自分が他人と『違う』と気付いたのは、随分と幼い頃。
大人たちが見る目を見れば、さぞ回りにとっては恐怖の対象だったのだろう。
『彼』がいなければ、きっとここに生きてはいまい。昔も、今も。
生きる場所が変わって。目立たないよう自分を抑えて。静かな日常にほんの少しだけスパイスを加えて。
普通とは少しだけズレた日常は、それなりに楽しいものだった。
けれど。
それでも「世界」は、俺たちを放っておいてくれない…らしい。
Light in the shadow
わずらわしい雑音。嫌悪と恐怖の目。吐き気がするほど生暖かい体温。
両親なんてモノは、すでに己という存在を放棄した。周りを取り巻く人間は、腫物のように接するか無視するか、下心を持って触れようとするかのどれかだ。
1人がいい。誰も、いらない。
正確にいえば、自分はいつも1人じゃない…『2人』で、1人だ。ちなみにこの場合、どこかのドラマの台詞展開ではなく、文字通りの意味なのだが。
でも、1人は飽きた。はっきり言って、つまらない。
もちろん『2人』がつまらないわけではない。片割れの「彼」は自分よりも物知りだし、『2人』でいることはとても楽しい。
けれど、鏡越しでしか顔の見えないのではない、触って安心できる誰かが欲しかった。
そう……己はまだ、ほんの小さな子供なのだ。
そんな時に、黒い影を見かけた。片割れの話では、コクチ、と言ったか。
こちらにいるそれらは危険だから近づくな、と彼は言ったが、どうしても遊んでほしくて、それらを追いかけていた。
そして、気づけば見知らぬ世界にいた。
そこは暗い森の中だった。足元には生物が全くいない澄み切った水。
人間の気配がない、静寂の世界。暗闇に包まれながらも、光を放つ場所。どこだろうと片割れに尋ねれば、人間世界と影の世界の狭間だと教えてくれた。
小さな淡い光の玉が目の前を横切るのを見ていると、リィン、と小さな音が聞こえた。
『侵入者と聞いたから来てみれば…人間の子供とは。随分と小さな侵入者だな』
聞き覚えのない、低く、張りのある声。顔を上げれば、水面に立つ青年がいた。
鮮やかな緋色の長い髪に、荘厳な金色の瞳。
――――支配者の風格を備えた、この世ならざるもの。
『いちばんきれいな、じごくのほのおのいろだ…』
風もないのにふわりとゆれる赤い髪に魅入られ、届くわけないとわかっているのに、思わず手を伸ばす。
『そのように言われたのは、初めてだ。だが、悪くない』
水面を滑るように近付き、青年は髪に触れることを己に許した。赤い髪は意外にも柔らかく、ほんのりと冷たい。
初めて触れた他人の髪の感触を楽しんでいると、青年はそこで初めて気づいたような声をあげた。
『ほぅ。そなた、あやつの因子を受け継ぐものだな』
上から顔を覗き込んで、青年は面白そうな笑みを浮かべた。
『そなた、名は何という?』
『あきら。リュウはアキってよぶよ』
アキっ、と片割れが焦ったような、警告の声を発した。驚いて目を瞬いたが、青年はその様子を目を細めて見、それからくつりと嗤った。
己の頬に、青年の手が伸びる。氷のように、冷たい手だった。
『変わらぬその真っ直ぐな、玻璃の瞳。気に入った。我が名は―――……
耳に入ってきた鐘の大音に、昶はふっと目を覚ました。
途端に視界に広がる、真っ青な空。コンクリートの床下から、次第に騒がしくなっていく生徒たちの声。
昶がいるのは、彼が通う学校の屋上であった。
彼は基本、学校には来ても授業に出ない、学校一のサボリ魔であった。
別段、勉強が嫌いではないし、じっと座っていることが苦痛なのでもない。現に入試時の成績は3位であったし(1位は後が面倒なので避けた)、本気を出せば恐らく学年5位以内は確実だろう。
彼が嫌なのは、他人との付き合いであった。昔からそうだ。人間というものが、彼は嫌いなのだ。
『起きたのか』
昶の耳元で、テノールの穏やかな声が響いた。
彼の周りには誰一人の影すら見当たらない。だが、昶は慣れたように眠気の残る顔で、その声の主に話しかけた。
「あー…はよ。リュウ」
『おはよう。アキ』
リュウと呼ばれた『彼』は、まるで子供か恋人に対するみたいに甘く、どこまでも穏やかで優しい。
しばらく寝ぼけ眼で視線を彷徨わせていた昶だったが、やがて上着のポケットから手鏡を1つ取り出した。
蓋を開いた鏡に映し出されたのは、彼の頭上に広がるものと同じ青空と…彼と瓜二つでありながら色彩の異なる少年の顔。
「…劉黒」
鏡に映る彼の名を、昶はそっと口にした。
実のところ、『劉黒』と名乗る彼はこの世の存在ではない。この場合の「この世」は、死んでる存在であることを指すが、彼の場合、生きている時も人間ではなかった。
彼は「レイ」という光人の直結王族。死んだ後、その因子を継ぐ者―転生者として昶が生まれたのだが、能力や意識の欠片だけでなく、何故か人格そのものも一緒に継がれてしまうという奇妙な具合になってしまっていた。
そのせいで継がれるはずの記憶や知識は「劉黒」という人格に残り、二重人格のような同居生活となってしまったわけだ。
まぁ、本人はといえば、そのおかげで昶に会えたのだからむしろ喜ばしい、とのことだし、今ではすっかり昶の絶対的守護者として常に傍にいるわけだが。
まだ眠いのか無表情な昶に対して、鏡に映る劉黒は微笑んだ。
『随分と寝ていたな。何か良い夢でも見たのか?』
「ゆめ……うん。あの時の…」
『あの時?』
「そ。アイツに初めて会った時の」
名前こそ出さなかったものの、劉黒にはすぐに誰かわかり、顔を顰めた。
純粋な炎そのものの髪を背中に流し、人を見下す冷たい金の相貌の、支配者たる青年。
劉黒にとっては、己が死んだ原因となった人物であり、昶にとっては、恩人…というより兄のように慕った人物。
彼らがともに過ごした時間は、わずか数年程度ではあったが、今までで一番楽しいと思えた時間であった。
『あれから、10年近く、か……』
「もうそんなに、経つのか」
ある事件を切欠に、彼と別れた昶は逃げるように離れたこの地へと引っ越し、小学生だった彼も今では高校生となった。あれ以来一度も彼の姿を見ていない。察するに本来いるべき世界へ帰ったのだろうと思う。元々彼は己のためだけに、わざわざ影響しないよう力を抑えて、こちらへ姿を見せていたのだ。当然のことだろう。
『アキ。会いたい、か?』
心配そうな顔で、劉黒が昶を見た。しばらく黙り込んだ昶は、ゆっくりと首を横に振った。
会うわけにはいかないのだ。シンの王族と、レイの直結王族の因子を持つ人間――本当は、交わるはずのない存在なのだから。そして、次に会うときは恐らく…。
「敵、になるんだろう…な」
瞳を閉じて、空を仰ぐ。呟いた小さな言葉は、哀しみを帯び、風の中へと消えていった。
もし、彼と再び対峙したとき。自分は果たして、彼を斬ることができるのだろうか。
もし、彼が再び自分を望んだとき。自分は果たして、その願いをまた拒めるだろうか。
あの頃よりはずっと退屈だけれど。
このままどうか、彼と会うこともなく、運命は放っておいてくれないだろうか。
ふと、雑音の中に、ここへと上がってくる音が混じり始めた。
それに混じって、あきら〜っ、と己を呼ぶ泣きそうな声と怒鳴る声の2種類が聞こえる。
友達といえる彼らの様子が想像できて、思わず昶はクスリ、と笑った。
アキ、と劉黒が呼んだ。
『できるなら、このまま、何事もなく私達を《人間》として過ごさせてほしいな』
「俺も、そう思うよ。リュウ」
もうすぐ扉を開けて飛び込んでくる友人たちを迎えるために、昶はそっと手鏡を閉じ、ポケットにしまった。
変化への転換期は、あともう少し。
世界の崩壊を告げに銀色の影が訪れ、焔の青年と再び相見える日がやってくる。
しかし、その時の彼らには、まだ、これから起こるであろう己の日常の大転覆を、知る術はなかった。
〜あとがき〜
初・モノクロ!時間軸は、1話のちょい前くらいかな。でも、原作だったら絶対にありえない、昶&劉黒でした。
元々、続きモノ設定で思いついたやつです。よって、気が向けば続きます(ォィ
えーっと、一応説明すると。この話は、力は完全転生済なのに劉黒の意識が消えずに昶の中に最初から残っていたら、が前提のIF設定です。
ちょこっとだけ言うと、昶はそのせいでコクチとハクアが見えるんで、親とか周りの大人とかから嫌われてて、別にそれは気にしてなかったけど、寂しかったある日、焔緋さんに出会って気にいられます。
その後焔緋さんは(劉黒には微妙な顔をされたが)近所のお兄ちゃん的存在として昶の側にしばらくいて、白い猫を昶の親に内緒で一緒に飼ったり、心配して見に来た澤木に家事させたり(笑)と人間界満喫ライフを送ってみたり。
でも、ちょっとした事件があって、焔緋さんとは離れることになり、昶も別の土地に引っ越すことになって、そこで賢吾と(高校に入って綾ちゃんにも)出会って今に至ると。
…ちなみに、たまに焔緋さんが昶君(と劉黒)にちょっかい出しに、こっそりやってきたりする場面があったらな、とかいう裏話も作ってたりします(笑)
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