶に溶け込んだ劉黒の欠片が告げているのだろうか。だとしたら、とんでもない地雷だ。
けれど、それ以上入り込ませるわけにもいかなかった。
「……白銀。離せ」
「嫌です。構ってくれない昶君が悪いんです」
「何でお前を構ってやんなきゃいけねぇんだ」 「フフっ。ワタシたちは一心同体ですから。ヒマですし、これくらいはいいでしょう」
指先に、チュっと濡れた感触。さすがに驚いて、目を開けて白銀から手を取り戻した。
「キミは本当に、可愛いですね」
「ふ、ふざけんな!!」
「ふざけてませんよ。キミにはいつだって本気です」
真っ白な手袋が、血が昇った頬に触れる。冷涼な指先が熱を奪っていく。それが心地よくて、ゆるりと瞳を閉じた。
しかし、それが間違いだった。
「素直な昶君って、ホントに可愛いですね」
耳元で吐息混じりにささやかれて、昶は叫び声を上げながら飛び退いた。少し収まった熱が、再び集まってきた。きっと顔はまた真っ赤に違いない。
「〜〜〜っ、知らねぇ!寝る!!」
これ以上顔を見られたくなくて、わざと彼に背を向け寝転がった。
「昶君。風邪、引きますよ」
からかいを含んだ白銀の声を無視し、触れてくる手を跳ねのける。白銀はそれがまた面白いらしく笑うばかりで、癪にさわるが、相手にしてやるのも馬鹿らしい。
余計な音のない静かな空気と穏やかなぽかぽか陽気に、段々と本当に眠気が襲ってくる。
さっきから妙に静かな相棒の様子も気になるし、この怪しい男をどうやって引き剥がすかとか、考えることは山ほどあるというのに、体は言うことを聞いてはくれない。
「なんだか、猫みたいですねぇ」
優しい手つきで頭を撫ぜられる。猫扱いされているようだが、案外気持ちがいいし、考えるのも面倒になってきた。どうせ夜になればまた戦いに狩り出されるのだ。今の内に眠っておく方がいい。
「おやすみなさい。昶君」
ふわりとかけられた布から影の匂いがして、それがほんの少しばかり懐かしくて、昶は黒い上着を握りしめたまま束の間の眠りを享受した。

『…絶対、私の知ってる白銀とキャラが違ってる……』
滅多に聞けない唖然とした相棒の声が、沈みゆく意識の中でかすかに響いた。



〜あとがき〜
白昶+劉黒でした。時間的にはマスターの治療翌日くらいの出来事で。原作+アニメ方向で、若干ネーゼの性格がアニメ寄りになってます(むしろ別人…)
原作も好きなんですが、アニメも好きです!今更ですが、あんな方向に持ってくとは思ってませんでした;でもあれくらい迫っててもいいな、と思って見てました(笑)ゲーム版がアニメ映像なしだったのがかなり残念です…。