カリンの頼みに対して出されたリィの提案から、数日後―――。
西離宮は、のどかな昼下がりのテラスに2人の客人を迎えていた。
片方は、飽きないほどくるくると表情を変える、金色のくせっ毛に猫のような瞳の青年。
もう片方は、無表情さが一見芸術品のような、漆黒の髪と冷たい瞳を持つ青年。
洒落た服装から貴族の子弟と思われるが、どちらも一般より抜きんでて美青年の部類に入る者たちである。
そんな彼らと談笑しているのは、こざっぱりとはしているものの、うっかり市井の人間と間違われかねない格好をしたリィである。もっとも容貌を見るなら、2人に負けず劣らず美しいのだが。
しかし、一般人か小姓に見える離宮の主と貴族の青年という、この光景。一見してもそうだが、彼らの素性を言えばもっとおかしなものだった。
それぞれ名を、金色の青年はレティシア、黒い青年はヴァンツァーという。
彼らは、ファロット一族という伝説的かつ特殊な暗殺集団の中でも精鋭陣に属し、かつつい最近もリィとシェラを襲撃した、現在進行形で命を狙うプロの暗殺者である。
だが、狙う側が狙われる側と優雅にお茶している姿は……複雑なものだ。最初の内はヴァンツァーやシェラもそうだったが、レティシアとリィが本心から仲良くしている姿に、最近では慣れたようだ。
ちなみに、この時だけは一向に襲ってこないことを不思議に思ったリィがレティシアに聞いたところ、今殺っても絶対無理だろうし何よりお茶の時間は素直に楽しみたい、という何ともシンプルな答えが返ってきたため銀色と黒色の月コンビを絶句させたことがあったのは余談である。
それはさておき。
リィが先日の出来事を話していると、レティシアがもう耐えられないとばかりに吹き出した。
「あははっ。それでお嬢ちゃんが、ちょっぴりドジっ子ミーシャちゃんに、礼儀作法と料理の先生やることになったわけか!」
「そう。しかもその娘がまたこの離宮が気に入ったらしくて」
「へぇ?普通の女はこんな山の中、近寄ろうともしないんじゃないか?」
「それが、彼女の実家は山の麓で、小さい頃は幼馴染と山の中駆け回ってたから懐かしいんだってさ」
肩を竦めたリィの話を、レティシアは腹を抱えて笑いを抑える努力をしながら、ヴァンツァーは物静かにシェラの淹れた紅茶を飲みながら聞いていた。
「それで。王妃。その女の上達度はどうなんだ?」
「俺も気になるなぁ。先生はお嬢ちゃんだろ?女官としては優秀じゃん。他の女官たちからも慕われてるって聞いてるぜ」
「うん。それがさぁ、来た日に一通りできるか試したんだ。結果は、生活に最低限の家事はほぼ完璧だし、裁縫も元々腕は悪くないから良いんだけど…料理が、なぁ…」
言葉を濁すリィの言葉尻に、何かが爆発する大きな物音と少女の甲高い悲鳴が重なった。
突然のことで驚いた2人だが、苦笑してお茶を啜るリィを見て、あぁと納得してしまった。
「今日だけで、3回目だな」
「……さ、3回…って、まだ昼過ぎ;」
「料理をして爆発させるとは、ある意味豪快な女だな」
失敗の回数を知った2人は、奇妙な表情で感想を述べた。

「お、お待たせしましたっ」
「…お待たせしました…」
緊張した手付きでお盆を持った赤毛の少女の後ろから、シェラが普段なら表に出さない疲れた顔でテラスに現れた。
2人とも白い筈の女官服が煤けて、汚れている。
「シェラ。大丈夫か?」
「はい…なんとか…」
「申し訳ありません、妃殿下!あの、今日も、そのっ、爆発させちゃって」
「知ってる。それで、今日は何を?」
「…これ、です」
力なく答えたシェラは、ミーシャに持っているものをリィと客人―――王妃とシェラ共通の個人的な知人と紹介した―――に出すよう指示した。
ぎこちない手付きで彼らの前に並べられたのは、たくさんの果物で飾られたトライフル。硝子の器に入れられ、純白の生クリームの上に色鮮やかな果物が宝石のように飾られている。
「お。思ってたよりマシじゃん。爆発音してたから、もっと黒焦げケーキみたいなのを出されるかと思ってたぜ」
「当たり前だ…で、でしょう。一応お客様にお出しするものですから」
頬を引き攣らせてレティシアに答えるシェラ。彼相手だといつもなら悪くなる口も、ミーシャがいるため丁寧な言葉で話すしかない。
「で?今日は何が爆発したんだ?ミーシャ」
「あ、あの、予想通り、ケーキの生地にございます…」
「表面が焦げてしまったので、削って、出来が良かった部分だけを少し工夫してみました」
「表面だけだったのか……ん?出来がよかった部分?」
リィは目の前のそれを見て、首を傾げた。表面が焦げただけなら、その部分を削ってあくまでもケーキとしておいしく仕上げるのがシェラだ。しかしこれはどう見てもケーキとは呼べないし、スポンジの量も表面を削っただけにしては少なすぎる。では、残りはどこへ行ったのか。
王妃の様子を見て、顔を青褪めさせたミーシャは直角に腰を折って頭を下げた。
「………申し訳ございません!本当は、焦がした上に生焼けでしたっ」
「あぁ、それでケーキに出来なくてこうなったのか」
納得顔で頷いたリィは、頭を下げたままの彼女に気にしなくてもいい、と声をかけてトライフルを口に運んだ。
リィ専用に砂糖を一切使わないそれは、素材が持つ自然のほのかな甘みが感じられ、後味もさっぱりとしておいしい。
「うん。おいしい。さすがシェラ」
「ありがとうございます。妃殿下」
褒め言葉をもらい、シェラは嬉しそうにする。
一方のレティシアとヴァンツァーはといえば…。
「…もうちょっと甘くてもいいんじゃねぇの?お嬢ちゃん」
「俺はこれくらいで十分だが、甘味にしては全く甘くないのもめずらしいな」
「嫌なら食べなくても結構ですよ」
むしろ食べてくれとは一言も言っていない、と冷たいシェラ。だが、甘くないとぼやくレティシアの前に叩きつけるようにして蜂蜜の入った小さな小瓶を置いてやる。気をつかってやる相手ではないが、客という身分である以上、手抜きをしないのがシェラらしい。
レティシアはさっそく置かれた蜂蜜をかけて、甘さを調節する。嬉々としてかける彼に、リィは呆れた顔をした。
「よくそんな甘くして食べられるな」
「えー、うまいじゃん。俺は甘いの好きだし。お嬢ちゃんの作るものは、本当においしいし」
「俺は甘いものは好まないが、最後の言葉に関してだけは同感だ」
「うん。オレもそうかも。シェラの作る料理、好きだな」
「前の2人はどうでもいいですが、妃殿下にそう言われると、すごく嬉しいです」
にっこりとリィに礼を返すシェラ。贔屓じゃねぇか、とつっ込むレティシアにも動じない。
ふと、隣にいるシェラに視線をやっていたミーシャから、重いため息が零れた。
「うらやましいなぁ、シェラさん。あたしとそんなに歳変わらないのに、お料理上手、裁縫・掃除何でもできるし、礼儀作法は完璧だしっ。あたしなんて…」
「そんなことはない。ミーシャも裁縫や掃除は得意じゃない。きっと料理だってすぐに上手になるわ。何でも前向きに頑張るところが、貴女の良いところだと思うもの」
「シェラさん…っ」
少なくとも、初日の惨状よりはずっとよくなっている。あと数日もすれば料理が爆発することもなくなるのでは、とシェラは思っていた。
リィも同じ思いなのか、シェラの言葉に賛同の意を見せた。
「大丈夫だよ。塩と砂糖間違えたり、包丁で切ったはずの野菜が切れてなかったり、なんてことはなくなったし。シェラもこう言ってることだしな」
「妃殿下も…っ。そうですね。あたし、頑張ります!旦那さまのためにも、け、結婚生活のためにもっ」
「そうそう。その意気だ」
「はいっ!!」
照れた風ではあったが、ミーシャは意気込んで頷いた。
その時であった。
勢いつきすぎてふらついた彼女の体が後ろの台にぶつかり、台上に乗せていたいくつかのグラスが大きく揺れて、銀盆の上から滑り落ちた。
高価な玻璃のグラスが、宙を舞う。床に落とせば、グラスを割ってしまうし、破片でミーシャが傷つけてしまいかねない。
「あ、危ないっ!!」
近くにいたシェラが手を伸ばす。だが、グラスを手にしたその勢いで己の体も思わず台にぶつかりそうで、シェラは来るだろう衝撃に目を瞑った。
しかし、いつまでたっても予想していた衝撃は来なかった。
「もう少し気をつけた方がいいぞ。銀色」
上から降ってきた、心地よいテノール。見上げた先には、思っても見ないほど近い位置にヴァンツァーの秀麗な顔があった。動揺と驚きで、目を丸くする。
彼はシェラを抱くように手を回して、自分の方へ引き寄せてくれたらしい。もう片方の手にはシェラが拾い損ねたグラスの1つがある。
「助かった…が…余計なお世話だ」
複雑な顔をしたシェラに、ヴァンツァーはふっと微笑んだ。それが気に障り、ますますシェラは拗ねた様相をみせる。
「いちゃつくのは、それまでな。ほい。こっちも回収オッケーだぜ。お嬢ちゃん」
「こっちもな。全部無事でよかった」
驚異的な身体能力を駆使して、2人もグラス拾いに協力してくれた。割れなかったことに胸を撫で下ろし、それから迷惑をかけたことにシェラは深く詫びた。もちろんミーシャもである。彼女の場合、やってしまった、という怯えから立ち直った後に、顔を青褪めさせながらではあったが。
そして別に気にしてないから、と主をはじめその場の面々が許したことで、お茶会は無事テラスで再開された。もちろん、今度はシェラとミーシャを加えて、である。
とりとめのない話をし、その後はもっぱらミーシャの結婚の話に移った。
「それで、その優しくて紳士で素敵な旦那さんとは、どうして結婚することになったんだ?」
「え、っと、旦那様の方が一度会っただけの私を気にしててくださったみたいで。次にお会いしたときに、まずお付き合いしてほしいと」
「けどよ。ぶつかって水零したなんて、そそっかしいところを見せただけなんだろ?しかも父親付き」
「そ、そーですけどぉ…あ、いえ。そうですけれど」
思わず出た普段の伸びた喋り方をシェラに軽く咳払いで注意され、ミーシャは慌てて言い直す。苦手な礼儀作法の中には、言葉遣いも含んでいるらしい。
「でも、旦那様はそそっかしいところを、元気があっていい、と褒めてくださって。それから何度かお会いして旦那様を知っていく内に、その、どんどん私も好きになって。それである日、旦那様の方から、結婚を申し込まれたんです」
恥らうように手を赤く染まった頬に当て、見ているこちらが照れてしまうほど、蕩ける笑顔を零す。
彼女の話を楽しそうにリィは相槌を打ちながら聞き、幸せオーラ満開でゴチソウサマ、とレティシアは苦笑した。
「あの、シェラさんは結婚しないんですか?」
ふと、唐突にミーシャがシェラへ顔を向けた。
既に何度か同じような話を聞かされていたシェラは耳半分で聞いていたため、答える反応が少し遅れた。
「………え?」
「だから、結婚ですっ。私でももう結婚するのに。シェラさんほど器量がよくて美人だったら、殿方が放っておかないと思うんですけど」
もしかしてもう心に決めた人が、とミーシャはちらとヴァンツァーを見た。
「いや、それは誤解であって…」
視線が意図することに気付き、シェラは首を振る。
「俺は構わないが」
横目で睨むと、口を挟んだ話題の本人は、涼しい顔をして紅茶を飲んでいた。
闇色の髪に、切れ長の藍色の瞳。端正な身体と顔は、作り物のように美しい。
確かに彼とシェラが並べば一見似合いの恋人同士に見えるだろうし、実際何度かそう見られたこともある。
が、本当に恋人や結婚の相手となるのであれば、話は別物というものだ。相手は同じ一族の人間であり、命を狙っている敵なのだから。
しかし、レティシアは面白そうな顔をして、その話に食いついてきた。
「いいじゃん。ヴァッツだぜ?顔良し、頭良し、金もある。性格はあれだけど、十分じゃねぇの」
「そうだよな。性格はあれだけど、顔はそこら辺のやつより断然いいし、運動神経もいいし。何より、精神的にも絵的にも一番シェラと合うんじゃないか」
「レティシア!妃殿下!」
リィまで賛同の意を示したことに、とんでもない、とシェラが悲鳴をあげる。
だが、何を考えたのか、にやりと笑ったレティシアが、シェラの頤を指で持ち上げた。
「そんなに嫌なら、いっそ、俺にしてみる?」
レティシアは完全に面白がって、近くで囁くように言ってみる。
瞬間、ぷちっ、とシェラの頭の中で、切れる音がした。
「レ〜ティ〜シ〜ア〜っ!!」
「冗談だって。だから睨むなよ。可愛い顔台無しだぜ」
「レティ。冗談も程々にしないと、身を滅ぼすぞ」
「俺だから大丈夫。そっちこそ、焼きもち焼きも程々にしないと、愛想つかされるんじゃないか?」
「それ以前に、私はこの男相手につかすような愛想など欠片たりとも持っていない!!」
「わ。襟首絞めるのはちょっとまずいってお嬢ちゃん!」
「貴様はそれくらいじゃ死なないだろうが!」
「銀色の意見には同感だ」
「あっ、酷ぇ!それでも友達かよお前ら!」
「「お前と友達になった覚えはない」」
ガクガクとレティシアの胸元を引っつかんで揺さぶるシェラ。テーブルに被害が出ないようにしているものの、言葉遣いが対レティシア用に戻っているあたり、冷静じゃない証拠だ。
そして、この諍いに参加していないリィは、というと、ミーシャの耳を塞いで彼らが見えないように椅子ごと方向を変えさせていた。
「あの、妃殿下?よく聞こえないんですけど」
「気にしない。あ、ミーシャもドレス着るんだろ。きっと可愛いだろうな」
「そんなことないですよっ。でも、シェラさんの花嫁姿も、綺麗なんでしょうねぇ」
「似合うとは思うけど…着ることになるのはいつのことやら」
「…?何かおっしゃいました?」
「いや、気にするな」
ミーシャがいることも忘れるほど激昂しているシェラと、それをからかって遊ぶレティシアに、宥めるどころか火に油を注いでるようなヴァンツァー。その割には息もぴったりで、見ているこっちが楽しくて仕方がない。
さていつあの仲良し3人組を止めるべきか、と訝しげに見てくるミーシャを見ながらリィは考え始めた。

〜あとがき〜
一体何年何ヶ月ぶりだろう、な更新です。こっちの更新を楽しみにしてくださった方には、おひさしぶりですね。
最近デル戦からちょっと離れていたので、口調とか性格とか変わってなければいいなぁと思うんですが;
今も好きなんですけど、あくまでメインはナルさんなので、どうしても遅くなってしまうんです。
続きはまた追々書いていければいいなぁと思います。次は騎士団の団長たちを出すのが目標ってことで。